帳簿の嘘を見抜く手
再鑑定の日、審査室の机には、前回よりも多くの書類が積まれていた。
村人たちが持ち寄った桶の記録、荷車の出入りを記した帳面、堰の補修前後に測った水位の表。そして、セレナが布に包んで運び込んだ一枚の原図。
古い紙は黄ばんでいた。端には泥の跡が残り、中央には分水堰から伸びる水路の線が細い墨で描かれている。
「それが、失われた原図か」
領主代行が身を乗り出した。
「はい。父が保管していた資料の中から見つかりました。現在の堰と見比べれば、どこが変えられたのか明らかになります」
ラウルは腕を組んだ。
「古い図面だけで、誰かを罪に問うことはできない。設計変更は、必要に応じて行われるものだ」
「ですから、図面だけではありません」
セレナは別の束を開いた。
「改造前後の実測記録です」
最初の表には、改造前の水路の深さと流量が記されていた。次の表には、堰の板を交換した後の数字が並んでいる。
水位は上がっている。だが、下流へ流れる水量は減っていた。
「堰の上流に水を溜めれば、上流側の畑は一時的に潤います。しかし、分水口の角度を変えたため、下流の水路へ流れる量が三割以上減っている。さらに、雨が少ない時期には、下流へ水が届く前に土へ吸われる」
セレナは表の数字を指で追った。
「自然な枯水なら、上流と下流の減少率はほぼ同じになります。けれど、ここでは上流の水位が保たれているのに、下流だけが急激に減っている。これは水の量が減ったのではなく、流れの道を変えられた結果です」
役人の一人が原図と現在の図面を並べた。
「分水口の幅が違う」
「ええ。原図では、下流側の口が二つあります。ところが改造後は一つが塞がれ、残った口も石板で狭められている」
「その変更を指示した記録は?」
「帳簿にあります」
セレナは修理費の帳面を開いた。
「石板二十枚、固定金具八個。帳簿上は下流の分水口を修理するために購入されたことになっています。しかし実際に届いた石板は十二枚だけでした。そして、その十二枚のうち四枚は、上流側の堰を高くするために使われています」
「ならば、残りは別の場所に使われたのだろう」
ラウルが言った。
「ええ。別の場所にありました」
ノアが静かに答えた。
彼は審査室の隅に置かれた木箱から、四枚の薄い板を取り出した。板には白い粉が付着している。
「これは帳簿にない石板の型を取ったものだ。上流側の倉庫で見つかった。裏面に、領主家の紋章を削った跡がある」
ラウルの顔から血の気が引いた。
「そんなもの、いくらでも作れる」
「作れるなら、帳簿の数字と合わせて説明してくれ」
ノアは一冊の小さな手帳を開いた。
「俺は前回、帳簿を綴じ直した跡を見つけた。だが、頁を差し替えただけじゃない。金額の欄にも同じ仕組みが使われている」
役人が眉をひそめた。
「同じ仕組み?」
「数字の末尾を削り、別の数字を書き足している。たとえば、三十台と書かれた荷車の記録だ」
ノアは帳簿を机へ置いた。
「三十という数字のゼロは、ほかのゼロより線が浅い。先に三と書かれたあと、別の筆でゼロを足している。しかも、紙に残った筆圧を見ると、元は三台だった」
室内がざわめいた。
「紙を透かして見ました」
セレナが補った。
「下の頁には、荷車三台分の控えが残っています。帳簿の数字だけを信じれば三十台ですが、運送人の控え、村の門番の記録、石材の使用量はすべて三台と一致します」
ノアはさらに一枚の紙を広げた。
「この帳簿には、書き手が変わった頁が三つある。綴じ直された頁、金額を書き換えた頁、そして日付を後から足した頁だ。どれも、支出が増えた箇所と重なっている」
領主代行は帳簿を閉じた。
「つまり、修理費を水路に使ったように見せかけ、実際には別の工事へ流した、と」
「違います」
セレナは首を振った。
「別の工事ですらない可能性があります。ラウル様の家が買い取った土地の造成費と、支出の日付が一致しています」
彼女は王都近郊の土地台帳の写しを差し出した。
「工事が始まった日、領主家は新しい倉庫の建設を始めています。帳簿から消えた金額は、その倉庫の石材費とほぼ同じです」
ラウルが机を叩いた。
「推測だ! 土地の造成と水路工事が同じ時期だった、それだけだろう!」
「では、こちらを」
ノアが一枚の木札を置いた。
「倉庫の梁を作った職人から預かった刻印だ。梁の内側に、石材の納入先を示す印が残っている。水路工事用として発注された石が、倉庫へ運ばれた証拠だ」
誰も言葉を発しなかった。
セレナはラウルを見た。かつては、その人の隣に立つ未来を疑わなかった。けれど今、彼の前にあるのは、身分でも婚約でもなく、書き換えられた数字と水を失った畑だった。
「あなたは、私の設計を盗んだだけではない」
セレナの声は震えなかった。
「人々が信じて預けた費用を奪い、水の流れまで自分の都合に合わせて変えた。だから村は枯れたのです」
「私が指示した証拠はない」
「指示書ならあります」
扉のそばに立っていた老人が、封筒を差し出した。
「倉庫の建設を任された大工から預かった。工事責任者の印が押されている」
封筒の中には、ラウルの家令が書いた短い命令書が入っていた。水路用の石材を、指定の倉庫へ回すようにという内容だった。
領主代行が文面を読み上げると、役人たちは顔を伏せた。
「帳簿の再鑑定を正式に行う。原図、実測記録、命令書はすべて証拠として保管する。ラウル・アーデン殿、あなたには次回審査まで、領内の水利工事に関する権限を停止する」
ラウルは立ち上がった。
「こんなもの、村人の寄せ集めだ! 王都が認めるはずがない!」
「認めさせるのではありません」
セレナは原図を丁寧に包み直した。
「同じ場所で、同じ方法で測った記録を、誰にも隠せない形で提出するだけです」
ノアが隣で頷いた。
審査室を出ると、廊下の窓から細い水路が見えた。冬の光を受け、水は濁りながらも途切れず流れている。
「見抜いたのは、帳簿だけじゃないのね」
セレナが言った。
「帳簿は嘘をつかない。嘘をつくのは、数字を並べた手だ」
「では、その手を見抜くのがあなたの仕事?」
「君が流れを読むなら、俺は痕跡を読む」
ノアは少し考えた。
「二人で見れば、隠せるものは減る」
セレナは包みを抱え直した。胸の奥にあった恐れは、まだ消えていない。だが、恐れよりも確かなものがある。
測った水量。残された筆圧。村人たちの手書きの数字。そして、隣を歩く職人の静かな眼差し。
王都の審査会は、もうすぐ始まる。
けれど、真実はすでに水路を流れ始めていた。改ざんされた帳簿の隙間から、奪われた水の行き先を照らすように。




