男爵のたくらみ
先生はマッドだがやはり声がいい。寝る前に聞けてよかったと呑気に眠った望実は伸びをしてカーテンを開ける。窓は前より固く打ち付けられていてもはや監獄のようだが、何度も抜け出したし、この前は落下寸前だったようだし自業自得だと望実は諦めている。
「伯爵が明後日にはくるからその打ち合わせと、お昼はオランジュととりたい。イルが来るのは午後だから午前中は図書室にでもいこう」
朝食を食べて図書室に向かう。久しぶりに山程の本に囲まれるとほっとする。病から治ったのか、数人司書が戻ってきていた。
望実は彼らに気にしないようにと指示するとオランジュの好きそうな騎士物語を何冊か取り、この国の地理と他国の情勢を簡単にかいた本を借りる。
今日の護衛はジーンというそばかすだらけの前髪の長い女性で彼は無言で本を持ってくれた。ネビルはサガと特訓なのでしばらく城の勤務から離れるのだ。
どうしても男性はとネビルに言うと母親が鍛えたというネビルの家に使える騎士の女性を変わりに連れてきてくれた。ネビルの母親は男にも引けをとらない素晴らしい戦士だったと今でも噂があるが、女性が騎士になるには大変なんだろうなと望実は思いながら彼女に「私も持てるから」と声をかける。
「いいえ、妃殿下。妃殿下に本の一冊でも持たせれば私は首です。護衛とは、侍従とはそのようなものと思ってくださいませ」
「は、はい」
剣幕に頷くと髪が揺れて綺麗な緑の目が見える。隠しておくなんて勿体無いと望実が思わず紙に触れるとジーンは驚いて固まってしまう。
「ごめんなさい。綺麗な瞳だと思って。なぜ隠しておくの?」
「訓練の最中に傷を」
無表情のまま彼女はおでこにひろがる大きな傷跡を望実に見せる。
「名誉の証なのね」
女性の額に傷が残ることをきっと彼女の周囲はよしとしてはいないだろうが、彼女は騎士だ。悲しんだとしてもそこには誇りがあるのだと思う。少なくともオランジュと一緒に読んでいる本の騎士達はそうだった。この前は王の護衛をする男装の女騎士の話を読んでいたのだが久しぶりに大いにぐっとくるストーリーだった。
「ええ、そうなのです。暴走した馬を止めるためにウェルテクス様の前に出ました。家族や主一家は悲しませてしまいましたが女の身で主を守れた名誉の証です」
そういうと彼女は嬉しそうに本をもったまま器用に騎士の礼をした。
「マチャライの章みたい。ジーンも読んだ?」
「はい。小さい頃にマチャライに憧れて騎士を目指しました」
「彼女が王を刺客から守って刺された時の王のうろたえっぷり、その癖彼女が幼馴染みの騎士と婚約するまで自分の気持ちに気づかないなんて鈍感よね」
「そんなものではないでしょうか?」
久しぶりにオタクっぽい会話をした気分のよさに望実はそうかなと首をかしげる。望実にとって恋愛とはまだ見ていたい物で自分がどうこうという段階ではない。
「騎士は主の機微には敏くなければいけませんが、主は王であるなら数百人いる中の一人、特別な情はなかなか浮かび辛いでしょう」
「そんなものかなあ」
「妃殿下はネビル様とはずっと仲がよろしいと伺っておりますが、特別な情がおありですか?」
これは困らせに来てると思いながら望実が首を振るとジーンはさもありなんとばかりに扉を開いて「同じですよ」と言った。
「ジーンが庇ったのはセミノール?」
赤い髪の線の細い美少年と女騎士という取り合わせもなかなかいいなと望実が振り替えるとジーンは苦笑いしながら「いいえ、ロウリ様です。が、主の名誉のためにもご内密に」とウインクする。
ロウリはウェルテクス家の三男で、主人公がセミノールの家にいったときのスチルで隅の方に写っていた気がするのだがはっきりと覚えてはいない。長男や次男とは違い王宮ではなく辺境の警備にあたる騎士だったと思う。
「ロウリ様はめったに中央へは戻ってこられませんので妃殿下の記憶になくても仕方がないかと」
「いつかウェルテクス一家を横にずらっと並べてみたいのよね。セミノール以外は皆父上に似ていると聞いたけど」
「それぞれを見ていれば違いはわかりますが、ともかく体型と仕草がそっくりなのです。肉を頬張っている時などご両親と全く同じようになさるので始めてみた侍女達など笑いを堪えるのが大変なのですよ」
騎士一家はさぞかし豪快な食事をするのだろうなと思いながら望実は「いつか全員とお会いしたいわね」と返す。
テーブルに本を置いてもらいお茶を一緒にしてくれるように頼んで二人でしばらくお気に入りの騎士物語の話をし、ジーンは扉の護衛に戻る。
望実はしばらく国の地理と他国の特徴をメモにまとめてながら調べ、オランジュが昼食に来るのを待った。そろそろ食事の間でちゃんと王族の食事をしなければダメかなと思ってはいるのだが、長細い食卓の端と端で顔もまともに見れずに食べる食事に慣れそうにない。
ただ祭りの際は十二の国の全ての王族がその広間に都度ってお祝いしながら食べると本にかいてあった。ぼちぼち慣れていかないと器用なオランジュに迷惑をかけるだろう。スプーンをすっ飛ばす王妃など聞いたことがない。
「はあ、もう少し祭りまでに時間があれば、あれもこれもと思うとペッシュの村の再建までなかなか行き着かない」
ノックが聞こえてきてオランジュとペッシュが入ってくる。しばらくペッシュはオランジュの話し相手をする望実付きの侍女として働く事になった。これで二人が仲良くなってくれれば万々歳だ。オランジュの父親も幼馴染みの侍女と恋に落ちたのだし、ペッシュは城内でも滅多にいない美少女なのだ。幼いながらに主人公オーラもあるしと望実はオランジュに王を迎える一礼をし、返礼をうける。その後ペッシュに笑いかけるとオランジュがスカートを引いてきた。
「なにゆえははうえはあのものを気にかけるのですか」
「可愛いからよ」
そういって望実はオランジュの頭を撫でるとオランジュは珍しくその手をどけてムッとしたまま椅子に座る。
「わたしのことはもう可愛くないのですか?」
「なにいってるの世界一可愛いわよ」
「ほんとうですか?」
「本当に本当よ。オランジュが一番」
ペッシュに感じる親しさは彼女の前世込みなのだが、オランジュに感じる運命共同体とも言うべき感情は他の誰かに感じるものではない。その説明をするとややこしくなるし、そもそもなぜそうなのかという話までしないといけないので彼女が自然にオランジュに話したいと思うまで望実としては黙っていようと思っている。
追い詰められたペッシュがオランジュに前世の話をして、認めてもらう場面は感動する名シーンなのだ。望実がペラペラ話しては台無しになってしまうではないか。
「それなら、いいのです」
「まだ不満顔じゃない。最近オランジュといれないけれどおうになったらもっと会えなくなるのだから少しずつ慣れていかないとね。そのうち私は王宮を出ることになるだろうし」
オランジュの頬をつまんで言うとオランジュは望実の手を両手で握って首を振る。
「いやです。いつまでもここにいてください」
「そうできればいいのだけどね」
いずれ王妃になるであろう二人のどちらかと対決しなければいけないのならその前に出ていこうと言うのが望実のスタンスだ。
「おじいさまがいっておられました。おまえがあのじゃじゃ馬と結婚すればすべて丸く収まったと。ははうえはわたしがもう少しおおきくなったらわたしの妃になればいいではないですか」
「やだ。オランジュったらずいぶんませちゃったのね。母は嬉しいような悲しいような複雑な気分よ」
「じょうだんではありません」
真剣な表情で言われてバカにしたわけではないのだけれどとつい思いながら望実はオランジュに向き合う。真面目であっても下の階のまことちゃんとオランジュに望実の中で差異はない。どちらも幼いから言える言葉だ。
「オランジュと私はどうしても年が離れてるわ。貴方にはなんでも相談できる年齢の近い王妃を迎えてほしい。何度もいってるけど、私は王様の王妃なのよ。今でも貴方のお父様が大好きだし、やっぱり貴方は私の息子だもの」
「そう言うだろうと言っていましたが、本当だ。父上は母をあいしていたのでしょう?」
それなのになぜと問うオランジュに分かってもらうための答えを望実は持っていない。ポメロが好きだった王様のことをほとんど知らないし、望実にとってはお話の中の一人にすぎないから。ただオランジュは望実に側にいて欲しいだけなのはよくわかる。望実も母にいつもそう感じていたからだ。
「そうね。王様は貴女の母上をとても愛しておられたわ」
「それなら母と結婚するべきでした。ははうえは私にのこしておいてくださればよかったのに」
大好きなデザートを取り上げられたような反応に望実はほほえましく思う。
「色々そこら辺は複雑なのよ。貴女のお母様を王妃にできればよかったと私も思ってるわ。でもそうしたらオランジュとは会えなかったと思う。外国にでも嫁がされるか城下に出されていたかも。貴方の父上のおかげで私たちは出会えたのだからそこは忘れないでね」
オランジュはしばらく納得できないような顔をしていたが、しぶしぶ頷いた。
ところで聞き捨てならない言葉を聞いた気がすると、望実は少し前の会話を巻き戻して反芻する。
「それよりもオランジュ、貴方いつおじいさまと? いえその前にどっちのおじいさま? まさか白いお髭たっぷりの公爵じゃないでしょうね」
公爵は何度かこの階に押し入ってきて追い出されているので出禁になっているはずなのだ。ネビル以外の護衛に通達が行き届いてなかったのだろうかと望実は心配になる。
「線の細い男性でした。母の話をしてくれました」
「どうやって会ったの?」
「その、剣のけいこのときに……つかれていどのそばで休んでいたのです。騎士たちのれんしゅうを見ながら。その時にこえをかけられました」
騎士の稽古は公開されている。それを利用して潜り込んだのだろう。一度、隊長を呼んでしっかりと言い聞かせておく必要がある。
「ははうえは……」
「うん、なに?」
「いずれティエラ家にいってしまうとおじいさまがいっていました。およめにいくのだと」
「それはない」
「そうなのですか?」
「それだけはない。絶対にない。どちらにしてもイヤです」
望実のきっぱりとした拒絶にようやく納得したのかオランジュは笑顔になる。
「それならいいのです」
「わかってくれてよかったわ。昼食にしましょう」
いずれにしても男爵を問いただすのとオランジュ派がもうしばらくは近づかないよう周囲にいっておく必要はある。王になれば反対派閥だろうが、味方派閥だろうがうまくやっていかなくてはいけないが、オランジュにはまだそこまでのやりとりはできない。賢いのでそのうち身に付くと思っているのだけれど。
それにしても頭が痛い問題がまだまだ山積みだ。どれから片付けよう。望実は頭を抱えながらやや上の空で食事を終えた。




