第五話 デモンファントム
地の底から響く振動と、身体の芯を貫く不快な気配。
周囲の温度が急に下がったような悪寒に、俺はもとよりグレンやガロ、アリッサも素早く身構えていた。
「……来るぞ!」
グレンがそう叫んだ瞬間、石の床から伸び上がるようにして薄紫の人影のようなものがその場に現れた。人に似た形をしている事は分かるが、全体が半透明なうえにぼんやりとしていて、 視認しづらいことこの上ない。
初めて見るそれに俺が目を凝らしていると、魔法の杖を構えたアリッサが叫ぶ。
「まずいわ……こいつ、デモンファントムよ!」
聞き慣れないモンスターの名を彼女が口にした途端、グレンとガロの表情が同時に強張ったのが見えた。どうやらこのモンスター、調査隊の三人にとっても厄介な手合いのようだ。
「ここまで来て簡単には引き下がれんだろう! やるだけやってみるしかない!」
グレンは長剣の柄を握り締め、床を蹴ってデモンファントムと呼ばれる魔物へ斬りかかる。だが刃は空しく空を切るばかりで、さしたる影響も与えられていない。
「これならどうだ! うおおおおおお!!」
続くガロは斧に小瓶の水を振りかけ、姿の見えづらい敵めがけて上段から斧を叩き付ける。だがデモンファントムは瞬時に霧のように霧散し、少し離れた場所に音もなく移動していた。
ガロは続けて二度、三度と攻撃を繰り出すが、その刃が届くことは無かった。
「――雷よ貫け!」
アリッサの構えた杖の先端から、青白い閃光と同時に一筋の稲妻が走る。
それは正確にデモンファントムを貫いたように見えたが、影のようなシルエットがわずかに揺らいだだけで、やはり撃退するような威力は発揮できない様子だった。
「な、なあ、デモンファントムってなんだ? 俺は初耳なんだが……」
焦りの表情を浮かべるアリッサの横で、俺はそっと尋ねてみる。
彼女は視線を前に向けたまま、忌々しげに言った。
「名前の通りよ。あれは魔族の魂が亡霊となって彷徨い出した怪物なの。
肉体は滅んでも、その強い魔力は滅んでいない。
そして見ての通り、普通の攻撃や魔法がちっとも効かないのよアイツは」
「てことは……これって、かなりまずい状況なのでは」
「ええ、その通りよ!」
デモンファントムはゆらりと動き、反撃の動きを見せた。
その気配を察知してグレンとガロが身構えた瞬間、突如として虚空に巨大な手が出現し、ナイフのように鋭い爪を振り下ろしてきた。
とっさに武器で防御する二人だが、その速さと勢いに吹き飛ばされてしまう。
「くっ……このスピードとパワー、やはり……!」
「ああ、まともに相手してたんじゃ分が悪いぜ!」
彼らの様子を見て、俺はようやく状況が呑み込めてきた。
デモンファントムはゴースト系の魔物であり、実体が無い。それゆえに人間の側からの一般的な攻撃は届かないが、向こうからは攻撃の瞬間だけ、身体の一部を実体化させることが可能らしい。
そしてパワーとスピードは亡霊とて魔族の名に恥じぬ強さを備えているようだ。
(おいおい、いくらなんでも卑怯だろそりゃ。どうやって対抗するんだよこんなの)
嫌な予感に冷たい汗が頬を伝うのを感じたその時、アリッサが両目を吊り上げて叫ぶ。
「あーもう! シンシアさえいれば聖魔法でこんなの余裕だったのに!
誰かさんのせいで大ピンチじゃないのまったく!」
アリッサの刺すような視線は全身鎧のグレンに向けられている。
「な、なんだとうっ!?」
顔を引きつらせてアリッサの方を見るグレンに、彼女はさらに畳みかける。
「昨日の夜にあんたらがしょーもない痴話喧嘩したせいで、
シンシアが探索に行きたくないとか泣き出したんでしょーが! 責任取れッ!」
本当にしょーもない理由だったので、俺も開いた口が塞がらない。
「こ、こんな時に責任とか言われても、俺にどうしろと言うんだッ!」
グレンの口調は歯切れが悪く、視線も逸らし気味である。
その態度にカチンと来たのか、アリッサはズビシと指を差して声を張り上げた。
「いつまでもお子ちゃまみたいな恋愛してないで、
さっさと押し倒してキメときゃよかったのよ! あーもーじれったい!」
足をダンダンと踏み鳴らしてぷんすこ怒るアリッサの姿には、最初に感じたデキる女の威厳はまるで感じられない。
(酔ったおっさんみたいなコト言い出したよこの人!?)
さすがにこれ以上は和が乱れると思ったのか、ガロが苦笑しながらアリッサに声をかける。
「ま、まあまあ。人にはそれぞれペースってもんがあるんだし、
他人の恋路に口を出すのはどうかと思うぞ」
すると今度はガロの方にギンッと血走った目を向け、アリッサは怒鳴る。
「うるっさいわね! こんなつまらない死に方なんてあたしは御免なのよ!
それともガロ、あんたは恋人の私がこんな若いうちに死んでも平気なワケ!?」
「い、いやそんなことは無いッ! とにかく落ち着けアリッサ!」
どうやらアリッサとガロも良い仲だったようだ。
それはともかく、状況は極めて不利である。
よりによって亡霊系のモンスターに有効打を与えられるメンバーがこの場にいないのだ。
「……!」
その時、デモンファントムの身体から強い魔力の波動が放たれた。
空間を伝播した黒い波動は逆再生の如く収束し、一点に凝縮。
黒い塊のようになったそれが砕けた瞬間、破片が弧を描く無数の刃となって周囲に飛び散った。
「うおっ!?」
「ぐっ……!」
「きゃあっ!?」
おそらくは魔族の扱う闇魔法のひとつであろう攻撃は、見かけだけのものではなかった。グレンの鎧は鋭利に切り裂かれ、ガロは避け損ねて脇腹に傷を負い、アリッサもかすり傷程度だが負傷してしまっていた。
俺はどうにか難を逃れたが、誰が見てもこの状況は絶体絶命のピンチである。
(ま、まずい……さっきの攻撃をもう一度食らったら全滅だぞ。どうする……!?)
俺自身に魔族や亡霊系の魔物に対抗する技や魔法は無い。
あるのはただひとつ、ゴールドを攻撃力に変えるというヘンな能力だけだ。
「おいカーネ、出てこい! 大変まずい状況になった!」
俺が右腕に嵌った金の腕輪に声をかけると、今まで目立たないようにと隠していたカーネが姿を現す。
「はぁいロック、どうしたの?」
「ヤバい魔物と出くわしちまったんだよ。
実体が無くて、普通の攻撃じゃ奴を倒せねえ。どうすりゃいい!?」
カーネはデモンファントムの方を見て、それからすぐに俺の顔を見て言った。
「えっと、倒せるわよアレなら」
「な、なんだと? おい、アイツを倒せるって本当か!?」
「うん。おカネさえあれば、だけど」
すぐには理解が追い付かない返事だったが、ここで取り乱している場合ではない。
俺は小さく深呼吸して、もう一度カーネに尋ねた。
「なあ、どういう理屈でそうなるのか、手短でいいから説明してくんねーか?」
じっとカーネを見つめると、彼女は少し言葉を選ぶようにして話し始める。
「私の能力はゴールドを攻撃力に変えるものなんだけど、
言い方を変えると『金額分の攻撃力を担保する』っていうか……
相手が誰でも払った金額分のダメージは必ず与えられるようになってるのよ」
「すると……奴みたいな亡霊相手でも、カネさえ払えばお構いなしってことか!?」
「ええ、そういうこと」
その話を聞いた途端、俺の腹の底から沸々と感情が湧き上がる。
実に不便で効率の悪い能力だと思っていたが、こうなってくると話が違う。
カネ次第だが俺一人であらゆるモンスターと戦えるというのなら、今まで除外してきた様々な手段が実用性を帯びて立ち上がってくる。
「くっくっく……だーっはっはっは!
そういう大事なことは最初に言いたまえよカーネくん!
俺は少し、キミのことを誤解していたようだ」
「どうしたの急に? 悪い人みたいな笑い方しちゃって」
「ふふふ、まあ見ておきたまえ俺の冴えたやり方をよー。
とりあえず、デモンファントムの耐久力を教えてくれるか?」
「ええと……あの魔物の耐久力は5000ってトコ。見た目よりずっと手強そうね」
「なるほど5000ゴールドか。よし」
俺はニヤリと笑みを浮かべ、満を持して一歩前に躍り出た。




