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過去最長です。
「大丈夫ですか?」
朱音はメイドへと優しく声をかけた。
「あ、朱音ちゃん…。ありがとう…」
吹き飛びそうな意識を何とか保ち、メイドは精一杯にそう返した。
「申し訳ないのですが、今すぐに逃げて下さい。ここは危険です」
そういって朱音は素早く氷を砕き、メイドの手足を開放した。
「ごめん、ごめんよお。すぐに助けを呼んでくるから…! どうか朱音ちゃんも無事で…」
「私は大丈夫です。では、早く」
促されて、メイドは手足をもつれさせながらも何とか逃げ出した。
「ただならぬ気配を感じて来てみれば、この状況…。一体何をしようとしているのですか、当主代行!」
「本来であれば、あなたのお相手は私ではありませんでしたのに。あの凡骨のせいで、まったく…。まあ、今頃は軽く殺されている事でしょうけどね」
「早朝から二人が見当たらないと思っていましたが、まさか…!」
「それは偶然が生んだものではありますわ。ただ、どうせ結果は変わりません。そう心配せずともすぐに再開できるでしょう…あの世で、ですけどね」
怜が一つパンッっと手を叩くと、彼女の周りに無数の氷で出来た礫が現れ始めた。
狂的な笑みを浮かべるのと同時に、それは朱音へと向かって一心に放たれる。
右に飛んで、左に飛んで。朱音は曲芸でも見せるが如く、紙一重での回避を重ねる。
「無様ね…無様無様…最高にお似合いですわ! 踊り狂って死になさい!」
「怜様、なぜこのような事を…!」
怜が朱音に対して思う事言えば、それは目障りだというその一点に尽きる。
長きにして父を支えて亡くなった、その秘書の娘。無理に追い払う事は出来なかった。
当主の死後、一生働かずしても生活できる程の金を渡してやった。だが、この娘はそれを受け取る事を良しとせず、藤宮を出て行こうともしなかった。
罵られ、突き飛ばされ。ただ憎しみの捌け口と化しても、この娘は弟の傍を離れようとしない。
それどころか、護衛役を名乗り更にくっつくようになった。
暴動の際には、使用人を救う働きも見せたという。そのこともあってか、使用人たちからの非常に厚い人望をこの娘は集めている。
無駄に強い正義感を振りかざし、この怜が壊そうとしている物をこの娘は守ろうとしている。
なんという、目障りなのだろう。
「何故、ですって? あなたに答えるとするならば…これは実益を兼ね備えた、ただの趣味ですわ」
「当主代行としての日々の重労働で、気をどうにかされてしまったようですね。お労しい限りです。少々荒療治にはなりますが、御許し下さい」
目の奥に強さを宿らせる、その澄んだ瞳を向けて朱音は怜に言い放った。
「今まで見てきた中でも最も不愉快な目、ですわね…。決めましたわ、あなたは簡単には殺しません。その光を消してから、くり抜いて差し上げますわ…!」
一層にも増して礫を増やし、一気に朱音を仕留めにかかる。
だが、やはりそれは紙一重で回避される。
気が付けば、じわりじわりとではあるが距離を詰められてきている。
この娘…!
「あなた、今まで力を隠していましたわね…!」
「さて、どうでしょうか」
当主がまだ健在だったころ、怜は彼女と何度か手合わせをしたことがあった。
ほんの一年前まで、まるで彼女は自分の相手にはならなかったはずだ。
この一年間で飛躍的に実力を伸ばしたという可能性もゼロではない。
だが、目の前のこれは異様すぎる。最初礫を全て回避した段階で、気付くべきだったのだ。
手合わせの時、彼女はたった一つの礫ですら避けることが出来ず、傷を負っていた。
それが今は何ということだろう。その数十倍とも言える数の礫を、数倍の速度に乗せて放っているというのに、彼女は無傷で立っている。さらに、距離までも詰めてきているのだ。
気を遣われていたとでも、言うのだろうか。
藤宮の血を引き、その異能を受け継いだこの自分が。遥かに劣る血筋を持つはずの、秘書の娘に。
手加減をされていた、と。
「舐めやがって…!」
頭に血が上る。
もはや簡単に殺さないなどと遊びを見せている場合ではない。
全力を持って操氷し、彼女を仕留めにかかる。
だが、やはり当たらない。
最初の遠から、もう近寄りの中といえる程までに距離が詰まってきている。
「おやめください。あまり無理をなさると、お体に障りますよ」
「黙れ! このドブネズミが!」
この娘によって自分が倒されればどうなるのか。
数分後、部隊がこちらへとやってくる。この娘はそれに始末され、結局は命を落とすことになるだろう。
だが、やはり許されない。
藤宮の名をを背負う者として、武でさえもこの国の中枢へと及ぶ権力を持つはずの名家の者として。
なりふり構わずに粒子を噴出し、そのすべてを氷へと変化させる。
次の一撃で仕留めることが出来なければ、もう距離はない。それは、敗北を意味している。
「当たれ、当たれ…!」
祈りにも似たその気を注いでいた最中、それは顔を覗かせた。
「えっ…姉さま? 朱音?」
この場に辿り着くはずもなかったソレ。
何故ソレが現れたのか。今は、そんなことはどうでもよかった。
思わず笑みがこぼれる。
定めていた狙いを変える。その尖った礫の先端を、全てソレへ――颯介へと向けて放った。
「――ッ! 坊ちゃま!!」
咄嗟に反応し、朱音は身を翻して駆ける。
惜しむことなく全力で獣化の能力を発揮し、一瞬先に辿り着いた。
そして、抱きしめる。迫りくる礫に背を向けて。
親愛なる主に一礫たりとも与えることの無いように。強く、優しく包み込む。
やがて、背中にその衝撃が訪れた。
◆◇◆◇◆
健志から蹴り飛ばされた颯介は、屋敷のすぐ目の前。
花壇へと着陸を果たしていた。
「いってて…。なんなんだよ一体、もう。健志なんかとは当分口きいてやらないからな!」
怒り心頭で屋敷へと入る。
何分今日は早朝に叩き起こされた身だ。流石に眠い。
とりあえず、部屋に戻ってひと眠りしよう。起きて身だしなみを整えたら、朱音の所へ話に行こう。
そう決めて、彼は階段を上がり始めた。
すると、上がる途中でなにやら大きな物音が聞こえてくる事に気が付く。
二階で、何か行われているようだ。
「変だな…。荷物の運び入れか、改装でもしてるのかな。それにしても、うるさいしなんか響いてきてる…。これは怜姉様怒るだろうな…」
居合わせるのも面倒だったので、彼はさっさと階段を上がる事にした。
そして上がり切ったところで、それを目にする。
「えっ姉さま…? 朱音?」
異能を使用した姉が、朱音へとその力を放とうとしている。
唐突に現れたその場面に、彼は硬直してしまった。
そして、姉と目が合う。
何がおかしいのだろうか、姉は笑みを浮かべてこちらへと力を放ってきた。
「え…?」
またもや、口から力なく一文字が零れ落ちる。
次の瞬間、視界が暗転した。
それと同時に、暖かい何かに包まれている感じがし始める。
そして、今度はグラ! グラ! グラ! と、衝撃とともに体が揺さぶられた。
その直後、重たい何かが倒れ掛かってくる。
受け止めきれずして体勢を崩し、そのまま地面へと体が叩きつけられた。
感覚だけが先行し、まるで今の状況に頭での理解が追い付かない。
一体それからどれだけの時間が経過したのだろう。何秒か、何十秒か。
自分が身を挺して守られたのだ言う事に気が付いたのは。
「あ、朱音…? う、うわああああああああああああ!」
遠くで、何か笑い声が聞こえる。
暗闇から抜け出すと、そこには無数の礫が刺さった背中があった。
赤く、朱く、紅い。
「朱音、朱音! 誰か! 誰かいないのか!」
止まらない。流れ出して広がりを続けるその赤が、止まらない。
思わず倒れたままのの彼女の手を握り込み、必死に声をかける。
「ぼ、坊ちゃま…。ご無事ですか…?」
「うん、無事だよ、僕は無事だよ! 朱音、どうして、なんで…」
なんで、ここで出てくる言葉がそれなんだよ…!
どうして、僕なんかを守るためにこんなに血を流してるんだよ!
なんで、僕の言葉を聞いてそんな安心した表情を浮かべているんだよ…。
「坊ちゃまも、は、早くお逃げくだ、さい…」
「嫌だ! 出来るわけないだろう!? こんな状態のお前を置いて、僕一人でそんな事、出来るわけないだろう!」
「お願いです、坊ちゃま…。役目を、果たさせてください。わ、私は大丈夫、です…」
血を吐き出しながら、そんな事を言う。
「大丈夫なもんか! 待ってて! すぐに医者を呼んで来るから!」
そう言って彼が立ち上がって駆けだそうとした瞬間、その先に氷の礫が飛び込んできた。
「フフッ。ダメダメ。そいつはそこでのたれ死ぬの」
気が付くと、数メートル先まで笑い声の主が迫ってきていた。
「何があったのか知らないけど、やり過ぎだよ! いいから邪魔しないで!」
「邪魔…。邪魔、ねえ。私にとっての邪魔は、お前とそこのドブネズミ。見解の相違ですわね」
「…今、何て言った?」
「フフッ。聞こえてないとそんな言葉は出て来ないはずですわよね。でも、リクエストにお応えしてもう一度。お前と、そこに転がるド汚い血だるまドブネズミこそが邪魔なのですわ」
「ふざけるな…。例え姉さまであっても許さない。ずっと僕の側にいてくれた。この大切な人を、そんな風に貶すことは!」
「許さない。なら、どうするのかしら。私は本心を正直に告げただけよ。謝罪も撤回もあり得ないですわ」
「なら…」
颯介の周りから粒子が舞い始める。そして、それは氷へと変化していく。
藤宮の異能を受け継ぐものは、何も怜だけではない。
長男である颯介もまた、それを扱うことが出来る。
瞬く間に大量の礫を創り出し、それを彼女へ向けて放った。
「フン、小賢しい」
同じようにして彼女も礫を放って応戦する。
最初の数秒までは互角の打ち合いを果たしていた。
だが。
「痛っ…!」
怜の礫が通り抜け、颯介の頬を掠める。
徐々に、徐々にだが、怜の礫の数が勝っていく。
「所詮はまだまだ未熟者。そんなちっぽけな力で私に立ち向おうなどと、片腹痛いですわね」
掠めていく。
頬を、首を、方を、足を。
そうして、遂に直撃した。
「ああっ…!」
通り抜けてきた礫の一つが、彼の膝へと刺さった。
痛みと衝撃によって、彼は体勢を崩す。
そして異能が緩んだその一瞬、無数の礫が彼の体中へと直撃した。
膝から崩れ、いう事の利かなくなった腕はぶらりと前に垂らされる。
「フフフ…。アーハハハハハ!」
弟のその様を見た狂人は、抑えきれないといった感じで笑い声を響かせた。
そして、最後にその目を見ようと考える。
あの純粋で真っすぐな瞳が、今はどんな色に染まっているのか。
何とか笑いこらえ、正面のその目を除きこんだ。
「な、何? その目は…?」
強い決意を宿している者の持つ、力強い瞳。
亡き父を彷彿とさせるような、そんな目。
覗き込んだ先に見えたのは、そんな物だった。
格の違いを見せつけられ、痛みと絶望に揺れるはずのこの状況で、何故。
理解が、及ばない。
「ずっと…。本当にずっと、いてくれたんだ。こんな僕の、隣に。僕を、守ってくれたんだ。だから、今度は僕の番だ。僕が、離さない番なんだ。この暖かくて優しい手を、握り返す番なんだ!」
思わず、怜はその瞳から目を逸らした。
一言終えるたびに、一層瞳に宿る力が増していく。
あまりに眩しくなったそれを、正面から見続けることが出来なかったのだ。
「くだらない。くっだらないわあ。何を言おうが、どんな目をしようが、ここから先は決まっていますわ。あなたにとっては、ただ死が広がるだけの――バッドエンドよ」
無数の礫が放たれる。無防備な、こちらへ向かって。
颯介は、目を閉じる気はなかった。
自分の最後から目を逸らすわけにはいかなかった。
申し訳なく思う。大切な人が二度、救ってくれた命なのだ。
一度目は、暴動から。二度目は、つい先ほどこの姉から。
悔いが無いと言ったらウソになる。せめて、今はもう動かなくなってしまった大切な人に、一言だけ伝えたかった。
ごめんなさい、と。
もしもあの世という物があるのなら必ず伝えよう。許してもらおうとは思わない。
ただ、どうしても伝えたいだけ。わがままに他ならない。
こんなワガママな自分はきっと地獄行きになるだろう。そして、この優しい朱音は天国に行くのだろう。
でも、最後にもう一回くらいはこのワガママを聞いてもらえるといいな。
行先は別々でも、門をくぐる一瞬だけ。言葉と伝える時間が欲しい。
そんな事を考えていると、視界がまた暗くなった。
何故だろう、やっぱり怖くなって目を閉じてしまったのだろうか。
…最後まで、情けなかったなあ。
だが、いつまでたっても衝撃は来なかった。
「来い!―-ポチッ!」
指が一つ、パチンッと鳴る音がする。
ワン!
鳴き声が一つ聞こえる。
何か綿アメのようなものが、近づいてくるのが見えた。
そしてそれに、ペロっと。膝を舐められた。
特に酷く痛み、出血していた箇所だ。
だが、不思議と痛みは訪れて来ない。それどころか――
「え? 治ってる…?」
その綿アメは直ぐに僕の横を通り過ぎていき、後ろで倒れている朱音に駆け寄っていく。
そして、今はもう礫は粒子に戻り、傷口だけが残っている彼女の背中をペロペロと舐め始めた。
傷が、傷が――癒えていく。
あまりの不思議な光景に開いた口が塞がらないでいると、頭の上に何か暖かい物が置かれた。
「よく、頑張ったな」
声のした方を見上げる。
「健、志…?」
彼は僕の頭に手を置いたまま告げる。
「頑張った奴には、ご褒美が必要だよな。よし、俺が見せてやろう。ここから先は、アホな小物をぶっ飛ばして、坊ちゃまとあーちゃんは仲直り。そんでもって屋敷の奴らも呼んで楽しくバーベキューをする――そんな、ハッピーエンド一直線だ」
屋敷に入ってから先程まで、打ち付けるようにして響いていた雨の音は、いつの間にか鳴りやんでいた。




