第二十一話 死者の森の吸血鬼
「――!?」
突如、土の中から飛び出してきた手が俺の足首を掴んだ。
俺がバランスを崩してその場に尻もちを付くと、さらに土を突き破って這い出して来る者の姿があった。
それは全身の毛が焼け焦げながら、しっかりと原型を残した人狼であった。
「い、行かせ……ない……ニンゲンは、近付けてはならぬと……!」
俺の足首を掴む人狼は鬼気迫る声で言うが、そのダメージは深刻なようである。
実際、土から上体を出した所で動きは止まり、そのまま俺の身体に覆い被さるように倒れ込んできた。
俺の鼻には毛や肉が燃えた時の、不快な臭いが漂ってくる。
「こいつまだ生きていたのか、トドメを――!」
こっちに駆け寄ってきたガロは斧を人狼の首元に振り下ろそうとしたが、俺はすかさず手を突き出して制止する。
「待った!」
あと数センチで人狼の首に刃が届くという所で、斧はピタリと止まる。
一切のブレも起こさなかったのは、さすがに戦士の腕力といった所だろうか。
(てか、斧が俺に当たったらどうするつもりだったんだコイツは)
などと怒りを胸の奥にしまいつつ、俺は倒れ込んできた人狼の顔をもう一度見る。負傷によって意識を失ったのか、人狼は徐々にその姿を変えていく。
恐ろしげな獣の顔から人の顔へと戻り現れたのは、長い黒髪の女だった。
まだ身体は半端に変身が残っていて、顔も半分以上が髪に隠れてよく見えない。
「これが人狼の正体か……」
俺は女の下から抜け出し、うつ伏せに倒れたままの姿をじっと見る。
「おいロック、なぜ止めた。相手が女だからスケベ心でも出したんじゃなかろうな」
ガロは斧を肩に担いだまま、不審の滲む目を向けてくる。
森に入る前の一件をまだ根に持っているのだろうか。
「違う、フェアじゃないからだ」
「なんだと? 貴様、魔物の肩を持つ気か」
「こいつ、さっき帰れって喋ってただろ。
わざわざ警告してきたのを無視して居座ったのはこっちなんだ。
こっちも犠牲は出てないし、魔物だからって一方的に殺すのは賛成できないね。
俺は殺し屋じゃなくて冒険者なんだよ」
仮にこの人狼が汚らしいおっさんの姿だったら、同じセリフが言えたかどうかは謎である。しかし話が通じるかもしれない相手をむやみに殺せば、後でどんな遺恨が生まれるか知れたものではない。
「それともアンタ、こいつを殺したせいで吸血鬼が街に攻め込んでくるとか考えなかったのか?」
「うぐっ……」
痛い所を突かれ、ガロは顔を引きつらせながら斧を引っ込める。
「どうせこの怪我じゃ当分は動けないさ。
こいつに構ってないで、吸血鬼に会いに行こうぜ。後は親玉の出方次第だろ」
俺はズボンに付いた土を手で払い落すと、吸血鬼の居城へと足を向けた。
城は静かで、入口であろう大きな門も閉じたまま沈黙を続けている。
「さてと。ここまで来たはいいが、どうやって中に入ったもんかね」
門の作りは頑丈で、これを力ずくでこじ開けようというのは骨が折れそうだ。
かといって城壁は高く頑丈で、他に入り込めそうな場所も見当たらない。
門を見上げる俺の後ろに治療を終えたグレンたちも並んで集まって来たが、連中も城門を見上げるだけで良い考えは無さそうだった。
「ちなみに、この門を魔法でブチ破ったり出来そうか?」
物は試しとばかりに俺はアリッサに聞いてみるが、彼女は首を横に振る。
「ムリね。見た目じゃわからないけど、この城には恐ろしいほど強力な防御結界が施してあるわ。半端な攻撃や魔法じゃ跳ね返されちゃうし、それこそ命と引き換えにしても破れるかどうか分からない。
この結界を作った術者は、それこそ歴史に残るクラスの大魔法使いよ」
軽く聞いてみただけが、とんでもない返事が返ってきてしまった。
早い話が、力ずくでの突破は不可能だということだろう。
「それこそロック、あなたの不思議な力でどうにかしたら?
さっきの炎魔法だって、並みの人間がまともに扱えるようなものじゃないのよ。
魔法使いでもないあなたがそんな力を行使できるなんて、ハッキリ言って今すぐ取り押さえて全部白状させたいくらいなんだから」
ギラリと瞳を輝かせて俺を見るアリッサは、獲物を狙う肉食獣のようである。
彼女の興味が俺に向いているせいで、ガロは後ろで泣きながらハンカチを噛んでいる。
乙女かお前は。
「はあ、せっかくここまで来たのに打つ手なしかよ。
仕方ない、ここはひとつ普遍的かつ伝統的な方法でやってみるか」
などと言いながら、俺は目の前の大きな扉をゴンゴンと右拳で叩く。
「ごめんくださーい。東の方から来たんすけどー」
グレンたち四人はズッコケていた。
「ちょっとロック! あんたなにアホなことしてんのよっ!」
アリッサはすかさずツッコミを入れてくる。
前々から思っていたが、彼女はなかなかノリが良い性格でもあるようだ。
「失敬な。力押しでダメなんだから、ちゃんと挨拶すれば反応があるかもしれんだろ」
俺が腕を組んで城門に目をやったその時、どこからか妙な声が聞こえて来た。
「古の腕輪を携えし人間よ……我が元へ来るがよい……」
それは周囲に響くものではなく、俺の心の中に直接聞こえてくる声だった。
「な、なんだ? 頭の中に声が……!」
気味の悪い現象に驚いたその時、さらに驚く現象が起きた。
突然目の前の扉がわずかに開いたかと思うと、その間から巨大な腕が現れたのだ。
「うわっ!?」
腕は見た目にそぐわぬ速度で俺の身体を掴むと、一気に扉の向こうへと引きずり込んできた。背後でバタンと扉の締まる大きな音が聞こえたが、俺はただ深い闇の中を運ばれていった。
「うっ……」
気が付くと俺は、高級そうな赤い絨毯の敷かれた部屋に倒れていた。
起き上がって身体を確かめてみるが、特に持ち物を取られたり怪我をした様子はない。部屋の中を見回すと、薄暗いが高級な装飾品で飾り付けられ、部屋の奥には座り心地の良さそうな大きい椅子に、何者かが腰掛けてこっちを見ている。
「お、お前が死者の森の吸血鬼か……?」
そう尋ねると、壁に掛けてあった燭台のロウソクが勝手に灯り、部屋の中を照らし始める。そして俺の前に浮かび上がったその姿は、漆黒の闇を思わせる高級な衣服に身を包み、赤い薔薇のような長髪、そして端正な彫刻のように美しい顔立ちをした男だった。
美青年という言葉は、まさにこの人物のためにあるのだろうと思うような、妖しい気配と雰囲気を周囲に振り撒いている。
「いかにも。我が名はヴィクター・ドゥ・エム……ようこそ我が城へ。
歓迎するよロック君」
「どうして俺の名前を知ってるんだ?」
「ふふ……こんな森の奥では娯楽が少ないのでね。
色々と人間の噂なども集めたりしているのだよ」
そう言った彼の玉座に、暗がりから飛んできたコウモリが止まる。
こうした動物も彼の眷属ということだろう。
「てことは、森に入ってから俺たちの行動は筒抜けだったってことかよ」
「悪く思わないでくれたまえ。我らの寝所を侵す人間があれば、それを見張るのは当然のことだ」
心の中まで見透かされそうな甘い声と、血のような真紅の瞳。
この男と向き合っているだけで、徐々に正気が蝕まれていくような気分になる。
「で、俺だけここに呼んだ理由はなんなんだ?」
俺は話題を変えつつ、いつでも走り出せるようにと意識していたが、ヴィクターと名乗った吸血鬼はフッと笑みを浮かべる。
「そう身構えなくとも、私は君に危害を加えるつもりはない」
「……それを信じろってのか?」
「理由はいくつかある。まず最初に、私の部下を見逃してくれたことについて感謝しておこう」
「表の人狼女はやっぱりあんたの仲間か。はぁ、止めといて正解だったぜ」
「有能な部下というものは得難いのでね。
彼女を失えば代わりを見つけるのに百年はかかる所だった」
ヴィクターの言う通り、あの強さの魔物はそうそう見つかるものではないし、主に忠実であるという部分も含めると、かなり限られてくるだろう。
逆に言えば、あの人狼の女を殺していたら強く恨まれていた可能性が高い。
俺は自分の選択が正しかったことに安心しつつ、ヴィクターに尋ねる。
「それで……他の理由といえば、やっぱりこいつか?」
そう言って俺が右腕に嵌まった金の腕輪を見せると、椅子に座ったままの吸血鬼は口の端を持ち上げる。
「そうだ。こうして腕輪を直接見るのは、実に千年ぶりくらいか」
「せ、千年……!? この腕輪、そんな昔から存在してんのか!?」
「……君はその金の腕輪がどんなものか知っているのかね」
「いや全然。魔神ゴルドーの遺跡で見つけて、触ったら呪われちまったんだよ。
おいカーネ、出て来い」
俺が呼ぶと腕輪が光り、飛び出した光の塊が金色の妖精へと姿を変える。
「ロック、この人は?」
カーネは俺の隣で浮きながら、ヴィクターを見て言う。
「我が名はヴィクター。こうしてお会いするのも随分と久しいな、金色の姫君よ。
姿は小さくとも、その美しさは変わっていないようだ」
ヴィクターが丁寧な挨拶をするのを横目に、俺はカーネに目を向ける。
「おいカーネ、お前はこの吸血鬼を知ってるか?」
「ううん、覚えがないわ。ヘンね……」
カーネが首を傾げると、ヴィクターは懐かしそうに目を細める。
「私が会ったのは、彼女がこの姿になる前のことだ。
覚えていないのも無理はない」
ヴィクターの言葉が真実だとすれば、この吸血鬼は少なくとも千年以上は生きている事になる。千年も生きた魔族など、他に記録がないくらいの大魔族と呼ばれてもおかしくない存在だ。
俺は嫌な汗が出てくるのを感じつつ、一番の疑問を投げてみることにした。
「ヴィクター。あんたはカーネがどこの誰で、この金の腕輪が何なのかも全部知ってるんだな?」
「ああ、知っているとも。だが私と彼女の過去を語るには、色々と前置きをしなければならない。その前に……ロック、君はもうひとつの腕輪も持っているはずだ。
それに宿る娘もここに呼びたまえ」
当然ではあるのだろうが、ヴィクターは銀の腕輪の事も知っていた。




