審査会に集まる証言
三日後、旧税務所の審査室には、領主代行と二人の役人、そしてラウルが並んでいた。
壁際には村人たちが立っている。セレナはその中央で、組合の規約と記録を抱えていた。隣には、拘束を解かれたノアがいる。ただし、手首にはまだ縄の跡が残っていた。
「審査を始める」
領主代行が書類をめくった。
「被申立人は、水利に関する許可を得ず、堰と水路を改造した。特にノアは現場を指揮し、村人を扇動した責任がある」
「異議があります」
セレナが立ち上がった。
「本件は、工事を行った者の責任だけを問うものではありません。工事の必要性、組合の権利、そして資材搬入を妨げた理由まで、同時に審査されるべきです」
ラウルが鼻で笑った。
「相変わらず、感情的だな。婚約を失った腹いせに、領主家を攻撃しているだけではないか」
室内の空気が凍った。
「私は、婚約の話をしていません」
セレナは静かに答えた。
「水量と記録の話をしています」
「君はいつもそうだ。数字と図面に逃げて、自分の判断が誤っていたことを認めない。父君の工事も失敗し、今回の水路も崩れかけた。責任を負う能力がないから、村人を巻き込んでいるだけだ」
何人かの役人が頷いた。
セレナの指先が、書類の端でわずかに震えた。父の失敗を突きつけられると、胸の奥に古い痛みが蘇る。けれど、背後から小さな声がした。
「違います」
畑を持つ若い女だった。
「セレナ様の水路ができる前、うちの畑には三週間、水が来ませんでした。今は毎朝、分水路に水が流れています」
「感想は証言にならない」
ラウルが遮った。
「では、測った記録を出します」
女は胸元から折りたたんだ紙を取り出した。
「組合の書記に教わって、毎朝、桶が満たされるまでの時間を記しました。工事前は空の桶に水が溜まるまで二十七分。修理後は八分です」
別の男が続いた。
「私の畑では、泥の深さを測った。水が来なかった年は土が乾いて指一本も入らなかったが、今は三本分まで湿っている」
「農民の測定など、正式な記録とは呼べない」
「正式な測定器を貸さなかったのは、そちらでしょう」
鍛冶屋が言った。
「だから同じ桶を使い、同じ場所で、同じ時刻に測った。方法を変えずに続けた記録だ」
次々と村人が前へ出た。
水路の入口を見張った者。石の数を数えた者。資材の搬入を止められた日に、役人の通達を受け取った者。誰も大声を上げなかった。ただ、自分が見たことと、手元に残した数字を話した。
ラウルの表情から、余裕が少しずつ消えていく。
「この工事は、許可を得ていない」
彼はなおも言い張った。
「組合そのものが、認可されていないのだ」
「認可申請は受け付けられませんでした」
セレナは一枚の写しを差し出した。
「申請書を提出した日付と、受領を拒んだ役人の署名があります」
領主代行が紙を受け取り、目を細めた。
「署名の真偽は確認する」
「確認に時間が必要なら、その間も工事を止めるのですか」
セレナは問い返した。
「水は、審査が終わるまで待ってはくれません。畑も、村人の暮らしも同じです」
沈黙が落ちた。
ノアが一歩前へ出た。
「俺からも証言がある」
役人が警戒するように彼を見る。
「帳簿を見せてほしい」
黒い外套の男が、束ねた帳簿を机に置いた。
「すでに提出済みだ。修理費は正しく使われている」
ノアは帳簿を開き、頁の端を指でなぞった。
「この帳簿は一度、糸を切って綴じ直されている」
「根拠は?」
「糸の締め方が途中で変わっている。さらに、頁の左端に残った穴の位置が合わない。元の頁を抜き、別の頁を差し込んだ跡だ」
「職人の勘だろう」
「勘ではない」
ノアは机の上に小さな木片を置いた。穴の間隔を測るための道具だった。
「俺の工房では、水車の羽根を固定する穴を同じ間隔で開ける。古い頁の穴は一定だが、差し替えられた頁だけ一箇所ずれている。そこへ新しい糸を通して、綴じ直した」
セレナは別の記録を広げた。
「この頁に記された石材の購入日は、村の荷車記録と一致しません。帳簿では三十台分になっていますが、実際に届いたのは十二台です」
「荷車記録が間違っている可能性もある」
「だから三人の証人を呼びました」
門前で荷を確認した老人が、運送人の妻が、そして資材を数えた鍛冶屋が、それぞれ同じ数字を証言した。
領主代行は帳簿と記録を見比べた。役人たちは互いに目を交わしている。
ラウルが立ち上がった。
「これ以上は、身分ある者への侮辱だ! 伯爵家の令嬢が、村人を使って私を裁こうというのか!」
「裁いているのは記録です」
セレナは彼を見た。
「私はあなたを失脚させたいのではありません。誰が水を止め、誰が費用を流用し、誰が技術を盗んだのかを明らかにしたいだけです」
「偽善だ」
「そう思うなら、反対の記録を出してください」
ラウルは口を開いたが、言葉が続かなかった。
窓の外で、水路を流れる音がした。細く、しかし途切れない音だった。
領主代行がようやく口を開く。
「本日の審査は、追加の証言と帳簿の再鑑定を要する。組合の工事記録は預かるが、写しの保管を禁じない。ノアの拘束は解除する」
村人たちの間から、安堵の息が漏れた。
完全な勝利ではない。けれど、誰か一人に罪を押しつける場は、もう崩れ始めていた。
審査室を出ると、ノアがセレナの隣に並んだ。
「大丈夫か」
「ええ。少し怖かったけれど」
「それでも逃げなかった」
「あなたが、記録を消すなと言ったから」
ノアは歩みを止めた。
「俺は、君がここまで人の声を集められるとは思っていなかった」
「私もよ。数字だけでは、水路は動かせないもの」
「数字だけでも、人の声だけでも足りない」
彼はそう言って、セレナの手に自分の手を重ねた。
「だから、二人でやる」
広場では、村人たちが次の証言を書き始めていた。
審査はまだ続く。だが、真実はすでに一つの声ではなかった。幾つもの手で測られ、幾つもの目で確かめられ、誰にも持ち去れない水の流れになっていた。




