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瀬川医院


「瀬川医院のことについてなら、医学部の天海准教授がよく知っているはずだよ。口添えしておこうか?」




有村教授の一言で、私と立石さんは医学部の天海准教授の研究室までやってきた。ちなみに、あのあとご飯を食べて研究室を片付けてから、大学病院がある医学部キャンパスに移動するために電車で3駅移動してきたので、時刻は18時。今日はもう瀬川医院に行くのは諦めようと思う。

というよりも教授は本当に何者なんだろうか。医学部の天海准教授とも親交があるなんて思わなかった。

ちなみに天海准教授は大学の中でも名を知られている人で、医学部の教授枠が開けばすぐに教授に上がるだろうといわれた優秀な人だ。医学部で40代。おそらく有村教授とさほど年は変わらないだろう。

今は教授の補佐をしているようだが、天海准教授の担当する教授が国内外の出張が多い人なので、大学のことは天海准教授が殆どを担当しているらしい。


「失礼しまーす。有村教授のゼミ生の立石です。」

「ああ、入りなさい。」


篭ったような声が聞こえ、扉を開けて中を見る。

中は有村教授の研究室とは大違いにとても整理されていた。もちろん資料の山は散見されるが、とてもきれいに整頓してある。その中にチラホラとおいてある飛行機の模型。これは天海准教授の趣味だろうか?それとも、教授か。少なくとも整頓されたところは天海准教授の性格だろうと見受けられる。有村教授の研究室の直後に来ただけあって、やはり研究室とは教授の性格が現れる場所であるということがありありと感じられた。


「ああちょっとそこのソファに座って待っててくれる?ちょっとこれだけまとめたいんだ。」


天海准教授は人の良さそうな笑みを浮かべると、部屋の脇においてある客人用ソファを指した。忙しいときに邪魔してしまったようだ。少し申し訳なく思いながらも、おとなしく立石さんとともに椅子にかけた。


「・・・きれいな部屋だ。」

「同感です。有村教授の部屋がひどすぎます。」


小さく会話していたが、3人しかいない部屋では声が聞こえたらしい。天海准教授がクスクスと笑っているのが聞こえた。

教授を馬鹿にする発言だったので咎められるかと思いきや、なかなか気のいい人なのかもしれない。


「君たちも有村先輩には随分と苦労させられているらしいね。」


天海准教授は終わったのか中断したのか、すぐに私達のソファの前まで来てくれた。


「実は有村先輩とは高校時代からの仲でね。私も先輩も生徒会に所属していたから、とても良くして・・・違うな。とてもこき使われていたんだよ。」


君たちもそうだろう?と言いながら、天海准教授はクスクスと笑った。

あの教授、高校の頃からそんなんだったのか、あの人。やはりすごい人は今も昔も変わらないんだな。

とても可哀想な同情の目を向けてしまうのは仕方のないことだと思う。


「とは言ってもまあ、お世話になっているからね。私の場合、論文や文章を書くのがとても苦手だから。他の人に添削してもらったり見てもらおうだなんて怖くて思えないけど、未だに有村先輩には発表前の論文なんかを読んでもらったりするくらいだ。」

「え、ご自身の研究論文を、ですか?」

「ああ。君たちもわかる気がしないかい?あの人に論文を見せたところで悪用なんてされるはずもない。

ましてや、あの人ほどの人は悪用するまでもないというか。」


天海准教授がいかに有村教授を信頼しているかが伺える。いや、いくら信用してても自分の研究論文見せちゃうのはいかがなものかと思うけれど。


「でもそれほど、私の各論文は人の目に当てられるようなものではないとも言えるけどね。きっと、あの人以外の人が読んでも全く理解できず、ここまでの地位に私が上がることもできなかっただろう。」


ちょっと僕がメモした資料読んでみるかい?と言われ、差し出されるままに彼のメモとやらを見せてもらう。

本格的な医学関連のものだったらわからないかと思いきや、高校で習ったような生物の内容らしい。それならなんとか理解できるのではないだろうかと思いながら、立石さんとともにその資料を読んでみる。

とても几帳面さが現れる、きれいな字だった。

そう、字はきれいだった。


「・・・・・・。」

「・・・・・・。」


言葉にならないとはこのことか。

とにかく、なんというか、説明が足りないのか、それとも単純にこれは自分用のメモだから要所しか書いていないのか?と思うほどに全く脈絡もなく、意味もない文章の羅列のように見える。


「ちなみにそれをよんで、有村先輩が添削してくれたものだ。」


手渡されて読んだそれには、非常にわかりやすく、血液型の分類方法が書いてあった。これ高校レベルっていうよりも、中学生で習うレベルの話だ。

本当にこのメモに書いてあることをまとめたらこうなるのだろうか?たしかに、メモに書いてある文章が添削された資料にもところどころに書いてあるのを見つけた。


「え、同じ内容ってことですか、これ?」

「そう。私はそうかくつもりでそのメモを書いたんだ。」


思わず尋ねた立石さんに、天海准教授が苦笑しながら頷いた。


「こことここをね。私は理解できている前提で書いているから、これだと理解できるわけないんだっていわれてこれを書き足した。ここと、ここもそうだ。有村先輩は私に慣れているからということもあるかもしれないが、こういった意見をスラスラと出してくれる。おかげで私はこの仕事で大成することができたよ。」


書いてないことまで言い当てる、しかもこれが一例だとすると相当専門的な文章を書いてある者なんてどうやって添削しているんだろうか。天海准教授の崩壊された文章能力も十二分にとんでもないものだが、有村教授の頭のおかしさはやはり天才となんちゃらは紙一重っというやつなんだろう。


「さあ、これで君たちの中の教授の株も少し上げられたかな?たまには彼にも恩返しをしなければと思ってね。彼に気に入られている生徒たちからの彼の株を上げられたらと思ったんだけれど。」

「えっあー・・・そうっすね。」

「・・・古典だけじゃないんですね。」


少し唖然としながら、ただなんだか釈然としない気持ちがする。

教授のことはたしかにすごいと思うし、天才だとも思う。ただなんか癪である。


「さて、そんな私が信頼して尊敬している有村教授からの頼みだ。君たちの役に立てることならなんでもしたいと思っているけれど、今日は一体どんな要件でここに?」


ここで、立石さんと目を合わせる。

こういってはなんだが瀬川医院のあまり良くない話を聞こうとしている以上、もし彼が親しい友人関係などであれば、切り出し方も気を使う。どうしたものか。


「ああ、もしかしてあれかな?変な噂があるって話?病人の様態が悪化する、とか。」

「ご存知なんですか?」

「ああ。実は瀬川医院の院長は私の大学時代の同期でね。確か1年前に彼の父が倒れられて、今の院長が継いだんだ。それからそういう噂は少し落ち着いたようだけどね。

その噂が流れたのは2年前・・・ちょうど元院長の娘さん・・・いわゆる今の院長の妹さん。看護師をしていた人だったんだが、彼女が病気で倒れた頃だった。元院長が倒れられたのは、娘さんの病が手を付けられないものらしく、心労たたって、ということらしい。彼が倒れた前後はとにかく評判が悪かったんだ。

他の医師たちももちろん優秀だったが、とにかくあの病院は院長の腕前がいいということで有名になった病院だからね。その院長が倒れるほどに体調を崩してしまった時は、様々な噂が流れていたらしい。」


元院長の娘さん・・・有村教授が言っていた特徴と立石さんが見た看護師の霊の見た目は一致していたらしい。となると、おそらくその幽霊はその病気で倒れたという娘さんなのだろう。


「・・・ちなみにその娘さん、今は・・・?」


おそらくもう亡くなってしまっているのだろう。

私もおそらく立石さんも、なんとなく答えを予想していた。

しかし返ってきた彼の返答は、私達が想定していない答え。


「特に亡くなったという話は聞いていないよ。おそらく今も寝たきりの生活をしているのかもしれない。」

「え?」

「ああじゃあ、まだご健在なんですね!」


思わず漏れた声に、立石さんが慌てて笑顔で取り繕う。

立石さんさすが、由希のお世話係をしているだけある。天海准教授もあまり気にしてはいないようだ。ほっと一息ついた。


「瀬川医院の元院長もご健在なんですか?」


娘さんが生きているということは、後を追うように体を壊してしまった彼は現在どうしているのだろうか。


「彼も亡くなったという話は聞かないよ。一応旧友で現院長とは交友もあるからね。あーそれでも、最近の学会や医師会なんかでは全く見なくなったな。病院は息子に任せて、娘の介護にあたっているのかもしれないね。」


とても嫌な予感がした。

娘さんであろう彼女はもう、霊となってしまっている。しかし、亡くなったという話は聞かない。さらに言えば姿も見ていないらしい。

・・・幽体離脱?いや、そんなはずない。幽体離脱した人間はまだ死んでいない人間だ。私は”死んでいない人間の声を聞いたことがない”のだ。声を聞いて、私がその感情から見える範囲では。それともあの悲痛の助けを呼ぶ叫びは、生きているこそなのだろうか?


「あの、ちなみに、彼女の病状はご存じですか?」

「・・・詳しい様態は聞いていない。だが、発見がかなり遅れたと嘆いていた・・・乳がんだった。それも、転移が見られたそうだ。話を聞いていただけでも、もう長くはないと思っていたが・・・随分と状態が落ち着いているんだろうか?」


少し不思議そうに首を傾げる天海准教授。

おそらく彼が知っているのはここまで・・・と言うより、十分な収穫だと思った。何らかの形で霊になってしまった彼女は、病気の苦しみを訴えてきたのか。それとも・・・。

少し考える時間がほしい。でも、急に押しかけて急に出ていくのも失礼な気がする。

と思ったその時、私の携帯電話の着信音が鳴った。


「・・・ちょっと失礼します。」


表示を見ると、そこの表示されたのは由希の名前だった。そういえば今日退院だったっけ。


「織ちゃーん!」

「どうしたの。桐谷さんに迎えに行ってもらったんじゃないの?」

「それが、退院延期になっちゃったの。ねえ織ちゃんお願い一回病院に来て!まだ面会間に合うから!」


退院が延期?

彼女は確かに両足を怪我して思うように動けないが、退院できないほどではないのでは?

そもそも生活に関しては一度実家に帰る予定だったようなので、あまり心配していなかったのだけど。


「・・・あの、天海准教授。実はその瀬川医院に入院している友人がいたので今日突然お話を聞きに来たんですけど、その子がちょっと・・・お見舞いに来てほしいって今、連絡がありまして。」


ちょっと気まずいが、好都合。立石さんとも一度話したいことはあったし、瀬川医院にも行きたいと思っていたのだ。少し申し訳なさそうに言えば、天海准教授は特に不快を感じた様子もなく、ニッコリと笑った。


「ああ、それで心配して話を聞きに来たんだね。いいよ、言ってきなさい。

もしまた聞きたいことがあれば、一度連絡をくれれば時間を作ろう。」


天海准教授はそう言って名刺を私達に渡してくれた。

この人本当にいい人だ。頭のいい、しかも医学部のエリートというのだったらもう少し嫌味があってもおかしくないだろうに。それほどまでに有村教授に弱みを握られているのだろうか。


「あの、それでは。本当にありがとうございました。失礼します。」

「あ、俺も。失礼します。」


私と立石さんは二人で深々と頭を下げ、天海准教授の研究室を去った。

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