第四十三話 腐った魔獣
問題の地下五階に辿り着くと、周囲の状況が一変した。
このフロアから突然モンスターが強くなるのは以前から知られた事だが、辺りには無数のモンスターの死骸と、同じくらいの数の兵士の死体が転がっている。
死体の状況から、激しい戦闘があったことは容易に想像できた。
「これは……ひどいな」
目を覆いたくなるような惨状を前に、グレンは険しい顔つきで呟く。
注意深く兵士の死体を眺めてみるが、その中にシンシアやゼニンスキーらの姿は見当たらない。
「奥の方から魔力と空気の乱れを感じるわ。連中は先を進んでるみたいね」
シンシアがさらに下層への階段を見つけ、俺たちはダンジョンの更に奥を目指す。
ダンジョンの六階、七階は五階とあまり変わらない造りの迷宮だったが、地下八階に辿り着くと、これまでの階層と様子が違って来た。遥か高い天井の空間が広がっており、そこに大きな柱や建物が乱立した街並みがすっぽりと収まっていた。
「なんだここは……本当にダンジョンの中か?」
地底に広がる都市を前に俺を含めた全員が驚いていたが、目の前に続く街道の先には、ひときわ目立つ大きな施設のようなものがあった。
形状は円筒形で外壁は柱とアーチを組み合わせたような形をしており、高さ五十メートル近くもある巨大な建造物だ。そして無数の足跡がそこへ延びており、俺たちもそれに続いて巨大な建造物に近付いた。
大きな城門のようなアーチをくぐると、中は砂が敷き詰められた広場となっていて、円筒の外周に沿った五、六メートルほどの壁の上に、観客席らしきものが何段にもわたって並び、すり鉢状に広がっている。
俺たちが警戒しつつ広場の中央までやってくると、どこからか拍手の音が響いて来た。
「あれは――!?」
アリッサが指した方を見ると、外周の高い位置にあるステージのような場所に、見覚えのある二人の姿が現れる。
ゼニンスキーとシンシアだった。
二人の頭上には大きな四角いパネルがあり、理屈は分からないが二人の姿が拡大されてそこに映っている。ゼニンスキーはいつもの不敵な笑みを浮かべ、シンシアは顔を背け、目線を落としうつむいている。
「いやはや、実に見事だよ諸君。まさかここまで辿り着いてしまうとは。
だが……誰が追ってきていいと言ったのだね、騎士グレンよ」
冷ややかな目線を向けるゼニンスキーに、グレンは一歩前に踏み出し顔を上げる。
「お言葉ですが公爵、表はモンスターが溢れ大変な騒ぎとなっております。
早急に軍勢を引き上げ鎮圧に当たってください。メルカトルの街を守るのは
あなたの務めのはずだ!」
「……グレン。いつから君は私に指図できるようになったのかね。
貧乏貴族のせがれが、思い上がりも甚だしい。
そもそも誰のおかげで、君は騎士を名乗れていると思っているのだ」
「そ、それは……」
「冒険者の務めを忘れてこんな場所まで来たばかりか、私に楯突いた罪は重いぞ」
威圧的なゼニンスキーの言葉に、グレンは汗を滲ませ奥歯を噛みしめている。
公爵と騎士という関係の間には、様々なしがらみが横たわっているようだ。
「な、ならば! 公爵は地上が……メルカトルの街が魔物の襲撃を受けても
構わないとおっしゃるのか!」
そう返すグレンの言葉に、ゼニンスキーはキザったらしく髪を撫でつけて笑う。
「私は全て計算ずくで動いている。当然、今回の作戦もそうだ。
伝説の黄金郷……それを手に入れれば、あんな町のひとつやふたつ建て直すことなどわけもない。偉大な事業の前とあらば、多少の損害には目を瞑るものだ」
「な、なんだと!? あなたは自分の目的のために、街の民に犠牲になれと言うのかッ!」
「くどいぞグレン。それに君は、そんなことを話すためにここへ来たのではあるまい」
「うっ……!」
「知りたいかね? なぜ彼女が……シンシアが私と一緒に居るのか」
ねちっこく笑うゼニンスキーの隣で、シンシアはうつむき唇を噛んでいる。
「話してやってもいいが、先に君たちには罰を与えよう。
後ろにいるネズミたちも含めてな、ふふふ」
ゼニンスキーがパチンと指を鳴らすと、俺たちが通ってきたアーチに鋼鉄製の扉が落ち、逃げ道を塞がれた。そして正面には最初から落ちている巨大な扉があり、それが地鳴りのような音とともにゆっくりと引き上げられていく。
その途端、鼻を突く凄まじい腐臭が周囲に立ち込める。
「おええっ!? なんてひどい臭いだ!」
吐きそうになるほどの強烈な臭いを浴び、その場の全員が鼻と口を押え青ざめる。特に人狼であるエミリアは臭いに敏感なせいか、眩暈を起こしてその場に座り込んでしまった。
――ギシャアアァァァァッ!!
奇怪な声を発して姿を現したそれは、体高十メートル、体長は尾を含めて二十五メートルはあろうかという、身体中を黒っぽい剛毛に覆われた巨大な獣だった。
だが、その全身は腐って異臭を放ち、所々の肉が崩れて白骨が剥き出しになっている。顔面には毛がなく、サルやヒヒに似たような顔つきで鋭い牙が顎から伸びている。
周囲には大量のハエが飛び交い、身体の表面には無数のウジがもぞもぞと蠢く。
それは見たこともない魔獣が腐り果てた怪物――ロトンビーストだった。
「ちょうど今、部下に先への通路を探させている所でね。
それが終わるまで、私はここでショーを見物させてもらうとしよう。
せいぜい楽しませてくれたまえよ諸君」
ゼニンスキーの腹立たしい顔が、四角いパネルに大きく映し出される。
目の前のロトンビーストは、一歩ずつ前進するたびに腐った肉が落ち、周囲に撒き散らしていく。
あんなものに触れたが最後、病気をもらってお陀仏である。
そしてシンシアが仲間にいない今、間合いを保ったまま戦えるのは魔法使いのアリッサしかいない。
「ああもう、嫌になるわね。私はこういう汚らしい怪物はキライなのよ!」
アリッサは人間の胴体よりも巨大な火球を作り出し、ロトンビーストの頭部へ放つ。直撃した火球は一気に炸裂して炎が飛び散り、剥き出しの頭が炎に包まれ炎上する。
――ギイイイイイィィィィ!!
耳障りな声を発したロトンビーストは頭部を振り回し、頭を地面に擦り付けて火を消そうとする。
その摩擦で顔面の半分ほどの肉と骨が削げ落ちてしまい、割れた頭蓋骨から脳みそや目玉といった部分が剥き出しになり、非常にグロテスクな姿を晒していた。
「うぷっ……き、気持ち悪い……!」
それを直視してしまったアリッサはまた口元を押さえ、青い顔をして後ろによろめく。地面の砂を浴びて火を消し止めたロトンビーストは、焼け爛れた顔でアリッサを睨み、白骨が剥き出しになったアゴを大きく開き吠えた。
すると喉の奥からドロドロに溶けた汚物と、凄まじい悪臭を放つガスが噴射された。俺とエミリア、グレン、ガロは咄嗟に走り抜けてガスを避けたが、吐き気を催していたアリッサは逃げるのが遅れてしまい、例えがたい色をしたガスの中に飲み込まれてしまった。
「アリッサ!!」
ガロが叫ぶと、緑や紫や黒といった色がない交ぜになった汚物とガスの中から、球体のシールドを展開したアリッサの姿が浮かび上がる。
シールドはガスや汚物を弾いているようだが、中にいるアリッサは口を押さえ、顔に脂汗を滲ませている。どうにかその場から後ろへ跳躍して汚物の中から脱出したアリッサだが、着地した途端に膝を付き、彼女を守っていた魔法のシールドも砕けてしまう。
「おいっ、大丈夫か!? しっかりしろ!!」
すかさずガロが彼女に掛け取り身体を支えるが、アリッサの顔色は真っ青になってしまっている。
「ご、ごめん……防御が遅れて……少し吸い込んじゃった……」
腐り切った獣の体内に溜まっていたガスとなれば、どんな毒が含まれているか知れたものではない。
そして実際、生き物にとって有害なのは間違いないようだ。
「このままじゃジリ貧だな……
おいグレン、俺が牽制するから一撃ぶち込んでやれ!」
まだ顔色の悪いエミリアを後ろに下がらせた俺は、そう叫んでロトンビーストに向かって走り出す。
見れば見るほど気色悪いこの化け物は、近付いて来る俺に気付くと、鋭い爪の生えた前足を振り下ろしてきた。肉の一部が剥がれて軽くなっているせいか、見た目以上に攻撃のスピードが速い。
俺は前足の攻撃をかいくぐってロトンビーストの左横に出ると、腰に括り付けていたビンを抜き、瓶の口から伸びた布に、地面に残っていた炎魔法の残り火を移して投げつけた。
――ガチャン!
砕け散ったビンの中身の液体が飛び散り、それが火の付いた布に触れた途端、激しく燃え上がってロトンビーストの左前足と顔面の半分を焼いていく。
ロトンビーストはさっきと同じように不快な声を発してのたうち回るが、今度の炎は魔法と違って燃料油によるもので、そう簡単に消えることは無い。
「今だグレン!」
俺が叫ぶとグレンは「おうッ!」と声を張り、走りながら剣を振り上げてロトンビーストに斬りかかった。
――ズバッ!
気合いを込めた一撃は右前足を切り落とし、バランスを崩したロトンビーストは頭から突っ伏すように倒れ込む。
「このままトドメを刺してやる! うおおおおおッ!」
好機と見たグレンはがら空きになった首筋に剣を突き刺したが、その直後にハッと険しい表情を浮かべていた。
「なんだ……?」
様子がおかしいグレンの方をじっと観察すると、突き刺したはずの剣が、どういうわけか途中で止まっている。それどころか徐々に押し返されているようで、剣を握るグレンの手が震えている。
「ぐっ、これは……!?」
グレンが剣を引き抜くと、刺した傷口から白く細長いものが一緒に引きずり出された。剣先に噛みついていたそれは、グレンめがけて飛び掛かる。
そいつはひも状の身体に鋭い牙を生やした、寄生虫らしき生き物だった。
グレンは回避が間に合わず、寄生虫の牙が金属の鎧に食い込む。
「こいつ、身体の中に虫を飼って……!?」
鎧に食らいついた寄生虫は激しく身体をくねらせ、一部を食いちぎってしまう。
グレンはロトンビーストの身体を蹴り、その反動で後ろに飛び退くが、首の刺し傷や切断した腕の断面からも、無数の白い寄生虫が這い出してきていた。
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