恐怖よりも強いもの
「いったい何があったのですか!」
「それは後ほど。あの少女は今、どちらにいますか?」
軽々と望実を抱き上げるとエスクードはイルの問いかけを無視してペッシュを探す。
「何かが抜け落ちたような……エスクード。私に妃殿下を」
「ペッシュはどこへ」
「部屋で待機しているでしょう」
「てぃ、ティエラ様。ここに」
伯爵の娘のお下がりでも貰ったのだろうか?
望実とは真反対の愛らしい令嬢のような格好をしてペッシュが姿を見せる。エスクードの呼び掛けに緊張しながら側までやって来たペッシュは望実を見て真っ青になる。
「……さん。どうして」
ペッシュは持っていた花を手放すとエスクードに駆け寄った。腕の中の望実はいつもの快活さなど欠片もなく苦しげに眠っている。
「貴女にしか出来ないことです。しっかり手を握って私達がこの部屋に来るまで見ていてください。目を覚まして様子がおかしかったらすぐにネビルに声をかけなさい。小さな貴女では止めれないでしょう」
「分かりました」
「貴女のもつ光は誰より妃殿下に近い。今は落ち着かせることが一番です。さあ、いきますよ大司祭様」
心配そうに手を組んで見守っていたイルはその呼び掛けに嫌そうな顔をしてエスクードを見上げ、後をついていく。
「のぞみさん」
ペッシュは小さな両手で望実の手を握りしめる。ゆっくりだが握っていた手が温かくなっていく。
望実は飛び起きるようにして身体をおこし、見慣れない場所に小さな悲鳴をあげた。
「のぞみさん。大丈夫ですか?」
「…ッシュ。私……戻ってきたの」
暗い淀んだような場所をぐるぐると回り続ける夢を見ていた。真っ暗な中時々、誰かが手を伸ばしてくる。気持ちが悪さに避けようとすると手は望実を追いかけるように伸び、引きずりこもうとしてくれる。
次第に歩くことも息することも苦しくなった時、微かに光が見えた。淡い光を追ってヨタヨタと歩き続けるとだんだんと光が強くなっていく。
「最後に伸ばされた手を掴んだらあなたがいた」
柔らかなピンク色の髪を撫でる。手から伝わる熱が心地よく。手をおろして頬を摘まんでみる。
「のぞみひゃん」
「ふふ、ははは。えいえい」
両手で伸ばすとペッシュがどうしたらいいのか戸惑うに見つめてくる。頬から手を放してベットに引っ張ると望実はペッシュを抱き止める。
「なんだか分からないけどすごい落ち着く」
「はあ」
「気持ちいいんだよね。無くなった何かが継ぎ足されていくような不思議な感じ」
「落ち着きました?」
「うん。大分ね」
いやまだ奥底にあるドロドロした嫌なものは消えていない。それでも空元気を出すように望実は笑った。何も考えたくはないけれど、ペッシュのためにもこのまま故郷を放置しておくわけにもいかない。
「聞かない方がいいですか?」
「……そうだね。ペッシュが、もう少し大きくなって、今の私の年齢になったら言えるかな」
たとえペッシュの中身が自分より年上でも小さな子供に感情をぶつけたくはなかった。それに思い出したくない。記憶をすっぽり抜いてくれればいいのにと望実は思う。
「エスクードは?」
「大司祭様とお話があるみたいです」
「じゃあ、伯爵に」
立ち上がろうとしてよろける。ペッシュが支えてくれるがぐるぐると世界が回っている。このまま目を閉じたらまたあの不快な闇に落ちそうだ。
望実はぱんと頬を叩いて立ち上がる。腹に力をいれて足を踏み込む。
「ネビル」
扉を開けると堅い表情のネビルと目が合う。底冷えのように足先から身体が冷たくなる。望実はネビルを見て笑えなかった。それが悔しくて目をそらして「伯爵を」といった。
「姫様。私は」
「二度というなといったはずです。ここまでありがとうネビル」
無邪気にあの腕に数日前までとびついたり、抱えられたりしていたと思うと複雑な気分だ。
「サガはどうするの?」
「あーそうだな。別に俺はあそこでも生きてるしな」
「そうよね。サガは逞しいもの。ペッシュ。サガが私を助けてくれたの。いいお兄さんで羨ましいわ」
「兄さんが……きっと二人とも、父さんも母さんも自慢に思ってくれています」
「私もそう思う」
照れたように笑うサガに嫌悪感はなかった。ほっとしてペッシュと手を繋いで部屋に戻る。
ネビルが伯爵を連れてきてくれた。望実はペッシュを抱き上げて椅子に座り全身の震えを隠しながら、鉱山での少年少女の扱いの改善について尋ねた。
「ですが、それでは税は払えなくなります。税が払えなければ妃殿下も生活できなくなるのです」
そんなことは望実も分かっている。貴族だってきちんと自分の領地を管理し、危機に対処できるように働いているのだ。伯爵は特に金遣いが荒いわけでも派手な生活をしているわけでもない。
「それでも私と同い年の少女達が花を売り、ペッシュより小さな子供が暴力に晒されるのは税収とは別の事です。全員を今すぐ働かせないようにといっているのではなく、鉱山という過酷な労働でも大人達を上手く動かし、子供にもできることをしてもらう、そのような環境にするためには何が必要かを聞いています」
「戯れ事ですが、一番は教育でしょう。なぜ人を殴ってはいけないのかを根気強く子供の頃か教えるしかない」
「確かに知らないことはできませんからね」
「大人には分かりやすい罰がききます。給料を下げるとか痛い目を見せるとか自分も同じ目にあうとかそういったところが良いでしょう。子供もそれを見て自然とやらない方がいいことを学びます」
確かに根気がいる指導だ。今すぐ何かを変えるのは無理だろう。
「そして次に飴です。子供に労働を教えたもの、助けたものに褒美を出します。それがやがて習慣になれば少しずつ改善されていくものと思います」
「貴重な意見をありがとう。これは城に持ち帰り伯爵の案として提出させていただきます。次の会議でよろしくお願いしますね」
「かしこまりました」
部屋の扉が叩かれエスクードが入ってくる。もちろんイルもだ。
「妃殿下、私は」
「エスクード。城に戻りましょう。もうここで出きることはないわ。私がいても伯爵や村に迷惑がかかる」
「そういたしましょう」
「……ああなるとわかっていたの?」
一瞬ためらうように望実をみてエスクードはゆっくりと頷いた。
沸々と込み上げてきた怒りに任せて望実はエスクードの前に歩いていき頬を叩いた。その瞬間だけはあの最低な時間をすっかり忘れていた。不可思議な高揚感が気持ち悪くて望実は呟く。
「最低」
「そのお気持ちゆめゆめ忘れることがありませんよう。いつでもどこでも危険性はあるのです。貴方が王の妃でなくとも。無邪気に男を信頼してはいけません。私であってもです」
「ええ、そうね」
「貴女はお強い。王になる資質がある。こんなことで挫けていてはいけません。今後の攻防は更にし烈になるでしょう。私が渡したピンで手のひらを貫けるぐらいの強さを持ってください」
言っている全てが本気なのだと分かって望実は苦く笑う。全てエスクードの手の上ならどうして彼は望実を自由にさせるのだろう。もっときつく言えば望実だっておとなしくできるのに。望実が全ての壁にぶち当たるのをみて楽しんでいるような気がする。
「オランジュのところへ帰りましょう」
皆が望実の前で一礼する。望実はどこか空っぽになった心のままそれを見つめていた。




