先例爆誕である
即位式が済んで、しばらく経った。
あれから、いろいろあった。
関白が代わった。九条道家どのが執柄を辞され、二条良実どのに関白の宣旨が下り、氏長者の印が渡った。天下を動かす者が、すげ替わったのである。一大事だ。
その一大事の最中に、北政所が産気づかれた。
お産の穢れの前か後か、氏長者の印を渡してよいものか、皆でまた頭を抱えた。天下の権柄の受け渡しが、お産の日取りと取り合いになったのである。
まあ、よい。なんとかなった。
ならぬことなど、ないのだ。たぶん。
……というようなことを、私は今日も日記に書いている。
*
ふと、手が止まった。
私は、なんのためにこれを書いているのか。
後の世の誰かが、これを引くためである。
いつかまた、誰も想定せぬ事態が起きたとき――たとえば、幼い帝がうっかり滑って崩御なさるような、前代未聞の椿事が起きたとき。その誰かは、記録所へ駆け込んで叫ぶだろう。
「先例を探せ。どの御代かは分からぬ。分からぬから、全部だ」
そして、私のこの日記を、引っ張り出す。
……あ。
思い出した。私はこの一連の始まりに、こう書いたのだった。
——先例がなければ、作らねばならない。だが、新しいことをしたと後世に書かれるのは、できれば私ではない方がよい。
私やったわ。
空になった御冠を、別の帝の冠で埋めたように。
私の書くこの愚痴もまた、いつか誰かの穴を埋めるために、引っ張り出されるのだ。先例として。借り物として。神妙な顔で。
万世一系も、神国も、即位式も、関白の代替わりも、煎じ詰めれば、これである。
誰かの残した記録を、次の誰かが引いて、なんとか間に合わせてゆく。
借り物を、また貸す。
その繰り返しで、世は回っている。
いや——その繰り返しが、世を回している。
私は筆を執り直した。
帝。
あなたが撒いた滑石、たった一掴み。
あれが巡り巡って、こんな日記になりました。くだらぬ愚痴のはずが、ありがたい先例になるそうです。
……まあ。
だいたい、そういうものなのでしょう。朝廷というのは。
明日のぶんを、書かねばならぬ。
原作『平戸記』




