知らなくてもいいこと
「のぞみさん」
「ごめんね」
困ったように手を引くペッシュに望実は一度立ち止まり、深く息を吸った。
「父親に良いイメージがないの。いつもママを泣かせてるそう思ってたから。だけど、イルやグルナードが慕ってるのを見て少しだけ誇らしかった。そういう人が父親だったんだって嬉しかった。ママが選んだ人は素晴らしい人で私達は捨てられたんじゃないって」
「なかないで」
「ペッシュに酷いことした伯爵が、ただただ優しい父親だったから。だからそれだけで許したくなったの。ごめんなさい」
その場に座り込んでペッシュを抱き締めるとペッシュは望実の涙を自分の服の裾で拭う。
「伯爵に連れてこられなかったらあそこで病気で死んでたかもしれない。ご飯も食べられなくて、のぞみさんとあうこともなく父さんと母さんの死んだ顔ばかり浮かべて泣きつかれて、何にも楽しいことなんて思い出せずにある日皆みたいに動かなくなったかもしれない。こうやって海を見ることもなく」
その時海風が二人に吹き付け、二人は煽られてころんと尻餅をついた。
「海って広いね」
スカートを叩いて立ち上がると望実はペッシュと二人、塔の下まで歩いていきしばらく海を眺めていた。
「こんなスカートじゃなかったら貝殻集めてアクセサリーにしたり、砂場でお城作ったり、浜辺でバーベキューとかするのにね」
「楽しそうです」
無意識にペッシュの頬をつつきながら望実はこれからどうするかを考え出した。まずは消えた村人からだ。伯爵にはこれから相当動いてもらわないといけない。
「日本にいたとき私の世界は単純で、問題はあっても誰かに聞けば解決できたけど、今は聞けば聞くほど分からなくなる」
「でも耳を塞いだら何も聞こえません」
「……そうね……そうねペッシュ。聞こえる声を全部聞かなくても世界は回るけど、無視して聞こえないふりをしたら、いつか聞ける声がなくなってしまう。そんな毎日は嫌だもの」
望実の声にペッシュが顔をしかめる。辛いことを思い出させてしまったかもしれないと望実は慌ててペッシュの手をとって城へと引き返す。
ペッシュは望実に手を引かれこれからも優しい世界が続きますようにと願った。その願いに塔が応えるかのように光出す。
お互いしか見えない少女達は気づかなかったのだけれど、エスクードは城から物珍しそうに眺め、イルは輝く笑顔を二人に向けた。
塔にいたネビルは目映い光に手を止め、驚きで窓にかけよる伯爵を見つめる。唖然としながら伯爵は呟いていた。
「神々の恩寵」
「どうかしましたか?」
「この塔は一の国の女神と三の国の女神から送られた贈り物だ。真なる願いに応え輝くとき世界の扉は再び開かれると数百年前の聖女が預言してからずっと外海を私の一族は見張ってきた」
「それでは」
「あの方は救世主なのだろうか。それとも破壊神なのだろうか」
たっぷりと蓄えた髭をいじり、伯爵はネビルを見て貴族らしい何かを含むような笑顔で笑った。
「先祖が見れなかった物を見るために生かされたならそれもよかろう。騎士ウェルテクス、妃殿下に忠誠を。最も彼女は受け取ってくれないだろうが、何かあれば駆けつけると貴方が胸にしまっておいて欲しい。恩義ではなく、使命でもなく、あの方がどう世界と向き合うかを私は見たくなった」
「この胸にしかと」
目をあげ騎士の礼をしてネビルは胸に拳を当てる。同じように伯爵もまた拳を当てた。
「私が言うのもなんですがまだ幼い少女のような方です」
「ああ。純粋で貴族らしさの欠片もない。公爵が言っていた言葉が何一つ当てはまらない。むき出しの原石のような方だった」
「公爵は、水面下でずっと動いているのですね」
「仕方ない。それが政治だ。小娘が無理に動かそうとして動くものじゃないことは宰相が一番分かっているはずだ」
伯爵の言葉に嫌みはなかったがついネビルは睨んでしまう。使える主に心酔しているのか、馬鹿にしているのか、伯爵の態度はどこかどっち付かずだ。
「誰が磨くのだろうね?」
ただその瞬間ふと微笑む伯爵は父親のような顔つきをしていた。成長する娘をただ喜ぶ父。
ネビルは曖昧な表情で笑うと「宰相閣下が何とか育て上げるのでは?」と応える。
伯爵は声をたてて笑うと「社交界の色男が情けない。私が磨いて見せますぐらい言ったらどうだ」と手を回しながら言う。
「そんな不敬な」
「誰がどう磨くかで価値のない屑石にも価値のつけられない貴石にもなるのだ。宰相閣下のように女子供も歯車の道具程度にしか思っていない男に磨かれて果たしてあの方は貴石になれるのだろうか……いやこれは私のくだらない意見だ。他国にあの逸材を取られないように尽力を注がねば。嫁になど勿体ない」
笑い続ける伯爵にネビルは城に入っていく小さな後ろ姿を見つめる。時折自分より大きく見える不思議な少女だ。伯爵が言っているほど過大評価はしてない。ただ共にいるとなにかしてさしあげたいとそう思うのも確かなのだ。それが騎士が持つ忠誠心なのか、彼女が持つ魅力なのかは分からない。
「やはりグルナード殿には頑張って頂かないといけないな」
「……ええそうですね」
貴族誰もが言う言葉にネビルは初めて即答できない気まずさを感じた。
「ザンザールよ。この塔のように小さな王妃を導きたまえ」
あの手に振り回せるのは悪くない。なにか忘れてしまったわくわくするような興奮がそこにある気がする。本物の貴族なら村人のために泣くことも、司祭に怒ることも、野宿のようなことをすることもせず城の中でおとなしく運命の王子様でも待っているのだろう。
ネビルにとってポメロはそういう少女だった。けれどここ一月あまり全く違う方へ、思っても見なかった進化をしていると思う。振り回され続けているが、緩慢とした退屈な日々とは違い、どうなるかわからない胸が高鳴るような感覚。
ふと思い返してそれを心地よく感じる自分にネビルは伯爵やグルナードの事を言えないなと髪の毛をくしゃくしゃにして笑う。
あの小さな肩がいつまでもしゃんとしているように見守るだけだ。それが約束だ。優しい、ただ優しかった王との約束。それだけで、ネビルはこの国に止まり騎士として王妃の居場所を守り続けてきた。
「理由がかわちまっても、優しい貴方は文句は言わないでしょうが、今度は心から守れるように」
胸の奥が熱くなる。
ネビルはそんな自分もいたのだと小さく笑った。




