第108話 接待
「不慣れなことをさせて済まなかったね」
しかし幸いなことに、パトリシオ様は俺の失態を一言も責めることはせず、釣り小屋の使用人たちを呼んで労ってくれた。俺は小屋の中に運ばれ、そのまま立派な湯殿に通され、冷えた体を温めた。
そう! なんとここには風呂があったのだ! 怪我の功名とはまさにこのこと。異世界最初の風呂体験。セレブ万歳!
「どうかお気になさらないでください! いいお湯でした!」
「こらロドリゴ。奉公人の分際で、調子に乗るんじゃない」
御者兼付人のウィルフレドさんから厳しいダメ出し。すんまそん。しかしパトリシオ様は、俺のことなんか気にしてなかった。湯上がりの俺に一瞬声をかけたきり、応接セットで身なりのいい紳士たちと歓談している。俺は離れた席で、ウィルフレドさんとちんまり待機だ。
「釣りに誘っていただいたのは、坊ちゃんのご厚意だ。普通は使用人はこちら側で黙って坊ちゃんを待つ。湯殿を使わせていただいたのは、あくまで特別措置だ。これ以上坊ちゃんに迷惑をかけないように」
「あっはい」
与えられた果実水をちびちび飲みながら、ひたすら紳士たちの交流を見守る。辺りの様子を観察する限り、こうして釣り小屋の隅に待機しているのは俺たちと同じ使用人。それも上級使用人というか、比較的待遇がいいグループだ。一方、ここに入れてもらえない御者や従者もいる。彼らは、厩舎や外の待合室みたいなところでガヤガヤやっている。テーブルと飲み物を与えられているとはいえ、お上品に待機しなければならない俺たちより、彼らの方が気楽かもしれん。
「あちらはサフラ男爵。茶や嗜好品などの小売大手の商会を経営なさっている。その向かいはスルバラン卿。伯爵家の庶子ながら第二王妃様のサロン付きだ。そして最も奥の上手に座すのが、セバージョス商店の王都支店長。元は海を超えた向こうの……いや、今は知るべきではなかろうな」
「ヒッ」
なにその物騒な顔ぶれ。てか急に振られても覚えられん。
「皆、坊ちゃんのご学友だ。絶対に粗相があってはならん」
「ひゃい……」
いや、頼まれたって近づきたくないんだが。幸い、スルナントカ卿が防音結界を張っているおかげで、彼らがなにを話しているかは聞こえない。だけど男爵の耳は緑に光っているし、スルナントカ卿は懐になにか赤く光るものを隠している。そして上座に座ってる支店長だか、彼の首飾りの宝石には小さな光がチラチラと舞って――
「おい、そこの子供。こっちに来なさい」
「へっ」
「いやぁ、倉庫番から聞いたよ。彼が鋭敏を荷物に掛けることを思いついたんだって?」
「いえ、その……」
「あー、惜しいことをしたな。一時期ポルセルでは、かのプラシドを考えついた少年を商業ギルドが保護していたとか。あの時に介入していればね」
「ははっ。パトリシオ、君、面白い部下を連れてきたものだねぇ」
はは、じゃねぇよ。なにこの尋問会。変な汗が止まらん。
「ああ、その辺でやめてやってくれないか。この子は確かに面白い子だが、まだなにかと行き届いていなくてね」
「なるほど。それじゃあバネサ嬢に番わせる前に、銀の魔女にかっ攫われたわけか」
「ふふ。サロンでは『前世で生き別れの恋人だったらしい』だとか、あらぬ妄想で盛り上がっているよ。淑女ってほんと、そういうの好きだよねぇ」
「仮初の婚約であれば、我が国に連れて帰っても問題なかろう。ねえ君、外の国に興味はないかい?」
「はっ?! えっとあのっ」
「殿下。揶揄うのはよしてください。彼は父上のお気に入りなので、おいそれと手放したりしませんよ」
こないだトリニダードさんと軽い気持ちで口約束した婚約話が、知らないところで広まっている。てか、第二王妃のサロンってみんな暇なんか? そして「我が国に連れて帰る」ってなに。殿下って誰。
しかし彼らは、和やかに歓談しながらそれ以上突っ込んでこなかった。酒を酌み交わしながら、それぞれの近況報告。そして噂話などの情報交換。さっきウィルフレドさんがご学友と呼んでたっけな。なるほど、リーマン時代の同期の飲み会と同じだ。そういうことならば。
「すいませーん、お冷三つ。チェイサー入れとかないと悪酔いしますんで」
「こちらお皿お下げしときますね。あっ、乾き物来ました。取り皿こちらです」
「おしぼりありがとうございます! あ、グラス空きましたね。おかわり同じものでいいですか?」
上司の同期会に、下っ端がポツン。知らない話題には混ざれないし、また混ざりたくもない。そんな時の最適解、それは下座で下働きだ。大丈夫、こういうのはサークルでも散々やった。子供が卓を仕切りだして店員さんがオロオロしているが、任せてくれ。なんなら、ちょっとした宴会芸までバッチリだから。
「……パトリシオ。なんだか彼、急に活き活きし始めたんだけど?」
「お父上のお気に入りってこういうことか。しかし酒場の作法なんて、ちょっと仕込むのが早くないか……?」
「いやいや、僕はそんなこと聞いてなかったんだけど……」
「ますます面白い子供だな。今度も連れてきてくれよ」
しまった、逆に藪蛇だったか。しかし俺は知っている。偉い人の「今度も連れてこい」は、だいたい社交辞令だ。俺はかつて、いつ銀座の一流店や六本木の高級ガールズバーに連れて行ってもらえるのかと期待していたものだ。まあ、流石に三年も経てば悟る。酒の席の約束ほど当てにならないものはないということを。そして、飲みに連れて行くなら可愛い女の子の方がいいだろうなという、当たり前のことを。
「うへへ。お伴にしてくださるなら、どこでも行きますよ!」
「「「……」」」
一瞬時が止まった。そして数拍後、彼らの歓談は何事もなく再開された。ほうら、こういうことだろう。俺はエールの追加を頼みながらほくそ笑んだ。
人名管理が面倒臭いので、パトリシオ様のご学友を一人削りました。(←




