第二十八話「空に輝く一等星」
覚悟を決めた者を止めることは、その者への無礼となる。
父さんは俺にそう言っていた。
ジャンヌさんの話はもう覚悟を決めていると聞いた時、俺は彼女を疑った。
自分の死を受け入れて、大勢の為に戦う。あなたのそれは一体覚悟なのか?
違う。俺はそれを覚悟だなんて断じて言わない。
騎士が言うからこそそれは道理を成すんだ。戦士が言うからこそ決意を知るんだ。
貴方は違う。どれだけ差し伸べた手を弾かれても、どれだけ貴方が取り繕ってもそんな物全部無理矢理剥がしてこう言ってやる。
「貴方は只の村娘──ジャンヌ・ダルクだ!」
シノンの言葉にジャンヌの瞳が、心が揺れる。諦めていた生への執着が再び生まれる。
シノンはジャンヌの手を強く握る。
「望んだ道じゃないのなら覚悟なんて格好つけた言い方なんていらない。ただ母の横で糸を紡ぎつ続けていればいい。花輪を作って、木の周りを踊って、ただ村の幸せを祈るだけの娘でいい」
ジャンヌ・ダルク──為した事を知らずともその名を知らぬ者はいないオルレアンの乙女。
前世で何度彼女の話を読んだだろう。その度に思う。
彼女はただ運命に選ばれてしまっただけの少女だったのに、どうして悲惨な死を遂げるまでになってしまったのだろう。
同じ土地を、時代を生きたのなら救ってあげたかった。一度でいいからその口から本当の願いを聞きたかった。
この世界と前世に関わりがあるのは理解した。俺の前世に名をはせた英雄はこの世界で大枠の運命を変えることなく生きている。
だから貴方も聖女として生き、死ぬ道を進むんだろう。それを本当に貴方が望むのならそれでも良かった。
でも俺の知っているジャンヌ・ダルクは最後まで村娘であることを願っていたから、教えて欲しい。
「貴方の言葉が聞きたいんだ!」
少女が纏っていた聖女の鎧が、音を立てて決壊する。あふれ出した感情は制御を失い、ジャンヌの瞳から涙が零れる。
それを隠すようにジャンヌは下を向いた。
「最初…ずっと怖かったんです。村の人たちに旅に出るなんて嘘を吐くのも、ミラーナに来るまでも、ずっと自分に言い聞かせる日々でした」
顔は見えなくとも、その声は泣いている。涙が地面に落ち震える声が零れる。
「運命で決まっているんです。避けられない事なんです。これが世界の為なんです」
言葉を紡ぐ度にジャンヌの手が握る力を強める。
これは、彼女が自分に言い聞かせ続けて来た言葉だ。運命の歯車から抜け出せない。
そう理解した彼女が選んだ先は諦観であり、宿命論への逃避だ。
こんなに遅れた自分に腹が立つ。彼女の童心は、もう戻らない。少女としてのジャンヌ・ダルクは無垢な姿を脱ぎ捨てた。
余りにも重く大きな重責が彼女にそうさせたんだ。
「最後に苦しむのは私1人です」
「っ!」
だから大丈夫だ。と、シノンを納得させようとジャンヌは言った。
手に込められた力が解かれた縄の如く失われていく。
どこまでも他者の為にあり続けようとする彼女の在り方にシノンは自信と同じ物を感じていた。
しかし、どこまでいってもジャンヌは只の少女であり戦いに自ら身を投じた訳ではない。
シノンは自分の唇を強く嚙んだ。今の自分では彼女に助けを求めさせることすらできない。その不甲斐なさを痛感する。
「貴方がこの手を取るまで、僕は何度でも、避けられても貴方に手を伸ばし続けます」
いつの間にか自然と2人の手が離れる。
シノンは立ち上がり宣言する。空に輝く星々、その中の最も輝く星を掴みながら。
「貴方が手を伸ばしたくなるような星になります」
そこまで俺たちの事を守りたいのなら、見せてあげよう。
貴方を救って、その輝きに縋るくらいの英雄の証明をして見せよう。
貴方の一等星になってやる。
シノンは自身を見上げるジャンヌの方を振り返る。いつも、誰かを安心させるために作っていた笑顔ではない。
心の底からその人の事を思った。陽だまりのような笑顔。
ジャンヌはその姿に、知るはずもない少年を重ねた。
「それじゃあ、失礼します」
さっきまでの激情を消し去り、シノンはその場を去る。
しかしその瞳に──魂には消えることのない炎が灯されていた。
ーーー
『貴方が手を伸ばしたくなるような星になります』
ついさっき、ジャンヌに放った言葉をシノンは反芻しながら大聖堂の庭に寝そべり星を眺めていた。
──めっちゃ恥ずかしいこと言ったぁ。
いや別に言いたいことは全部言ったんだけどさ、何あのくっさいセリフは、ふと視界に星が映ってたから言っちゃったけどジャンヌさん理解できてたのか?
真面目な顔で星を眺めながら昔のアルバムで恥ずかしくなる大人の様についさっきの出来事を鮮明に思い出す。
「大口叩いて、何もできないなんてなりたくないな」
「何が?」
ふと呟いた言葉にシノンの顔を見下ろすように視界に現れたアストルフォが問い掛けた。
「うわぁ!──ってアストルフォさんとトゥルパンさん?」
「やっほーシノン」
「こんばんはシノン殿」
起き上がったシノンにアストルフォは陽気に手を振り、トゥルパンは礼儀正しく頭を下げて挨拶をする。
1人の世界に入り過ぎて気づかなかった。この2人の組み合わせはなんとなくだが意外だな。
小さいアストルフォさんと、大きなトゥルパンさん…いや本当にデカいなトゥルパンさん!
シノンが驚くのも無理はない。トゥルパンの身長は2mを超えており前世が日本人、それも現在10歳という幼い彼にとっては巨大も巨大、見上げなければ顔を見ることができないレベルだ。
トゥルパンもその慎重さを自覚しているのか、シノンの横へアストルフォと共に腰を下ろす。
「思い悩んでいるようですね」
「…分かりますか?」
「ええ、悩める人を幾人も見てきましたから」
トゥルパンは聖職者でもある。職業柄懺悔を聞くこともあったのだろう。
「恋?」
「な訳ないですよね」
「なーんだ違うのか」
シノンとトゥルパンのしんみりした空気をアストルフォはたった一言で破壊し、シノンに即否定される。
この状況で恋愛なんてできる奴は豪胆すぎるだろう。そこまで腑抜けていない。それにそれ程今の俺に余裕はない。
「でもあの子は君の事好きだと思うよ?」
「あの子?」
「もージャンヌだよジャンヌ!」
「ジャンヌさんですか?」
信じられない。と言った様子でシノンは首を傾げる。
「好きになる道理がないですよ」
「好きに道理なんていらないよ。突然かもだし段々かもしれないよ?
ローランだって一目惚れだったし」
「あの時は大変でしたな」
この言い方、恋愛が絡むとあの人はとことんやらかすんだな。
確かに、そういわれて見ると好きな理由を答えられる人は好きになった理由は答えられない人の方が多いな。
「でも、ジャンヌさんは違いますよ」
「なんで?」
「なんで…と言われると回答に困りますね」
断言した物のアストルフォに詰められシノンの中で明確な答えを探るもそれが見つかることはない。
ジャンヌさんには村娘なんて言ったけど、無意識の内に俺はあの人のことを英雄として見て、そして憧れている部分もあった。
だからこそ向ける視線はどこまでも尊敬から生まれた物だ。好意はあってもそれが好きという感情に繋がることはない。
「シノン殿にとって、ジャンヌ殿はどんなお方なのですか?」
「どんな、ですか。──大切な人です」
「そこまでの思いを抱いていながら恋ではないと?」
「えっと…はい」
自分でもはっきりしないなとは思う。大切な人の1人、ジャンヌさんのことはそう思っている。
ローランさんやオリヴィエさんとは違った何かも感じている。でも、それが何なのかは分からない。
迷うシノンの横顔をトゥルパンは見詰めそしてその顔に1つの答えを見出した。
「シノン殿、貴方──彼女に何を見ているのですか?」
「何って、何ですか?」
トゥルパンの言葉にシノンは困惑する。
悪戯に言っている訳ではない。親身になっているが故に出た言葉だからこそシノンはその言葉に幾重もの意味を見出そうとする。
「今の貴方はまるで未練を持っているようだ。それも無意識に」
「未練…ですか?」
未練──その言葉シノンの中で持つ意味は誰よりも大きい。
トゥルパンの言葉の意味を理解したシノンは大きな不安の渦に呑まれる。
俺はまた誰かを重ねているのか?まだあの家から出れてないのか?戻ってきてしまったのか?
あの家に囚われた少年とは決別した。そう思っていたシノンの心を暗雲が覆う。
「落ち着いて、深呼吸です。シノン殿」
「!」
視界が狭く、暗くなるシノンの様子に気付き、トゥルパンは背中に手を置き呼吸を正すように促す。
トゥルパンに背中をさすられようやくシノンの精神が安定した
「すいません…ありがとうございます」
「いえ、嫌な事を思い出させてしまい、申し訳ありません」
「そんなことないです。未練があるのなら、いずれ向き合わなきゃならないんです」
「でも自覚がないのに向き合えるの?」
「アストルフォ殿!」
アストルフォの場を考えない。しかし確信を着いている発言にトゥルパンが声を荒げる。
しかし身を乗り出したトゥルパンはシノンの手によって止められる。
「大丈夫です。トゥルパンさん」
「シノン殿…」
「気休めなんていらないよトゥルパン、この子はその道を選んだんだ」
いつもの軽い吹けば飛ぶような言葉ではない。彼の人間性の根底を見せるような重みのある言葉だった。
「まぁそれでも無理なら開き直ることも大事さ!それも1種の向き合うってことだからね。
僕も武力のない自分を認めて色んな道具やヒッポグリフに頼ってる訳だし」
「それができるのは貴方の強さですよ」
にゃはは、と笑いながら直ぐにいつもの調子に戻ったアストルフォが言った。
確かに、アストルフォさんは他の2人に比べれば魔力や身体能力が秀でている訳ではない。軽く言っているものの今のアストルフォさんの在り方は劣等感を抱きながら幾度も自分を見詰め直し続けてきたが故の答えだ。
それも強さだと、俺は分かる。
「旅って言うのは結局自分を探し、見つめ続ける事だよ。シノンはその中の最も過酷な道に足を踏み入れた。振り返れば門は閉ざされ、戻ることは許されない。
でもきっとその先に見つけた幸せは君を裏切らないよ」
僕らのよりもね。と付け足したアストルフォはウィンクと共にシノンに言葉を送った。
「はい。僕、頑張ってみます」
「うん!いい顔!」
少しだけ心の中に詰まっていた物を吐き出せた気がした。分からない事、心配な事は多いけど、これでやっと目の前の事に集中できるようになった気がする。
ーーー
──都市地下の中央、他の場所とは違い広く、整備された空間はまるで神殿のような柱と壁、天井がある。明かりとなる物は少ないその空間を迷いなく歩む者の足跡がカツカツと響く。
待ち望んだ様な顔で空間の中央を見詰めるその者の目に映るは、この都市が浮遊するために使われる浮遊装置の炉心──タラスクの魔石だ。
元は浮遊装置と共に多くの研究設備が置かれていた空間も、今や魔石とそれを祀るような祭壇、そして監視を務めていた工場からの派遣員の死体だけになっている。
浮遊装置の莫大な魔力消費によって再生を停止させることができている。これが途切れてしまえばタラスクの心臓は再生を開始し7日もすれば完全な顕現を果たすだろう。しかしそれを待てるほど時間はない。浮遊装置はタラスクの魔力を原動力としている。魔力の供給が断たれれば当然浮遊装置の機能は停止する。
一時的な不具合やトラブルに対応するための猶予を得るために数時間浮遊するための魔力の備蓄が用意されているが、タラスクの完全顕現まで保てる程では到底ない。
都市の転覆を目的とするのなら水没でも問題はないはずだが、魔力の供給が足りなくなった浮遊装置の違和感に気付く者は多い。避難されることが容易に想像できる。
必然、タラスクの即時顕現での転覆が求められる。
「お待たせ。もう少しだ」
タラスクの魔石に手を置き、赤く染まった魔石の魔力を感じる。
リネファの報告通り、作戦の実行は残り3日にまで迫っている。
復活のその日──人々が見るのは星か、それとも深淵か。
何度も言うがシノン君は英雄オタクです。有名な英雄に関しては詳細な情報まで答え切れます。
ジャンヌさんに糸を紡げばいいと言ったのは前世のジャンヌ・ダルクが糸紡ぎや裁縫をしていたのを知っていたからですね。
ちなみにこの世界のジャンヌも糸紡ぎをしていたのであの雰囲気じゃなかったら普通になんで知っているのか困惑します。
シノン君は記憶が無くなってることに気付いてないぞ。病院行ってないからな。




