まあ、似てるんちゃう?
御冠がないと即位できない。正確には即位式ができない。手順を踏まないと即位できないから同じことだ。
なんとかしないといけない。
御冠はない。ないからできないけど、できない理由を考えるのではなく、どうすればできるか考えよう。
朝廷は上も下も関係なく文字通り走り回った。走り回って走り回って、その末に、なんと聖武天皇の冠を東大寺から見つけ出した。実に500年前の御冠である。
寺と比べて朝廷の体たらくはなんとまあ、ただ嘆き悲しむばかりである……
さて、冠は見つかった。
見つかったが、問題が一つ残っている。
それは聖武天皇の御冠であって、当代の天子の御冠ではない。
五百年前の、別の帝の冠である。
形が違ったら、どうする。
即位の御冠には、御冠の決まりがある。寸法、形、いずれもいい加減には扱えぬ。違うものを頂いて即位なさったとなれば、それこそ後世に何と書かれるか分からぬ。
で、誰に訊くか、という話になった。
有職故実に通じた者に確かめねばならぬ。
……いやな予感がする。
「経高卿に伺おう」
ほら来た。
私である。
なるほど私は、先例だ礼法だと日頃やかましく言うている。言うているが、それは記録を引いて確かめられるからであって、五百年前の冠の形を諳んじているわけではない。
そんなもの、覚えているか。
御前に召し出され、問われた。聖武天皇の御冠と、当代の御冠は、同じ形か。もし同じであれば、模して用いてよいか。
私は御冠の図画を検めた。
検めたところで、分かるはずもない。何しろ年月が隔たりすぎている。比べるべき当代の御冠は、中身を盗まれて骨だけだ。聖武天皇の御冠も、私は今日はじめて間近に見た。
正直に申し上げた。
「イトモ覚悟仕らず」
まったく覚えておりませぬ、と。
権威が聞いて呆れる。
だが、ここで「分かりませぬ」で終わっては、即位式が止まる。帝のいない日がまた延びる。それだけは避けねばならぬ。
私は、もう一度御冠を眺めた。
……まあ、似てるんちゃう?
「大旨は、相似たるかと」
だいたい似ております、と申し上げた。
申し上げてしまった。
よいのか、これで。
よくはない。よくはないが、ほかにどうしようもない。
こうして、五百年前の他人の冠を、「だいたい似てる」の一言で当代の御冠と認め、新帝はこれを頂いて即位なさることに決まった。
万世一系の証は、盗まれて空になり、東大寺から借りた別人の冠で間に合わせ、その正しさを保証するものは、私の「だいたい似てる」であった。
……帝、ほんまに、なんという死に方をしてくださったのだ。




