5.ちゃむううううううううううううう
俺はウキウキで帰路に就いていた。何故かというと、今日は岬ちゃんの手作りハンバーグの日だからだ。昨夜は「明日はハンバーグだからね」と言われたものだから、なかなか寝付けなかった。そして朝起きてから今の今までずっとハンバーグのことを考えながら過ごして生きていた。俺よりもハンバーグのことを考えているのはハン〇ーグ師匠くらいのものだろう。何の意味もない伏字は熱々の鉄板ジョークというやつだ。
駅から大通りを抜けて細い路地を歩いていると、俺の後ろを誰かが歩いている気配がした。なんとなく背後をとられているとそわそわしてしまう性質なので、ゆっくりと歩いて追い抜いてもらおうとしたのだが、その人もそれに合わせたようにスピードを落とす。相手もまた俺と同じように後ろを誰かが歩いているのがちょっと嫌だと感じるタイプなのだろうか。
そう思い、靴紐がほどけた振りをしてしゃがみ込む。逆に考えるんだ。一定の速度を保って歩いているのなら、止まっちゃえばいいさってやつだ。さっさと追い抜いてもらって、その背中を悠然と見送り、それから俺は歩き出すつもりでいた。
しかし、
(……えっ)
その人は俺の目の前で立ち止まっていた。俺の視界には、自分の靴とその人の靴が同時に収まっている。どうやら女性のようであるが、知り合いという感じはしない。
俺はゆっくりと立ち上がり、目の前に立つその女性を改めて眺めた。
だぼっとしたフード付きのパーカーに、ミニスカートという出で立ちの彼女は、そのくりくりとした目をまっすぐに俺へと向けている。
そして、恐る恐るといったように言った。
「あのぅ、もしかして、ヒキー・ニッター様ですか?」
「え……あ、はい。そうですが」
「様」という敬称に多少の疑問を抱きつつも、俺は答えた。
――そう、答えてしまったのだ。
それが決してイエスと言ってはいけない質問だとは、まるで気づかないままに。
「ぐえっ!?」
腹部に走る衝撃に俺は悲鳴を上げた。
なにが起きたのかと見下ろすと、そこには件の女性が飛びついてきていた。
それだけではない。頬をスリスリと擦りつけている。深呼吸するように匂いを嗅いでいる。物凄い力で俺の腰に手をまわし、がっしりとホールドしてきている。
恍惚とした表情を浮かべる彼女に向かって俺は「やめてください!」と叫んだ。
「いやです! せっかく会えたんだから、もう一生離しません!」
「いやいやいやいや、離してくださいよ! ていうかあなたは誰ですか!?」
「私はあなたの彼女です!」
「えっ……あ、いや、騙されませんよ!? 彼女いない歴イコール年齢のアラサー男子を舐めないで頂きたい!」
どうにかこうにかひっぺがすも、女性は「ふしゅー、ふしゅー」と荒い呼吸のまま、レスリング選手のような前傾姿勢を取っている。隙を見せればまた再び襲い掛かってきそうだ。
「一先ず落ち着いてください。もう一度訊きますが、あなたは一体誰なんですか?」
「私はあなたのお嫁さんです」
「一瞬の間に随分ステップアップしましたね!?」
「毎日君の食べるハンバーグが食べたいって言ってくれたじゃないですか」
「い、言いそう! だけど言ってない! たぶん言ってない!」
俺が半ばパニックに陥っていると、スマホが着信音を鳴らした。
そんな場合ではないと思ったのだが、目の前にいる女性は存外に「電話ですか? 出たほうが良いんじゃないですか?」と促してくる。
警戒はとかないようにしつつも、俺はその通話に出ることにした。かけてきたのは二葉さんだった。
「はい、本条です」
「あ、本条さんですか。急遽お伝えしたいことがありまして、お電話させて頂いたんですが……今お時間大丈夫ですか?」
「今ですか……大丈夫と言えば大丈夫ですが」
大丈夫じゃないと言えば大丈夫じゃない。
目の前の女性は「なぁに? なぁに?」とでもいうように右に左に首を傾げている。
不安げな声で「後にしたほうが良いでしょうか?」と二葉さんが再度確認を取ってきたので、俺は一先ず「いえ、問題ありません」と答えた。
「用件というのは他でもなく、公開オーディションの件なんですが」
「はい」
「11番……ヤンデレキャラの方ですね。あの人の応援コメントにあった『ちゃむううううう』という謎の言葉の意味が分かりました」
「本当ですか?」
「ええ。あれは、『けいたろう@みゃこ生最強美少女』のものでした」
……ん。
なんかあんまりうまく聞き取れなかったな。
俺は聞き直す。
「今なんて?」
「けいたろう@みゃこ生最強美少女、です」
「けいた……?」
「けいたろう@みゃこ生最強美少女」
聞き取れなかったのではなく、脳がちゃんと理解しようとしてくれなかっただけだった。
改めて俺は質問してみる。
「すみません、それはなんですか?」
「えーっとですね、本条さんはまずみゃこみゃこ動画というものを知ってますか?」
「それはもちろん」
みゃこみゃこ動画は『みゃこ動』の愛称で親しまれている、Metubeと同じ動画共有およびライブストリーミングサイトだ。その違いは、と言われると俺もあまり詳しくないのだが、みゃこ動のほうがややマニアックというかサブカル臭が強い感じだろうか。だからこそ、動画投稿者や配信者も一癖ある人たちが集まっている。
「けいたろうはみゃこ動のなかでも『女帝』と呼ばれている人物です。みゃこ動で最も人を集める配信者。今は同時接続者数といえばVtuberと言われるぐらいの時代ですが、その中でただの人間としてVtuberと同等に勝負を繰り広げられる数少ない配信者ですね」
「なるほど……?」
「そして、このけいたろうは視聴者から『けいちゃむ』と呼ばれています。『ちゃむうううう』というのは、そこから派生した呼び名となりますでしょうか」
「って、いうことは」
「はい、11番の正体はけいたろう@みゃこ生最強美少女でした。みゃこ動の女帝が何故かVtuberのオーディションに応募してきていたんです」
そして、さらに言うなら……と俺は目の前の女性に視線を送る。
ただそれだけなのに、ものすごい満面の笑みを返してきた。
見た目はたしかに『最強美少女』の名に恥じないものだろう。
だが、これはしかし……。
どうしたものかと頭を悩ませていると、電話の奥はなにやらばたついているようであった。そこで「大丈夫ですか?」と尋ねたところ、「すみません」という返答が届く。
「実はこの一件で色々と処理しないといけないことが増えまして、その対応に追われているんです」
「あっ、そうなんですか。そんな時にわざわざありがとうございます」
「いえ、私もちょっと話を聞いてもらいたいみたいな下心もありましたので……詳しいことはまた後程ご連絡いたしますね」
「分かりました」
「失礼します」と言い残して俺は通話を切る。
それを見届けた女性は、すすっと身を寄せてきた。距離がやたらと近い。
俺は電話の内容を総括して、思い切って訊いてみることにした。
「あの、もしかしてあなたは……けいたろうさん、ですか?」
尋ねると、女性は「しゅぴーん☆」と言いながら目元でピースした。
「はーい! みゃこ生の最強美少女、けいたろうでーっす! 気軽にけいちゃむって呼んでくださいね?」
俺は絶句した。
文化が違う。住む世界が違う。もしかしたら今のは日本語じゃなかった可能性まである。
しかし、けいたろうは「あれ、おかしいな。いつも可愛いって評判なんだけどな」とぶつぶつ呟いていた。
「そうですか。やはりあなたがけいたろうさんですか」
「そうですよー。ちなみに本名は花岡啓太郎っていいます」
「……え、本名が?」
「男の子みたいな名前ですよねー? なんかお爺ちゃんが男の子の孫が欲しかったとかでその名前にされたらしいんですけど、まぁでも私って小っちゃい頃から可愛かったんで、お爺ちゃんもすぐにデレデレになっちゃって、結局名前だけ男の子っぽい美少女になっちゃったんですよー」
そして「だからまぁ、これもまた一つの個性?」と続ける。
ポジティブな人だ。警戒を解くわけにはいかないが、そこだけは好感が持てる。
まだまだ気になることはあるので、俺は追って口を開く。
「あの、けいたろうさんはみゃこ動の女帝って言われてるらしいですね」
「はい! 女帝でーす!」
そう答えて「いえーい!」とはしゃぐ。
およそ女帝という名にふさわしくない振る舞いだ。
「そんな人がどうしてVtuberに?」
「どうしてってそんなの決まってるじゃないですか。ヒキー・ニッター様と一緒にいたかったからですよ」
「え?」
けいたろうは困惑する俺になど構う様子もなく、手を取ってくる。
そして愛おしそうに頬ずりした。
「始めて見た時に衝撃を受けました。声も見た目もその話し方も。全てが私の好みです。性格もきっと私と相性抜群だって思いました。二人が同じ時間、同じ世界に生まれたのはきっと奇跡です。私たちは赤い糸で結ばれているんですよ」
愛を語る彼女の瞳の中には、ハートマークが無数に散りばめられているような気さえした。
「あのう、ヒキー・ニッター様の本当の名前はなんていうんですか?」
「俺は……本条一仁っていいます」
「一仁さんですか。素敵なお名前です。一仁様ってお呼びするのも良いですが、もしも許されるのなら、かーくん、けーちゃんって呼び合いたいなー、なんて」
一人で勝手に「きゃー♡」と盛り上がるけいたろう。
本当は俺だって盛り上がりたかった。だって女の子に明確な好意を寄せられるなんて初めてなのだ。しかも、こんなに可愛い女の子に。まともな出会いをしていたのなら、きっと人生最良の日として記念日を作り、毎年お祝いをするようになっていたことは想像に難くない。
だが、俺にはどうしても訊かなければならないことがあった。
「けいたろうさん。あなたの気持ちはよーくわかりました」
「分かっていただけましたか!? 嬉しいです!」
「はい……ただ、一つ答えてもらいたいことがありまして」
「なんでしょう?」
「あの、どうして俺のリアルの所在が分かったんでしょうか?」
けいたろうは「ああ、なんだそんなことですか!」とぽんと手を叩いて、
「簡単ですよ! 夢花火から後ろを付けてきたんです!」
と言った。
「夢花火から……ですか」
「はい。初回放送の時に最寄り駅を暴露してたと思うんですけど、でもやっぱりそれだけでは実際に見つけ出すのは不可能じゃないですか」
「まぁそれはそうですね」
「なので、夢花火から出てくる男性の方全員の後ろを日替わりでつけまわして、その最寄り駅まで向かう人がいないか探していたんです」
「ふむふむ」
「正直、一仁さんは見た目の時点で『えっ!? ヒキー・ニッターが現実世界に!?』ってぐらいだったので、半ば確信めいた期待があったんですが……実際にここの駅に降りてくれた時は本当に嬉しかったです。そうして私たちは出会うことが出来たというわけですね」
「ほほぉー」
夢花火の男性社員全員の後ろをつけて、それで俺がヒキー・ニッターだと見破ったという訳か。
なるほど、なるほど。いやもう、それしか言えなくなるくらいに、なるほどね。
俺は理解した。
つまり、この人はそういうことだ。
そうね。まぁ、なんていうか、一言で言うなら……
――こいつ、ガチのストーカーじゃねぇか
俺は脱兎のごとく逃げ出した。
後ろから「あ、ちょっとー」という声が聞こえたが、決して振り返ることは無い。
神様、お願いです。
もう彼女が欲しいだなんて贅沢は言いません。この先の人生、一生独り身で過ごします。だから、ああいうシャレにならないヤバい人を俺に近づけさせないでください。
恐怖にもつれそうになる足を必死に動かしながら、俺は生まれて初めて、心の底からの願いを天に捧げるのであった。




