戻る力
その日、望実は熱を出した。
朦朧とした意識の中で誰かが歌を歌っている。黄金に輝く竪琴を持って窓辺で物悲しいメロディーが聞こえてくる。誰かいるのかと尋ねたいが身体が重くて声が出てこない。なんとか寝返りを打つとカーテンが揺れた。窓を開けっぱなしだったのかと手を伸ばすと指先が光っている。
何が起きているのかと手をもう一度見つめてみるがなにも見えない。カーテンに向かって一歩、また一歩と歩いてみる。軋むような痛みは歩けば歩くほど軽くなっていく。なぜだと窓をみるとなにかと視線があった。
「誰なの?」
あの石に触れたときのように両手が光る。キラキラと輝く手を宙に伸ばし、握って開いてを繰り返してみる。自分の中に染み渡るように何かが入ってくる。
誰かが力を注いでくれている。なんとなくそんな気がして望実はバルコニーをつかむ。心地よい気配。温かい感情。どこかで触れあったことがある懐かしい優しさに望実は身を乗り出して叫んだ。
「ママ? ここにいるの?」
そんなわけがない。そう分かっているのに望実は尋ねるのを止めれなかった。
「あああああああ、そんな。いけません。ポメロ様」
「ウェルテクス様。お願いします。こちらへ」
どこか遠くで誰かが叫んでいる。もう少しあの温かさに触れていたかった。オランジュやペッシュとは違う。自分に近い力。
「姫様。しっかりなさってください。なぜ、打ち付けてあった窓が開いているのです」
そんなに怒らないで大丈夫。そうは言えなかった。ネビルが真っ青な顔で抱き抱えてくれる。ごめんなさい。そういえずに望実はまた目を閉じた。
誰かが怒っている声が聞こえる。目を開けると昨日までの身体中のだるさや重さはほとんど消えていた。あっても微熱程度だろう。
「時代が時代なら全員縛り首です。何を考えているのですか、恐ろしい」
「……一層その方がよかった。あんなにおいつめられていらっしゃたとは」
「当たり前です。姫様は貴女も知っての通り箱入りも箱入り、王以外とほとんど会わないで育ったのです。多少男性との距離がないからといってそのような荒療治をする必要などありません。あの方が城に上がったらすぐに夫と抗議をさせていただきます。ティエラ家など失脚すればいいのです」
「それでは、公爵の横暴を許すと言うのですか?」
「何を他人事のように、姫様はエスクード……様の横暴のせいで思い詰めバルコニーから身を投げようとしていたのですよ。昨夜はお一人で入浴できず珍しくミリヤに手伝わせていらっしゃるから、なにかあったのかと心配しておりましたが。み、ミリヤに聞けば、脚と肩に酷い痣が残っていると……非常に強く掴まれた痕ではと。あなた方も一度襲われてみればいいのです」
「襲われたことはあります。どうということはありませんでしたが」
「なんと、なんということをいうのです! グルナード・ティエラ。貴方に人の心はないのですか? ネビル。貴方もです。あの冷血漢の首をへし折ってでも止めるのが護衛と言うもの。それでも王妃付き一の騎士ですか」
「おっしゃる通りです。私は……私が止めていれば」
「そうだ。そなたが止めていれば兄上の掌で嫌な思いをしてまで妃殿下が踊るはめにはならなかっただろうに」
「どの口で言っているのです。当分妃殿下に殿方は合わせません。なんてこと、見目麗しい王子ならまだしも山男になど……絶対に許しません。ええ、王宮で働く全ての女性を敵に回せば宰相の頭も冷えるのでは? どうせ血まで氷っておられるのでしょうけれど」
コラーダが憤慨しながらグルナードに食って掛かっていた。あまりの剣幕に出るタイミングを失った望実は、ネビルったらとため息をつく。
それにしても身投げした覚えもないし、モヤモヤは残っていても人生を憂いた覚えもない。落ち込んでおかしくなりかけてはいたが、ペッシュとオランジュのおかげでこの通り体調もよくなっている。そこまで揉めなくてもと望実は明るくおはようと言おうと決めてドアノブに手をかけた
「これで姫様がどんな殿方とも結婚できなかったらどうするのです」
「その時は責任をもって我が家が引き取ります」
「まあ……なんて呆れたこの後に及んで図々しい。ティエラ家になど絶対にやりません。姫様さえよろしければうちの次男の方がずっと幸せにできますわ。そうだわ。今度さりげなく会っていただきましょう。ティエラに渡すぐらいなら騎士に嫁ぐ方がましです。ネビルは企みに関与しているのでなしですが」
「騎士になど……乱暴でそこつ者ばかりではないですか、ティエラ家は身内は大事にするので知られております。贈り人様からの贈り物である姫様を不幸になどさせません」
「もうなっているではないですか!」
「お、おはよう」
居たたまれなくなって望実はおずおずと部屋から出る。襲われたとかもうほんとどうでもよくなってきた。もちろんエスクードに腹は立ってはいるが、見返したいと思えるぐらいには復活している。
息子の幸せな結婚生活を勝ち取るためにもティエラ家は大事な一族なのだ。
「あの、ね。別に世をはかなんでとかじゃないから、身投げしたわけでもなくて、窓が空いてたから閉めようとしたら高熱で足がもつれて落ちそうになっただけなの。ほんとごめんなさい」
「……そんなことだと思っていました」
「ほんとですか? よかった」
「姫様、グルナード様をかばっておいでなのですね」
三者三様の反応に思わず望実は声を出して笑ってしまった。帰ってきたなと思う。まだ数ヵ月しかたっていないのにここの城が我が家だと感じている。そのことがなんだか嬉しかった。
「ネビル。あれぐらいで身投げするたまじゃないわ。知ってるでしょう?」
少し怖かったけれどネビルの手に手を置く。泣くぐらい心配させたと思えばこれぐらいどうということはない。きっと望実が何をいってもネビルは自分を責めるのだろうけれど、自分がいくと言ったのだ。だから責任は自分にある。
「旅、楽しかったわね」
「……ポメロ……様」
「あなた、疲れてるのよ。今日は交代してもらってまた明日からよろしく」
背中を叩いてコラーダに笑顔を向ける。手の震えは隠した。こんなことで怯えるなんてらしくない。嫌だ。
「コラーダ。ありがとう。私のために怒ってくれて、本当に貴女より優しい人を私、知らないわ。私は大丈夫。だからティエラ卿を叱らないで欲しいの。私が勝手に神殿を抜け出して、勝手に鉱山にいったの。ティエラ家がいきなさいといったわけでも、連れていかれたわけでもないわ」
「そこが兄の恐ろしいところなのですが」
「ええ、ティエラ家の恐ろしさは十分に身に染みたから、今後は気を付けます」
なぜか、グルナードの目は真っ直ぐに見れる。コラーダがハンカチで目を覆うのを見ながら望実はどこかくすぐったい嬉しさに目が潤むのを感じた。
アパートの皆と同じぐらい、いやそれ以上に皆が心配してくれている。望実が王妃で贈り人の残した子供だからというのもわかっている。けれどそれだけではないものを感じて望実は胸を叩く。
「だから、貴方の知恵を貸して。エスクードよりいい方法を教えて、私はどうしてもこのままにしておけないの」
「もちろん……もちろんです。我が主」
グルナードが膝をおる。コラーダもネビルも、ミリヤも、頭を下げる。
「皆、ありがとう」
どの領土にも平等にとはすぐにはいかないだろうけれど、それでも見てきたことをなかったことにしないためにも、望実のような痛い目に子供たちを合わせないためにも。
望実は自身の中から込み上げてくる熱い感情にやっぱりこうでなければと目を閉じた。




