第十一話 マグロ漁船
鉱山での一件からおよそ一ヶ月。
俺は貿易都市メルカトルの東の沖合に浮かぶ船の上にいた。
乗組員は船長と俺を含めた総勢十人。船としては中型規模のものだ。
見渡す限りの海を眺めつつ釣竿を握り、俺は船の縁で糸を垂らしている。
もちろん、これは遊びでやっているわけではない。
「おいロック、エサは用意できたのか!」
「へーい、ただいま」
手応えの返って来た釣竿を引き上げ、針にかかったイカを取って無数の魚が入ったバケツに放り込むと、俺はバケツを声の主に渡す。
年齢は五十過ぎ、角刈りにねじり鉢巻き、白いシャツに胴長を履いた渋い顔つきのこのおっさんが、俺が乗るマグロ漁船の船長ワタリその人だ。
ワタリのおっさんは俺が釣ったイカを大きな釣り針に引っ掛け、これまた大きな釣竿を振り上げ、はるか遠くの海面にぶん投げる。
しばらく波に揺られながら様子を見守っていると、釣り竿が真っ二つに折れそうなくらいに大きくしなった。
「掛かった!」
同じように釣り竿を見守っていた船員の誰かがそう叫ぶ。
ワタリのおっさんは竿を引き、勢いよくリールを巻き上げ始める。
水面下でなにが起きているのかは分からないが、釣り糸は左右に大きく動き回り、ワタリのおっさんも糸を切られまいと竿を動かしている。
「ソイヤッ! セイッ!」
妙な掛け声と共に、針に掛かった獲物との駆け引きが繰り広げられる。
やがて水面下に獲物の姿が見え始めると、船上でわあっと歓声が上がる。
「ッッシャアアアァァァーーーッ!!」
掛け声一閃、ワタリのおっさんは見事にその巨大な魚――マグロを釣り上げた。
船に引き上げられたマグロはすぐにシメて血抜きを行い、氷で満たされた保存庫に放り込まれる。
そうしてさらに数匹を釣り上げた所で貯蔵庫も一杯となり、俺が乗るマグロ漁船は港目指して舵を取った。
「へっへっへ、今回の漁は順調だったなあ。
この分なら今月の給料は8000ゴールドくらい行くはずだぜ」
俺の隣で一本歯が欠けた口を開けて笑うのは、坊主頭に口ひげを生やしたゲンさんである。肉体労働で鍛えたであろう大柄な体格も合わさって、飲む打つ買うという言葉がやたらと似合う。
実際、陸に戻った時は数日のうちに稼ぎの大半がどこかへ消えていくのだという。
「稼ぎが良いのは確かだけど、俺の場合は自動的に引かれて消えちまうんだよなあ……」
一ヶ月働いて8000ゴールドの収入というのは、結構な高給の部類である。
だが多額の借金を抱えた俺の場合、8000ゴールドのうち7000ゴールドを引かれ、実際に受け取れるのはわずか1000ゴールドだけだ。
「理不尽だ、この世は理不尽に満ちているッ!」
俺が拳を握り締めてわなわなと震えていると、ゲンさんは二ッと笑って俺の背中を大きな手で叩く。
「兄ちゃん、確か10万ゴールドの借金こさえちまったんだってなぁ。
結構な大金だが、この船で1年も真面目に働けば返せる額だぜ」
「ええいッ、俺の貴重な青春を、こんなマグロ漁船で浪費してたまるかッ!」
「ま、若けぇヤツはみんなそう言うさ。
どんな事情があったか知らんが、ドジ踏んだ兄ちゃんが悪いんだぜ」
「ぐぐぐ……わーってるよ」
「当分は必死に汗水垂らして、真っ当な労働で稼ぐこったな!」
ゲンさんの正論パンチをもらい、俺は黙り込むしかなかった。
それからしばらく代わり映えのない海の上を進み続けていると、船員の誰かが大声を上げた。
「おい、あれを見ろ!」
その声に俺を含めた船員たちが集まり、縁を掴んで海をじっと見つめる。
船首から見て四時の方向、南東の方角で水面がバチャバチャと激しく波立っていた。それは徐々に俺たちの船の方へと近付き、やがて水中から跳ねて姿を見せた細長い魚を見た瞬間、船長のワタリが叫んだ。
「オニカマスだ! 全員頭を低くして船室に避難しろ!」
その一声で船員たちはすぐさまその場にしゃがみ、寝泊りするスペースのある船室への階段へ向かっていく。状況が呑み込めず立ったままでいる俺を、ゲンさんが強く腕を引いてしゃがませた。
「おわっ!」
「バカ、ボーっと突っ立ってんじゃねえぞロックッ!」
「びっくりした……なあゲンさん、オニカマスってなんだ?」
「ありゃ群れで獲物を襲う魚のバケモノでな。
奴らに食いつかれたら最後、人間なんぞ骨も残らねえぞ」
時折水面から跳ねる細長い魚の頭部は、長く大きな口に鋭い牙がびっしりと生え揃っている。
「げっ、なんて物騒な……しかしなんでまた漁船を襲いに来るんだよ」
「さあな。奴らには漁船だろうとクジラだろうとデカいご馳走に見えるんだろうよ。それとロック、お前光り物とか身に付けてねえだろうな?」
「光り物? なんでだ?」
「奴らはギラギラしたものを見ると、他の魚と勘違いして襲いかかってくる習性があるんだよ」
そう言われて俺は自分の右腕に目を落とす。
目立たないように布を巻いて隠してあるが、これが連中の目に入れば集中攻撃の的になってしまうだろう。
そうなる前にさっさと避難しようと思った矢先、水中から矢のような勢いでオニカマスが飛び出し、俺めがけて突っ込んできた。
「うおっ危ねっ!?」
回避が間に合わず、反射的に突き出した右腕にオニカマスが食らい付く。
ガキッ――!!
腕輪に阻まれて牙が俺に届くことは無かったが、オニカマスは腕に巻いていた布を引き千切ってしまう。露わになった金の腕輪は、太陽の光を浴びてキラリと光を放つ。
その瞬間、無数の気配が一斉に俺の方へ向いたような悪寒が背筋を走った。
(こ、こいつはまずいぞ……!)
そう直感した俺は、腰のベルトに下げていた袋を叩いてその名を呼ぶ。
「マーネ出てきてくれ、早く!」
すると間を置かず、袋から光の塊が飛び出し、俺の前で銀色の妖精へと姿を変える。
「なによ騒がしいわね。今度はどんな用なの?」
「凶暴な魚の群れに囲まれてるんだ、なんとかしてくれ!」
マーネはざっと周囲を見回した後、まったく動じる様子もなく冷静に言った。
「この程度なら初級の雷魔法で十分ね。1500ゴールドよ」
「ぐっ……給料から前借りした分の半分じゃねーか!」
俺は多額の借金を背負ってしまったが、さすがに無一文では生きていけない。
よって当面の生活費として3000ゴールドを給料から前借りしており、これは借用書にもキッチリ書き込まれている事項だ。
「私はどっちでもいいのよ? 払うのか払わないのか、さっさと決めなさい」
「わーったよ、払うからッ!」
「最初から素直にそう言えばいいのよ、まったく」
俺の財布から1500ゴールド分の重みが抜けていくと同時に、マーネの身体に光が集まっていく。
「天翔ける雷よ、我が声に応え敵を貫け。
我に仇なす魔物に雷の裁きを――審判の雷!」
漁船の上空に黒く重い雲が立ち込めると、そこから強烈な落雷が発生し海面に直撃。周囲に伝播する電撃が、海面近くに集まっていたオニカマスの群れを貫き一網打尽にしてしまった。
漁船には魔力のバリアが張られ、電撃の影響は受けていない。
上空の雲が消え去り静かになった海面を覗くと、辺りには黒焦げになった大量のオニカマスたちがひっくり返って浮かんでいた。何が起きたかは理解できなくとも、オニカマスの群れが沈黙したことに船上では歓声が上がっていた。
「おお……たった一撃で全滅か。さすがに大した威力だな」
「このくらい当然よ。私の本気はまだまだこんなものじゃないわ」
姉と比較して控えめなサイズの胸を張り、得意げなマーネ。
だが、こっちも高いカネを払っているのだから、このくらいはしてもらわないと困る。そう思いつつ、俺は金の腕輪に声をかけた。
「おーいカーネ、出番だぞ。素材の鑑定頼むぜ」
呼びかけに応じて現れたカーネは、しばし海面を見てから困った顔をする。
「ねえロック、言いにくいんだけど……このお魚たちは値段が付かないわ」
「な、なんだと? どういうことだよ」
「ほとんどが身体の芯まで焦げちゃってるもの。
それにこの魚、身に毒があるから食用も無理みたい」
しばしの間、俺とカーネ、そしてマーネの間に沈黙が続く。
「つまりアレか? 俺は純粋に1500ゴールドを失っただけ、と?」
「数字の上ではそうなるわね」
錆び付いた機械のようにギギギと首を回し、俺はマーネを見る。
「な、なによその目は。私は頼まれた通りに魔法を使っただけよ。
おかげであんたは命拾いしたんだし、文句を言われる筋合いは無いでしょ」
「いや分ってるけどさあッ!! なんかもっとこう、手心というか……ッ!」
やり場のない怒りに打ち震えていたその時、突如として漁船に激しい衝撃が走る。
ガツンッ――!!
それは船底に硬いものがぶつかったような音であり、さらに二度、三度と衝撃が続く。揺れで海に投げ出されそうになり、慌てて縁を掴んで踏ん張る俺の目の前に、水の底から巨大な塊が高速で迫って来ていた。
バシャアァァァッ――!!
突如目の前に出現した水の柱――それは大量の海水を押し上げながら空中に飛び上がった、鎧のようなウロコに身を包んだ巨大な怪魚だった。
それは魚と呼ぶにはあまりに巨大で、他の生き物で言えばちょっとしたクジラ並の巨体であり、俺たちが乗る漁船にも見劣りしない。
空中に飛び上がった後は水面に落下、大量の海水を撒き散らしながら水中に消え、再び水面に飛び上がるという行動を繰り返していた。
モンスター解説
・オニカマス
体長2メートルにも達する細長い体型の魚モンスター
口には鋭い牙が並び、集団で獲物を襲い肉を食いちぎる
性質は獰猛で身に毒があることから、関わっても良いことは無い
煮ても焼いても食えぬ相手というのは、少なからずいるものだ




