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タマもない、鍵もない


 御冠は、東大寺にある。


 あるのだが、出すには宝蔵(ほうぞう)を開けねばならぬ。


 その宝蔵の鍵が、ない。


 ……またか。


 なんでもこちらも先年、盗人(ぬすびと)に鍵を紛失させられたのだという。


 盗まれた冠の代わりに、別の冠を出そうとしたら、その冠を納めた蔵もまた、盗人にやられていた。


 どこもかしこも、盗まれている。


 衆徒(しゅと)は評定した。天子の御物を納めた宝蔵を、破ってよいものか、と。もっともな話である。もっともな話ではあるが、議論しているうちに(とき)はどんどん過ぎてゆく。即位式は、待ってくれぬ。


 結局、昨日の(さる)の刻、戸を打ち破った。


 破って、御冠を引き出した。


 盗人に開けられなくされた戸を、こちらから打ち破って、中の物を取り出す。


 もはや何が正しいのか、私には分からぬ。


 御冠は、夜を徹して京へ運ばれ、本日、ようやく着いた。



 三月十七日。


 かねての約束のとおり、御冠の支度が調った。


 五百年前の、聖武天皇の御冠である。盗まれて(から)になった当代の御冠の、代わりである。形が同じかどうかは、私が「だいたい似てる」と申し上げた、あの御冠である。


 そして、即位式は行われた。


 雨は降った。行列は遅れた。あちこちで手順は乱れ、誰かが何かをしくじった。だが――行われた。


 新帝は、帝になられた。


 めでたし、めでたし。


 ……本当に、めでたしでよいのか。


 私は日記を閉じ——ようとして、やめた。


 (くじ)で、帝を選んだ。


 借り物の冠で、取り繕った。


 その冠の正しさは、私の「まあ似てる」が支えている。


 万世一系も、神国も、突き詰めれば、このありさまである。


 それでも、世は回る。帝はおわす。朝廷は、明日も動く。


 ……そういうものなのだろうか。朝廷というのは。


 いや。


 そもそも、だ。


 これほどの大事(おおごと)が、なぜ起きたのか。


 幼い帝が、女房を転ばせようと、廊下へ滑石(ろうせき)を撒いたからである。


 神国だの、万世一系だの、五百年前の御冠だのと、私が頭を抱えているこの一切は、元をたどれば、たった一掴みの滑石に行き着く。


 ……アホらしなってきた。


 帝。


 あなたという御方は、ほんまに。


 ……たいしたお方や。


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