守りたかったもの
来た時と何も変わっていない埃だらけの書庫をエスクードが何事もなかったかのように戻す。
「皆まだ私の部屋にいると思う?」
「いえ半日ほどたっているはずなのでそれぞれ仕事をしていると思います。もしかしたら殿下はいらっしゃるかもしれませんが」
その時悲鳴が広間に響いた。
「先生、エスクード、いくわよ」
誰の声だと分析するまでもなく、どこへ向かえばいいのかはわかっていた。何かを見た侍女の声ならまだいいが、彼女自身の声なら大変なことになっているはずだ。
何段飛ばしたかわからない勢いで階段をかけ上がる。途中靴を脱いで持ったことにエスクードが嫌そうな顔をしたが今は緊急事態だ。ほとんど客もいないので許してもらおう。
「伯爵令嬢……え、ペッシュ?」
「望実さん。逃げてっ」
腕を掴まれて望実は震える手で喉元に突きつけられている刃を見つめる。
「こんなことをしても何にもならないわよ。伯爵。貴女のお嬢さんを治せるのはペッシュだと勘違いしたの?」
「彼女を押さえれば貴女は言うことを聞かざるを得ないと。いえ、その前に彼女と私は正式な養子縁組みをしていて許可も得ているので連れていくことに問題は何もないはずです」
エスクードがそして遅れてノバがはあはあと荒い息を繰り返しながら部屋に入ってくる。
「エスクード・ティエラ。私の娘に何をした」
ベッドの上の伯爵令嬢はまるで始めてあったときのように喧騒が起こっていることすら認識していないかのような無表情でこちらをただ見ている。
「悪化している。伯爵、今すぐにどうにかしないとまた貴女の……いえ、彼女こそもう一人のポメロなのね」
「な、にを」
「貴方以上に忠実な一族はいない。いえ、もちろんティエラもそうだけれど、加護というなの鳥籠が消えるのを誰よりも分かっていたはず。一族の血で。だからペッシュを養女にして動かしたのね。彼女を」
真っ青になって伯爵は首を振る。何かとてつもない恐ろしい物を見ている目で望実を見つめる伯爵に望実は何を言うのかと身構える。
「あなた……貴女はポメロ・リヤンではない。王妃ではない。誰だ。おまえは」
「バーナン伯爵……貴方は正しい。王家にも神にも忠実で……そうよね。本来ならこういう反応をするのが普通よ」
望実は戸惑った伯爵の足を思いっきり体重をかけて踏んだ。驚いた伯爵の手から簡単に落とせたナイフをエスクードの方へ蹴ると彼はそれを拾い上げた。
「これは灯台守の貴方の一族に送られた品、なぜこんな大事な物を」
「おまえがそれを言うのか」
「エスクード黙っていて。伯爵、貴女を追い詰めたことをお詫びします。全ては私が暴走したゆえに起こったこと、貴方はただ心から奥さまを愛していただけなのでしょう? あの男にそんな男の最後の意地がわかるわけがないのです。ペッシュ、私の後ろに」
「ダメだ。ペッシュ行くな」
望実はペッシュを抱き上げノバに渡す。エスクードが縄を取り出していたが望実は手で制止する。いったいどこから取り出したのだろう。まあ、それはいい。
「彼女は聖女であり、聖力で溢れていますが、貴方の一族ではありません」
「しかし、私の妹は」
「伯爵の妹君は城下におります。こちらを」
望実はサガとネビルが走り回ってくれた報告書を差し出す。
「かけおち後、相手は死別。城下の宝石商の三男と再婚されたようです。だから貴方の元に本来より頻繁に宝石商が来たのでしょう」
「……そ、んな。それでは」
「令嬢はこちらで預かります。このような魔法具があちらこちらにあっては困ります。オランジュから供給しようと思ったことも含めて私は怒っているので」
伯爵は報告書を丸めて床に投げつけた。彼がしていたことが全て検討違いだと叩きつけたようなものなのだ。彼の怒りには共感できたが、それとこれとはまた別の話だ。
「なんの権限で、貴女は王妃ではないのなら、彼らを含めて皆で騙していると言うことになる。その方がよほど悪質だ。公爵に言って、議会にっ」
「エスクード」
「私は命令通り口を開いておりません」
刺すような殺気を放っているくせによく言うと思いながら望実はエスクードの名前を呼べば警戒しながらも動けなくなるほどのプレッシャーを解いてくれる。
「バーナン伯爵、王妃ポメロは私の叔母にあたります。私の名前は津野望実。聞いたことはありませんか?」
「……せ、んだいの」
「そうです。あれは私の父親です」
はっとしたように息を飲んで伯爵は後ずさる。膝が震えている。そんな怖いだろうかと望実は首をかしげる。祟りとか、天罰がどうしても縁遠い世界に生きていたせいか、この恐怖は理解できない。
「では、あな、たの……貴女は……」
「ええ。貴方に灯台を守るようにと言ったのはおそらく母です。まだ、母だと確信しているわけではなくて、こちらも混乱しているのですが」
突然記憶の世界に引っ張られてあんたの母ちゃん女神なんだわさと言われても理解できるわけがない。威厳とかからきしないし、どじだし、美人だけど残念な人だし。
「申しわけありませんでした。申しわけ……私の私の代で先祖が守ってきた勤めを果たせなくなると焦っていったのです。知っての通り私には妹が一人いましたが、駆け落ちしていなくなっていました。妻は身体が非常に弱く、そして娘は……娘と妻を両方失う事に耐えられなかった。だから一族の秘宝をこの地に災いあれば使えと神が託してくださった遺物を動かしてしまったのです」
「なるほどあれは宝玉の中毒症状ではなく魔石の力が強すぎて引っ張られていたのですね」
「先程も言いましたが、貴方の忠義には感心しているのです。海から来るものから私達を守ってくださってありがとう」
「ひ、でんか」
「私は妃殿ではありません。貴方が言ったんじゃないですか」
笑って言えば伯爵は力なく笑い返す。貴族としてまた神から与えられた勤めを果たせないかもしれない、ここで一族が絶えるかもしれないと言うプレッシャーとずっと戦ってきたのだろう。
「でも、私にとって妃殿下は貴女です。本来なら女王といった方がいいのかもしれませんが」
「冗談じゃないわ。私は女王にはならないの」
「……え、そのために動いたのでは?」
「貴方の背後にまだなにかたくらんでいる人がいるから今から何をしたいのか見極めたいけど、私の王はオランジュよ。忘れないで、それになりたいのは姑なの。軌道修正して今は可愛い嫁と息子を見守る優しい姑になるつもり」
ふふっとエスクードの笑い声が聞こえる。ノバも吹き出しているようだ。
「かないませんな」
「……そうよ。天下無敵のJKだもん。おじさまたちとはちょっと違うの」
「ははは、懐かしい。貴女はあの方の娘だ。まごうことなき娘だ」
そう言いながら伯爵は床に崩れ落ちて泣き出した。
もう遠い昔に感じる。急逝した父と母を見ながら初めて上がった王城に上がった日、穏やかな青年の隣に見たことがない服を着た落ち着きのない男が立っていた。彼はぶっきらぼうだがどこか温かく、不思議な男だった。聞けば贈り人だと言われ腰を抜かすほど驚いた。だが、その反応に怒りだした青年はバーナンに向かっていったのだ。
『俺は天下無双のヘッドだ。誰にも負けやしねえ。この世界のやつらとはちょっと違げえが、同じ人間だ』
バーナンは涙を止められず、懐かしい世界に思いを飛ばした。彼そっくりの瞳をした娘がバーナンを見つめている。
世界が動く音がした。




