教授は空気が読めない
「あ。」
「おはようございます、立石さん。」
「おー、おはよう。」
エレベーターを降りたところでちょうど階段を降りてきた立石さんと鉢合わせた。
くま出来てる。
「立石さん、寝不足ですか?」
「えっ!あー、まあちょっと何か、寝れなかったっていうか。」
立石さんはそう言って目を泳がせながら顔を赤くしていた。
どうしたんだろう。まあ、昨日今日の仲だし、言いにくいこともあるだろう。
「せっかくなので一緒にいきましょう。」
「おー。」
なんだか朝から疲れている立石さん。
それにしても今まで一回もマンションで出会ったこともないと思う。出会った瞬間とはまた。なんかもしかしたら私が覚えてないだけなんじゃないかなって思えてきた。そもそも話したことも面識もない人とすれ違ったくらいだと覚えていないかとも思う。
「ところで立石さん。いつ行きますか?」
昨日の病院の話だ。結局あのあと立石さんは了承してくれたけれど、どこか落ち着かない様子で相談してももごもごしていたので、眠いなら早く帰って寝てくださいと追い返したのだ。
てか早く寝ろって返したのに寝不足なの?どうしようもないな。
「そうだな、早いほうがいいのかもしれないけど・・・ほんとうに大丈夫なのか?」
「はい。私が倒れそうになったら、立石さんが助けてください。頼りにしていますね。」
「うっ・・・ま、まかせろ。」
立石さんは暑いらしい。また顔赤くなってる。
あまり堂々と町中でするような話でもないので、切り替えて共通の話題、古典の話で盛り上がる。
立石さんは本当は教職員になりたいと思っていたそうだ。だからこの物語が好き!といったものはないらしい。なんでうちの大学に来たの?と聞けば、由希のお守りは近くにいたほうが圧倒的に楽だと思ったから、だとか。なるほど、大変ですね。
「というより、なんで由希のお守りを?」
「うちの女系家系に男の意見など通らない・・・。」
立石さんはげっそりとした様子で大きくため息を吐いた。そういえば由希はの家系は女の子しか生まれず、珍しく十何代ぶりに男の子が生まれたのが、立石さんらしい。そりゃ肩身狭いよね。由希のお父さんもいつも静かに縮こまっている。
「女の子がそんな危ないところに迎えに行けるわけ無いでしょ、あんたがいってきなさいよーとか言われんだけどさ。そんな危ないところに行ってんの女の子だしあいつ本当に何考えてんの。高校の頃から長期休暇とかであいつ飛び出すからすぐ俺駆り出されんの。そりゃこっちに来るでしょ。」
「なるほど。ご愁傷さまです。」
ちなみに、立石さんにはお姉さんと妹さんがいるらしい。さぞかし美人な姉妹なんだろう。
私はずっと一人っ子だったけど、由希や由希のお姉さんが本当の姉妹のようだったから一人っ子という感覚はあまりない。
「あ、ちなみに俺の姉妹たちも由希ほどじゃないけど寄せ付けないよ。俺の家で見たことなんてなかったけど、高校とか行くと見かけるって感じだったから。」
「やっぱ血筋なんですね。」
羨ましいことこの上ない。何だそのバッチリ守られた環境。天国か。
「おや?」
大学の門が見えてきたという頃。後ろから低く響く男性の声。もちろん、聞き慣れた声だ。
私と立石さんは、恐る恐る後ろを振り返った。
「いやー、君たち仲良くなったの?よかったー、二人で登校なんて、なに?もう付き合ってるの?」
「は?」
「そんな怖い声出さないでよ織野ちゃん。」
「教授、あんまふざけたことばっか言ってると私自分のレポート真っ二つに裂いてボイコットしますからね。」
「冗談だよ織野くん、君の発表はぜひとも楽しみにしているからね。」
思った通り、そこにいたのは私達が大変お世話になっている有村教授だ。齢47歳にして、教授2年目。とても優秀で、しかも若作りがすごく、30代にしか見えないというお人だ。
というか教授、からかうのはやめなさい。ほらもう純情立石さんがあわあわしてるよ。大丈夫かな、立石さん。そんなイケメンなのに女の子慣れしてないのだろうか。私の中で完全にあなたは純情青年です。
「ところで織野くん。今日は2限の英語が休講になってしまったそうだ。そして立石くんは私に呼ばれてやってきたんだよね?」
「はあ・・・」
「よし、じゃあ行こう!」
なんで休講にしたんだ馬淵教授!
なんて叫びも虚しく、私と立石さんは教授に連れられて教授室で時間、こき使われることとなってしまったのである。
「まさか昼休みすらもらえないなんて。しかも、今日の私の授業が全部休講になってるだなんて。陰謀を感じませんか立石さん。」
「そうだな。俺も教授の都合のいいときだけ何故か休講になるという謎の現象をよく体感する。」
2人してげっそりしながら、15時の遅い昼食を食堂で食べる。今日の日替わりランチは山菜と牛丼だったので、それをいただくことにした。この学食、美味しいんです。安いかっていわれると、普通くらいだと思うけれど。でも外の食事処はどこもランチ終わっている時間だから、とても助かるわけである。
「まさか陰謀だなんて。そんなわけないじゃないかー。」
出たな悪の大権現。なんて口に出せるはずもない。
私達はつい先程まで、教授が今まさに研究中の論文に使える資料をひたすらまとめる作業をしていたわけだ。私まだ2年生なんだけど。とはいえ、教授が集めてきた資料はやはり的確で、追加の資料を探す必要はひとまずなかった。ただこの人とにかく整理が苦手すぎて、もうグッチャグチャだったから大変だった。・・・大変だったのだ。
「ねえところで、2人は何?付き合うの?なんか2人でご飯なんか食べちゃってさ。僕ね、2人は相性バッチリだと思っていたんだよ!優秀な僕の弟子だしね!もしまだ付き合っていないなら、付き合ったら?」
「少なくとも付き合えって思うんだったらこうして私達の間に入ってくるのは得策ではありませんね。」
「あ、たしかに。でもいいじゃないか、一人の食事は美味しくないからね。」
由希に負けず劣らず彼はとてつもなくマイペースな人だ。そして真っ赤になる立石さんを見て教授はニヤニヤしている。
立石さん気付いて。あなたのその純な反応に彼は面白がっているだけなの。
立石さんって、こういうところが教授に気に入られてるんだろう。今日も授業もゼミもなかったのに教授に呼び出されてきたって言っていた。
「不憫な人。」
「織野ちゃん、口に出てるよ。」
「あ。すいません。」
「今のが一番心に刺さった。」
シュンとしている立石さんと、教授を交互に見る。
うん、遊ばれている。
「それで?なんで2人仲良くなっちゃったの?」
教授に切り出されて思い出した。
せっかく今日は空き時間があったので、この大学付近出身の知人に瀬川医院のことを聞こうと思っていたのに。そういえば教授はちょうど瀬川医院がある隣町に住んでいなかっただろうか?
ちらりと立石さんを見れば、彼も気づいたようだった。
「教授教授。教授の家って瀬川医院の近くっすよね?言ったことあります?」
「瀬川医院?うん。今はこの大学の病院に行くけど、3年前までは向こうの地区の大学に勤めていたからね。何かあれば瀬川医院にかかっていたよ。実はねー、5年前に健康診断に引っかかって検査入院したことが会ってさー。」
「え、通ってたんですか?」
思わぬ収穫だ。まさか、通っていたどころか、入院経験があったなんて。
「なに、行くの?」
「あ、いや俺の従姉妹が階段から落ちてそこに今日まで入院してるんすよ。」
「従姉妹って、橘くんかい?あの元気な子?階段から落ちるなんて、お転婆さんだねえ。」
教授も由希知ってるんですね。有名ですもんねあの子。
いつも元気に走り回っているくせに成績は上場。単位も計算尽くされているっていうんだから、サボっても無茶しても怒るにも怒れない。これは高校の頃もそうだった。そういう頭の良さは持ってるのに、あの子はおバカ認定をされがちだ。
「そうか、じゃあ瀬川医院行ったの?君たち。そこで出会った感じ?」
「あ、そうっす。」
「ふーん。あ、じゃあ彼女いた?瀬川さん。きれーいな看護師さん。」
「瀬川さん?」
そうそう、と教授は頷きながらデレッと鼻の下を伸ばした。
「そう、黒髪ロングをきれいにお団子でまとめてる、穏やかで菩薩のような笑顔の彼女。ちょっとつり目で背が高いからきっとすぐわかるよー。患者さんからもすごい人気でさー、まあでも院長の娘さんなんだけどねー。」
教授が鼻の下を伸ばしているのを見ながら、はいはいそうですかー。と聞き流していると、立石さんがガタッと立ち上がった。
「織野さん。彼女だ。」
なんですと。




