聖女と贈り人
「な、なぜ……」
ペッシュの握り返す手が強くなる。
どうして、なぜこうなったのか。頭の中が真っ白になりぐるぐると回り始める。エスクードは一緒にいたわけではなさそうだけど、彼はどこにいるのだろう?
「なぜと申しましても、人を脅し、物を奪い、神聖な場所で暴行を行ったのです。大悪党が妃殿下の騎士など名乗っていいのですか?」
「ドペリ、妃殿下は動揺しておられます。貴方も腹心に裏切られたではないですか。妃殿下の気持ちも察っしてください」
「申し訳ありません。ただ彼もあの男も変わりはいるのです。そうですぞ、たいそう美男で腕も優秀な田舎貴族に知り合いがおります。ぜひ妃殿下のお側近くにおいていただければ」
ムカムカしてくる。顔もみたくない。いますぐその顔にグーで拳を作ってめり込ませたい。この込み上げる吐き気はどうすればいいのか。
望実は声も出せずにイルを見つめる。こんな、こんな酷い最低で下劣な人間と何を話せばいいのだろう。
「ネビルは私にとって掛け替えのない存在でした。おって……ウェルタクスへの……処分を……決めます」
ポメロはどうやってこういう時、乗りきったのだろう。声をあげることも泣きもしないペッシュの痛いぐらいの動揺が手から伝わってくる。ここに来たのが間違いだったとグルナードに叱ってもらいたくなった。
「妃殿下の寛大で聡明なる判断、感服しましたぞ。ザンザールもきっと妃殿下の道を明るく照らしてくれるでしょう」
「その通りです」
「協力した我らに是非手厚い保護を。村人達は病と火事で疲弊しております。全員が自分の身を売るしかないのです」
「その辺りはイルに任せています。良いように」
笑えただろうか? 笑えていなかったと思う。そんな薄情でも面の皮が厚いわけでもない。
望実はイルが話している事何一つ頭に入ってこなかった。二人が目の前から今すぐ消えることだけを願った。結局イルにとって大事なのは神殿で、この男にとって大事なのは保身と金で。
ぽたり、 ぽたり、ぽたり。後から後から涙が流れる。手をほどいてペッシュが望実の頬を拭った。
「のぞみさん。私、父と母が死ぬときなんとなくですが、わかったんです。だから兄は死んでないと思います」
「そ、んな……気休め言わないで」
「おちついてください」
「あなたにはわからない。あなたは一度死んでるじゃない」
自分の力がないこと、勝手な事をして最悪の結果をもたらしたこと、ペッシュに顔向けできないこと、イルへの苛立ち全部が望実の中で大きな怒りに変わる。
今すぐ、今すぐにあの肉の塊に雷でも落ちて黒こげになればいい。あんな人間が生きていていいわけがない。ネビルとサガの方が何千倍もいい人間だった。神は不公平だ。神様なんてどうせいても人間なんてどうでもいいのだろう。
人を勝手に異世界に飛ばし、母から引き離し、王妃だなんだと閉じ込め、何の言葉もない。なぜこの世界に来なければいけなかったのか。私は……。
「のぞみさん。それ以上はだめです。何かが揺れてる。かなしみが、いかりが一気に流れて。のぞみさん、貴女には……大事な大事な人がいるでしょう? ここからでていこうとしないで、贈り人に嫌われたらこの世界が絶望してしまう」
ペッシュが望実の手を両手で包むように握りしめる。その瞬間望実の頭の中にオランジュの笑顔が浮かんだ。頭痛もめまいも消え、霧が一気になっくなるように心が凪ぐ。
二人で頑張ろうと二人ぼっちの自分達は誓ったのだ。勝手な事をしたのは自分。オランジュでも世界でもない。
「ペッシュ。私……酷いことを言った」
「いいんです」
「ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。自分が一番情けないの。人が……人がこんなに簡単に死ぬなんて考えたくない。頭も感情も追い付かない」
「わたしが、前の日本で生きていたとき。人を殺したと言ったらのぞみさんはどうします?」
泣きそうなのにけして泣かないペッシュに胸が痛くなる。望実は言葉を失って首を振った。
「今のペッシュは違う人生を生きてるんだから関係ないと思う」
「それでもわたしの心の中からは消えないんです。一番最初に思い出した記憶は最低でした。ずっとこの世界にこれたことを感謝しました。神様は祈っても叫んでも泣いても助けてくれなかったから。でもここでやさしい両親とやさしいお兄ちゃんと貧乏だけどあったかい家で暮らせてわたしは幸せだった」
いっそう記憶なんてなければと何度も思ったとペッシュは言う。望実はペッシュを抱き上げ、抱き締める。たった一人の記憶の共有者なのだ。それも自分より小さくて、ずっと苦労している。
この子を幸せにするとサガに誓ったのに。さっそく八つ当たりするなんて、最低だ。あのチャーシュー以下じゃないか。
望実の頬を裾で拭ってペッシュは小さく泣いた。
「両親の死が笑顔の向こうに見えて、村中が病気に苦しんで、お兄ちゃんがいなくなってそこからどうやって生きてきたかわからないんです。気づけば塔でぼんやりとすごしていました。伯爵がつれてくる人の死の影があるか何度も何度もきかれて、悲惨な死に方が浮かんでずっと吐き続けたこともあります」
望実は寂しかったけれど、劣悪な環境に置かれたわけじゃない。ペッシュやオランジュのように放っておかれた事など一度もなかった。
「きっとこのままなんの夢もみれず、外にもいけず死ぬんだろうって思ったとき、お兄ちゃんとのぞみさんがやってきた」
ペッシュは望実をしっかり見て首元に抱きつく。
「日本語で語りかけて、あそこから連れ出してくれた。希望をくれた。生きてていいんだって、自分の罪が消えるわけじゃないけど、まだここで生きてていいんだって思えたんです。神殿のなかでも、小屋のなかでも、空を飛んでいるときも、ずっとわたしを守ってくれて、ありがとう。あなたに、あなたにザンザールの祝福を」
馬車が黄金の光に包まれる。心の奥底から温かい何かが溢れで来る。優しさや愛、慈しみ、この世界の美しい感情すべてが望実を包み込む。
「ペッシュ……やっぱり貴方は間違いなく私の聖女よ。この世界に来てくれてありがとう」
その時、扉が開いてイルが困ったような顔で入ってきた。
「ついさっき死んでしまうかと思うぐらい強烈な痛みが襲ってきたと思えば、今度はまた違う方向で強すぎる力が馬車全体を包み込んで……お二人は感情のコントロールと力の制御をきちんと学ばねばいけませんね」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「では、行きましょうか」
どこにとは言わなかった。ペッシュと望実はずっと手を繋いで前を見続けた。ペッシュが言ったのだ。きっとネビルもサガも生きている。必ず助けないと。四人で城に戻るんだ。
その時どれだけまばゆい黄金の輝きに包まれていたか御者だけが知っている。
「ここは……」
「大司祭様、なぜ」
たどり着いた場所は伯爵の城壁で、望実は目を白黒させながらイルを見つめる。
「そろそろですね」
「えっ」
ペッシュの身体がぐらつき望実に倒れ込む。望実は両手で小さな身体を抱き止め動揺しながらイルを見た。
「どういうこと?」
「貴女が暴走しないように全力を使ったのです。一度ダムの決壊が始まると止まるのは難しい。無理に止めようとすると他の場所も綻んでいきます。ですからその小さな身体に大きすぎる聖力が耐えきれなくなるまで待っていました」
「大丈夫なのよね」
「ええ、しばらく倦怠感に襲われますが、空っぽになった器に自然に力が戻れば大丈夫です。のぞみ、けっして力を送ろうとか願ってはいけませんよ。貴女のそれは異質です。送るにしてもコントロールしなければ……こんなに感情的でよく生きてこれましたね」
「感情を出したらダメって言われてこなかったから」
「ダメとは言っていません。コントロールしてくださいといっているだけです」
トントンと扉が叩かれる。イルはすっと背筋を伸ばし「どうぞ」と言った。
伯爵に会う顔を作れなかった望実は思わぬ人物が目の前にいることに驚いて瞬きを忘れる。
「エスクード」
「お疲れ様でした。妃殿下。あの醜悪な豚がお心を苦しめたようですが、そのうち処分しますのでもう少しお待ちください」
エスコートするように手を伸ばす銀髪の男性に手を向けると反対側の馬車も開き、ペッシュが抱き抱えあげられる。一瞬ネビルといいかけたが彼ではない。
「貴方は何をしていたの?」
外に出ると眩しいぐらいに陽が輝いていた。海の静寂を先程までの事が夢だったのではと思わせるほど穏やかに感じる。感情の振り幅が大きくてついていけない望実は戸惑ったまま馬車を降りエスクードを見上げる。
「失礼致します」
「な、エスクード。大丈夫だから」
ペッシュはともかく自分までお姫様抱っこされるとは、望実はエスクードの髪を引っ張って抗議するがなんの反応もない。
「少しやり過ぎてしまったので辺りを見回さないように」
「なにを」
「私だけを見ていていただきたい」
にっこりと笑う笑顔はこの上なく胡散臭いのに、それはそれは美しかった。卑怯だと思いながらつい見つめてしまう。
「素直でいいことです。この気に妃殿下には勝手に外に出ると危険しかないということを身に刻んでほしいものですが」
「……はい」
前に通された玄関を見ると死体の山が積み上がっていた。とんでもない光景に思わずエスクードにしがみついてしまう。
「ま、まさか? 一人で?」
「あの程度どうということはありません。本気でやってまずいと思ったのは貴方の父上と一戦交えた時ぐらいです。まあ、あの時は本気で死を覚悟しましたが」
「父と?」
「妃殿下の父上は正攻法が通用しないのに正攻法で来るかたなので対処のしようがないという大変面白い方でした」
すぐ脇の応接間のソファーに下ろされる。エスクードとこんな風に話したことはない。望実は少し緊張しながらスカートを整える。
「さて、妃殿下。貴方にお返ししなければならないものがありますが、まずは私の冒険談からでよろしいでしょうか?」
望実はこくりと頷いた。




