悪のりの結果
朝、目覚めた望実はノバが来ていると告げられ、飛び起きて素早く支度をすませる。応接間でお茶を飲みながら待っていたノバは優雅な立ち振舞いとは真逆になぜかげっそりして目がランランと輝いていた。
「もしかして熱烈なラブレターでももらったの?」
「断じてそのような愛らしいものではありません。呪いの手紙です。魔女からの呪いです」
くぅと奥歯を噛み締めるとノバは一気にお茶を飲み干す。
「あれであの方はウェルテクスが得た最良の花嫁とうたわれたこともある立派な伯爵婦人ですのよ。そのようにおっしゃりようは」
「美醜も身分も私にはどうでもいいものです」
コラーダの困ったわというポーズにふんと鼻をならしてノバはお茶菓子を平らげていく。あのあとろくに食事もしなかったのだろう。たぶん恐怖で。
「ディオール様に婚姻を進めるかたも今さらいるとは思えませんが、本当によろしいのですか?」
世話焼きなお母さんの顔になったコラーダにノバは眉間にシワを寄せてそっぽを向く。まだ二人が若い頃から繰り返され来た会話だと思うと少し面白い。生活能力皆無な先生にはこれぐらい世話してくれる人がいた方がいいかもねと望実も朝の一杯を飲み干す。
「……いいのです。その話はもうやめてください。ポメロ様、少ないですが実験結果です。あともしよろしければ殿下の聖力を測定させてください。それによって今後の方針も変わるかもしれません」
「それで朝一番に城に来たのね。ミリヤ、オランジュを朝食後に定期検診だといって連れてきてくれる?」
「かしこまりました」
ミリヤが出ていくとノバはあーっとテーブルに突っ伏す。どこまで精神を削られているのだろうと不憫に思いながらも、仕事をさせているのは自分なので何も言えなくなる。
貴族の診察、薬作り、ペッシュの故郷での流行り病の流行度合いの確認、伯爵令嬢の診察、セミノールの診察。その上でノアの成長度合いを確認しながら人として不自然でないように躾ていると言っていたが、言葉にするといつ寝ているのだと望実は絶句する。ブラック企業所ではない。これではどす黒企業だ。
「ノバ、ちょっと寝た方がいいわよ。寝ないと考えもまとまらないしイライラしがちになるらしいし」
「私はいつでもまともです。考えは常にはっきりしていますし、イライラするのはこの状況で皆が余計なことをしてくるからです」
だんとテーブルを叩くノバをコラーダが睨む。このままだとおしりでも叩き出しそうな感じだ。ノバに近寄って耳元で「なによ。ノアが暴れたの?」と聞くと「暴れはしませんが、よくもまあ、あれだけ尋ねることがあるのかと。貴女のところに駆け出さないか心配でとりあえず今日は両足を足枷で繋いできました」とため息と共に言われる。
世が世なら虐待で通報されてしまうのにと望実が呆れた顔になると「あれが理性がまだないのです。何を自分ができるかも手探りなのに身体は十八の青年なので無茶もできます。なのでともかくマナーの本を片っ端らからつんで読み終えたら鍵が落ちてくる仕掛けを作っておきました。三時ほどは持つでしょう」と真顔で返される。
「ディオール様が唯一といっていいほど仲がよろしい女性が妃殿下と言うのがなんとも言えませんわね」
「先生は私が求婚したのに断ってるから」
やーねと笑うとノバが歯軋りしながら睨んでくる。誰かに求婚でもされたのだろうか?
「まあ、妃殿下からの求めに応じないとはなんと無礼なのでしょう。妃殿下もこんな変人ではなくきちんとしたできれば王族か諸侯とお付き合いくださいませ」
「でも、先生の声はそれはそれは好みなの。顔とか性格とかどうでもよくなるぐらいストライクなのよ」
実際一押し声優の一番好きな演技の声なのだからだいすきなのはしょうがない。困りましたわねという顔でコラーダがやや大袈裟に手を叩く。
「では顔と性格がストライクな男性を探しましょう。なに、ディオール様にはお酢かお酒でもしこたまのんで喉を痛めていただけば万事解決でしょう」
「コラーダ! まだ貴女の妹分を振ったことを怒っているのですか? 彼女も今では立派な男爵夫人。こんな男なんて勿体ないと言ったのは貴女です。朝からたっぷり砂を吐きそうになる言葉を次々と繰り出す別人の宰相を見せつけられて私は心が病みそうになっているんです。あの方ロリコンなんですか?」
急かした件をどうやら実行してくれたらしい。砂を吐くぐらいとはどれぐらいなのだろう。というか私ですら起きたから起きないかの時間に女性に会いに行くのは失礼ではないのだろうか?
「お泊まりだったのでは?」
「な、なによそれ。伯爵令嬢はまだ子供じゃない」
「一応嫁ぐのに問題はない年齢ではありますよ。それはそうと彼女も未亡人の妃殿下に言われたくないと思いますが……ほほう。そうですか……へえ。これまた厄介な事になりそうですねえ」
「なに考えてるのか知らないけど口説いてでも何としてでも聞き出してこいって焚き付けたのは私だから、エスクードはむしろ嫌いとか苦手の部類なんだから」
なぜか立場が逆転している気がして望実は立ち上がった。ノバの肩を揺すって「ねえねえ」と子供っぽく懇願してみる。
「エスクードがどんな風に口説いてたのか先生の声でやってくださらない? うっとりして王権でも差し上げちゃうかも」
「バカなのですか? 昨日から力があり余って元気で仕方ないのは結構ですが、大人をからかうとろくなことになりませんよ」
「先生と私の仲でしょ。ねえねえ」
ひょいと望実が膝に乗るとノバが嫌そうな顔になり、コラーダがそろそろやめましょうと止めに来る。
「その瞳、輝く宝玉に私だけを映してくださればこの憂いもたちまち消えるでしょう」
「……はう」
全クリアの得点をもらえた気分だ。ノバが攻略対象でなくてがっかりした日々はなかったのだ。録音できれば落ち込んだ日に聞けるのに。そんなことを思いながら望実はぎゅっとノバに抱きつくと「な、なにをするんですか」と情けない声がする。
「お礼にキスしたいぐらいよ。今日一日頑張れそう。ありがとう先生」
「ぜんぜん礼になっておりません。こんなところあの堅物共に見られたらどうなるこ……」
「いいじゃない。せいぜい親子にしか見えない……オランジュ?」
慌てて膝から飛び降りてぱんぱんとスカートをはたいてにっこりと笑顔を作る。
「おはよう。オランジュ。どうしたの?」
「……ははうえ、せんせいとけっこんなさるのですか」
「まーそうなれらたらいいけど、今日も振られたところだから安心して」
「あのようなものが父になるのはいやです」
「そもそもなれないから、ね。なかないで」
「わたしだってひざののりたいのに、さいきんはおとなになったのでがまんしていたのに」
なんて可愛いやきもちなんだろうと望実が満面の笑みで顔をあげるとまだ固まっているノバが視界に映る。視線をたどると眉間の皺が凍りついたような顔の麗しい宰相とその弟君が扉の前で立っていた。ついでにミリヤも眉間の皺を深くしていたしサーシャはあらっと可愛らしく手で顔をおおっている。
「朝からお気に入りの男を連れ込んで実に楽しそうですね。私を強引に働かせておいて」
「あら、おはよう。エスクード、グルナード。伯爵令嬢との夜はたいそう楽しかったようで私もそこまでしてほしいと言った覚えはないのだけれど」
エスクードはまだ深くなるのかと驚くぐらい眉間を寄せると「ノバ・ディオール」と名前を呟いた。
「いや、私は悪くない。診察中に砂を吐きそうになったと言っただけだ。おまえが朝っぱらからパンケーキに糖蜜と生クリームとジャムをのせ最後に砂糖を振ったような不快な会話を聞かせるのが悪い」
「ともかく貴方は仕事である殿下の測定をささっと終わらせてください。殿下は忙しいのです。貴方と違って」
私だって忙しいと呟きながら嫌な顔をしているオランジュと隅にいきノバは道具を取り出す。
「妃殿下」
地が凍り付く声とはこう言うことだと望実は背中をぶるっと震わせながらエスクードを見上げる。
「何のために旅からとんで帰ってきたのかもうお忘れになったのですか? そのような態度を男にしてはいけ
ないと学習したと思っていたのですが」
「先生は暴漢じゃないし、そういう相手じゃないもの」
「どうだか、わかりませんよ。なんせ貴女は特別ですから」
「私は違うからな」
ちらっとエスクードをみて念を押すようにノバがいう。
「ロリコンはおまえだけだ」
「仕事です!」
「仕事でもそんなすらすら口説き言葉が出るなんてよほど普段いいなれているんでしょうね」
なんだか無性にイライラして、エスクードの肩越しにグルナードと目が合う。彼は少しだけ苦笑いすると口元を手でおおった。どうやらこの状態を楽しんでいるらしい。あまりいじめないでほしいと言われたのを思い出す。いじめられているのはむしろ望実なのだが、エスクードに言ってもやり込められるだけだろう。
「ええ、仕事でなら」
「仕事以外で誉めれないから私に課題を出されるのよ。ミネオラのことちゃんと誉めてるの?」
「そ、それは」
いいよどむエスクードに望実はちゃんと弱点もあるのよねと思いながら立ち上がる。エスクードとここまで至近距離にいるのはどうも落ち着かない。酷く緊張する。
「忙しいからこそ忘れないで。ミネオラは良い子よ。きっと貴方を支えてくれると思う」
「それとこれとは話が違います」
「先生、私がお気に入りの話を聞かせたいと駄々をこねたせいでエスクードにもオランジュにもあらぬ誤解をさせてしまったわ。公爵夫人の憂いは最近読んだ中では最高傑作ね」
「姫様を止めなかった私にも責任がございます。少々熱をいれて話しておられたのでつい」
お芝居だったのだから忘れてね。納得できなくてもそういう事にしようという思いを込めて望実はエスクードを見つめる。
「他にみられて困る行動はやめた方がいいでしょう。妃殿下はパートナーを決めておられないのですから」
「ええ、気を付けます」
その時、ノバが声をあげた。
「やっぱりそうだったのか」




