ミカドセレクション
主上の死は、すぐに鎌倉へ伝えられた。
わずか十二歳での事故死である。
幕府も頭を抱えたらしい。
そりゃそうや。
承久の乱から二十年。
あの乱では、後鳥羽院・土御門院・順徳院の三上皇が、そろって都を追われた。
幕府はその三人の子孫をひとまず皇位から遠ざけ、後鳥羽院の兄にあたる守貞親王の家から、新しい帝を立てた。
守貞親王の皇子が、後堀河院。
後堀河院の皇子が、今度滑って崩御なさった四条院である。
つまり四条院は、承久の乱の後に幕府がわざわざ選び直した、安全な皇統の二代目だった。
「これでもう、京の天子が関東へ弓を引くことはあるまい」
鎌倉も、そう思っていたに違いない。
その皇統が、滑石一つで絶えた。
あのアホの子のせいである。
しかも四条院には、皇子がいない。
次の帝を立てようにも、守貞親王の家には、もう適当な男子が残っていなかった。
結局、幕府が二十年前に皇位から遠ざけた三上皇の子孫へ、もう一度戻るしかない。
私も泣きたい。
さて、次の帝を誰にするか。
有力な候補は、二人いた。
一人は、順徳院の皇子・忠成王。
順徳院は、承久の乱でたいそう積極的に幕府へ弓を引いた御方である。その皇子を帝にするなど、鎌倉が喜ぶはずがない。
しかし都では、忠成王を推す者が多かった。
何より、関白九条道家が忠成王を推している。
道家は四条院の外祖父であり、鎌倉将軍の父でもある。朝廷にも幕府にも顔の利く、天下でも有数の権力者であった。
そして忠成王とは、姻戚でもある。
道家が推す理由は、よく分かる。
よく分かるが、幕府が嫌がる理由も同じくらいよく分かる。
道家、少しは空気を読め。
もう一人は、土御門院の皇子・邦仁王である。
土御門院も承久の乱の後に都を離れたが、乱そのものには積極的ではなかった。その皇子であれば、幕府もまだ受け入れやすい。
都の道家は、忠成王。
鎌倉の幕府は、邦仁王。
四条院の亡骸は、まだ御所にある。
だが葬儀より先に、次の帝を決めなければならなかった。
帝のいないまま、先帝を葬るわけにはいかない。
あのアホの子は、死んでからも皆を待たせていた。
気の毒だとは思う。
思うが、こちらも困っている。
早く決めなければ、帝のいない日が続く。
悲しみ恐るべき事態である。
希代のことである。
……要するに、とにかく早く決めないとヤバい。
いや、それより前に、どうしても腑に落ちぬことがある。
次の帝を、関東が決めるという。
末世の極みである。悲しむほかない。
天子の位の行く末など、本来、凡夫の考えの及ぶところではない。
我が朝は神国である。異域の風とは違う。
天地が開けてこのかた、国常立尊より下、次の帝は代々、先の帝がお定めになってきた。臣下が議して定めた例など、光仁・光孝の御二代きりである。それとて、天下を安んじるためのやむを得ぬ計らいであった。
ところが今度は、その群議ですらない。
異域の蛮族と変わらぬ身が、誰を帝に立てるかを、計り申しているのである。
御歴代の御霊は、これをどう御覧になっておられるか。
恐ろしいことだ。
……神国やぞ。
なんで武家が、帝を決めとるんや。
鎌倉では、ついに籤まで引いたという。
こうして選ばれた邦仁王が、のちの後嵯峨天皇である。
籤引き天皇、爆誕であった。
後半のボヤキは『平戸記』という史料を元に書きました。




