15.入り婿と予期せぬ来訪者来る!?(4)
蒸し鶏のクリームソース掛けを主とした昼食は兄夫婦が同席した事もあり、普段にはない賑やかなものとなった。
「ねぇ。庭、見てみたいな」
応接間に戻る道すがら、そう所望したのはプラテーンだった。
端から端まで手入れされた大貴族の庭園に興味があるらしい。そういえば、カナリーが話の種に言っていたような気がする。
プラテーンはユクシャの腕に腕を絡めて、上目遣いに見上げている。
彼女の強請る時のお決まりの格好とはいえ、美人の部類に入るプラテーンにこんな動作をされれば、男子なら赤面の一つや二つくらいしそうだが。
「うーん。そうだな…」
見上げられるユクシャは平然としているではないか。
性格(中身)を知っているからなのか、見慣れているからなのか、はたまた両方なのか。
「だぁめ?」
ことりと首を傾げるプラテーンを援護するのは勿論キーフェルだ。
前を歩いていたキーフェルは首を捻り、口を挟む。
「うん。それ、いいな。ロイニにも会いたいし」
「あー…。ロイニか」
これでもユクシャは答えを避けている節を見せる。
プラテーンの希望は何て事ないものだが、ユクシャにとってはそうではない。
限られた場所の行き来しかしていないので、庭園の案内は出来そうにない。したら、迷子になりそうだ。
相手は兄夫婦なので、何時までも答えを渋らずに事情を話してしまおう、と口を開き掛けたが。
「駄目なんかじゃありませんわ。どうぞごゆっくりご覧になって下さいませ」
先頭を歩いていたカナリーが割って入ってきたのでユクシャは口を噤んだ。
ヒュッセライン家三人から注目されたカナリーは何となく言い辛そうな素振りで付け加える。
「それで、ですね。お邪魔でなければ御一緒させてもらえれば、うれしいのですが…」
微かに頬を染めて視線をさ迷わせながら言うカナリーの語尾は尻すぼみに消えていった。
そろそろ家族だけにして部外者は引っ込むべきなのだろうけど、まだ話し足りなくて、でもでもやっぱり部外者で――なんて葛藤する様がつぶさに読み取れる。
それはユクシャだけでなく、プラテーン――きっとキーフェルも――にも分かったのだろう。彼女はユクシャの腕を放して。
「君はもう私の可愛い義妹なんだから、一緒に行くの。これは決定事項!」
プラテーンは勢い良くカナリーに近付いたと思ったら、そう言ってカナリーの頭をわしゃわしゃと撫で回した。
普段は乱れ一つない髪がくしゃくしゃなったカナリーがどんな反応を示すのか冷や冷やしてしまったが、杞憂であった。
カナリーは一瞬だけ呆けたように目を見開いて、その後ですぐに嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。そう言っていただいて嬉しい限りですわ」
カナリーとプラテーン高い声が廊下でもまた楽しげに響く。
そんな女性達にユクシャはキーフェルと顔を見合わせ、口元を引き攣らせるのだった。
まあ、庭の案内はカナリーが買って出てくれたのお任せするつもりではあるが。
では先ず、と向かったのはロイニの居る厩。
連れ立った先頭を行くのはユクシャである。ここら辺は通い慣れているので当然だ。
「良い場所ですね」
厩が見えてきた所でキーフェルとプラテーンが異口同音に声を揃える。
お世辞ではなく、これは本心から出たものである。豪華過ぎて、どうにも自身には不相応で落ち着かない屋敷内より、畑と厩がある木々に囲まれた長閑な方が性に合っている。
考えが手に取るように理解したユクシャもやはり同意見だ。
厩に近付いてみてユクシャは気付いたが、馬など家畜を世話を主とするオータの姿が見当たらない。ぐるりと辺りを見渡しても残念ながら見つけられない。
オータの事を兄夫婦に友人だと紹介したかったが、仕方がない、諦めよう。
同じように近付いてくるユクシャ達に気付いたのだろう。
何頭かの馬と目が合う。その中でもあからさまな動作をする馬が一頭。
ユクシャの愛馬ロイニだ。左右の耳がばらばらに動いて、目が落ち着きなく、あちらこちらをさ迷わせている。
予期していたとはいえ、ユクシャは失笑を漏らす。
「ちょっと先に行って――きます」
後ろを振り向いた拍子にカナリーと目が合ったユクシャは敬語を取って付けると、一人で柵を乗り越えてロイニに近付いた。
どうも人見知りの気があるロイニには見知らぬ――多分ではあるが――カナリーと数回顔を合わせただけの慣れぬ兄夫婦を見て、すっかり怯えている様子だった。
「ロイニ。ほら、大丈夫だよ」
ユクシャが声を掛けて、艶やかな青毛を撫でている内に程なくしてロイニは落ち着きを取り戻してきた。
あれだけさ迷わせていたロイニの瞳が信頼を宿し、ユクシャを見つめて甘えた鳴き声を出す。
もう平気だろう。そう判断したユクシャは触り続けながら優しく声を掛ける。
「ヒュッセラインで会ってるから知ってるだろ?キーフェル兄さんとプラテだよ」
柵のすぐ傍の外側に留まっているキーフェルとプラテーンに注意を向けさせる。
最初は顔を知る兄夫婦から、という訳だ。
そうすれば、自ずとカナリーも視界に入れるだろうと考えての事だったが、気が逸れたのが気に食わないのか、ロイニはユクシャに鼻先を擦り付けて自身に興味を引き戻そうとする。
「もう仕方がないなぁ。ロイニは」
考えを無駄にされたが、そんな事をされては構うしかないユクシャは甘いといえる。
いや、これはロイニが主の性格をよく知っているからなのかもしれない。
此方に一瞥も視線をくれないロイニは相変わらずの性格のようだ。
「まあ、ロイニったら相変わらず可愛いげがない」
ヒュッセラインと変わらない姿は恙無く過ごしている証拠だというのに溜め息が出てしまうのは何故だろうか。
大きな溜め息を吐いたプラテーンの頭をよしよしと撫でるキーフェルは妻を挟んで反対側のカナリーにちらりと窺う。
何の表情もない顔でじっとロイニを見つめるカナリーの端正な美貌は人形めいていて話し掛けるのすら気圧される。
「ロイニとは初めてですか?」
屈託なく話せる妻の偉大さを再認識しながら、たっぷり躊躇った後でキーフェルは声を掛けた。
「ええ。聞いてはいたのですが、会うのは初めてですわ。なかなか機会がなくて、じゃなくて、機会に恵まれなくて、と言うべきでしょうか?」
カナリーのどことなく奥歯に物が挟まった言い方に、ロイニがロンドルフ邸でも何か仕出かしたのかもしれないと思い至った。
かもしれない、のではなく、ロイニの性格を考えれば、暴れていてもおかしくない。
「そうでしたか。大変な思いをさせたんですね」
「いえ?それ程は…」
「迷惑掛けて、ごめんね」
「え?いいえ、別に。私事ですので迷惑なんて」
齟齬が生じているのには気付いたが、互いに抱える後ろめたさから指摘もせずに、楽しげなユクシャの声に合わせて三人もあははと笑った。空笑いであったが。
笑い合った後でカナリーはその場を誤魔化すようにロイニを見た感想を一言。
「ロイニは、孤高な感じがしますわ」
どこが。
辛うじて声には出さなかったが、キーフェルとプラテーンの意見は一致していた。
他の馬から独り離れた所からの言葉だろうか。
それはまだロイニが馴染んでいないからであろうに。
「へぇー、そっか」
プラテーンが戸惑い混じりに話を合わせようとするも、やっぱり同意は出来かねる。
単なる、主だけが居ればいい、他はどうでもいいだけのがロイニなのだ、とは誰の名誉を守るためかは知らないが口には出さなかった。
兄夫婦がロイニに会いに行ったというよりも、ユクシャがただ戯れてきただけの後。ユクシャは首を傾げたくなる状況に見舞われていた。
――あれ?考えてたのと違うんだけど?
庭園の案内はカナリーがする、はずだったのだが。
「此方は風景式庭園と申しまして、名の通り自然を模したものにございます。その歴史は古く――」
風景画を切り取ったような人の手により寸分の狂いもなく整えられた庭園を意気揚々と案内するのは、設計にも携わり作庭したというロンドルフ公爵家の専属庭師。
「わあ!」
「ほう」
だの、丁寧な説明に感嘆で応じる兄夫婦が案内の後ろを歩いて。
心持ち距離をとって、それでも会話の聞こえる範囲を続くロンドルフ公爵の若夫婦。
ユクシャの隣にはカナリーが居て、案内をしているのは庭師の男性。
てっきり案内はカナリーがするものだと決めつけていたユクシャの頭の中は疑問だらけだ。
考えてみれば、カナリーは案内をする、とは一言も言っていなかった。だから、ユクシャの早合点だったと言えるのかもしれない。
だったら、カナリーには悪い事をしてしまった。
庭師に案内をしてもらうように頼むくらいならユクシャ一人でも訳ない。
きっと社交辞令で一緒に行きたいと言ったはずのカナリーの時間を潰してしまった。領主館に戻る事は無理でも、執務室でなら仕事が行えただろうに。
心底、申し訳ないとユクシャは思ってはいる。それを口に出すのは憚られる。
「ホントに見事ですよね…」
些か棒読みながらも庭園に見入っていると装うユクシャは、気付いていた。
カナリーから向けられる、射抜くような鋭い視線。
剣呑な光を帯びた双眸にユクシャの背中を冷たい汗が伝う。
原因については頓と見に覚えがない。突然、態度が変わったようなので原因は三人の内の誰かか。
どうも距離を置こうとしているカナリーに不機嫌の理由を問うて聞くべきか、聞かないべきか。
聞きたくないのが心情ではあるが、原因が何なのかが気になる。プラテーンなんかは結構失礼な態度であったから。
ユクシャは喋ろうとして。
「…っ」
何にも言えずに、首を左右に降って口を噤む。
こんな不審な行動を三回も繰り返してもカナリーからの反応は皆無。反応を返してくれば、言いやすいが、そうは上手くいかないものである。ちょっと目付きが鋭くなったようだが。
結局、えいやと覚悟を決めたユクシャは口を開く。
「何かありましたか?」
消え入りそうな小声になったのはご愛嬌。
先を行く兄夫婦の楽しげな雰囲気が羨ましい。こちらは声を掛けた事により、ムスッとした――様に見えるだけかもしれない――カナリーの顔と真っ正面から向き合ってしまい、ユクシャの額にまで冷や汗が滲む。
「は?」
カナリーは目を眇め、首を傾げ、そして間。
唐突な言葉を理解するのに時間を有したのだ。
「別に。何もな」
ない、と言い切ろうとしたのがカナリーはそれを途中で止めた。
「――なくはないわね」
「ええっ、何があるんでしょう!?」
らしくない物言いにも慌てふためくユクシャにカナリーは引き結んだ口元を少し緩める。
「プラテーン様の事、プラテって呼んでるのね」
プラテーンは兄嫁であるが、それ以前にユクシャの幼なじみでもある。
付き合いは長く、ユクシャが物心がついた辺りから互いを知っている。キーフェルとの馴れ初めだってばっちり記憶していたりして。
初対面の時、未だ舌足らずでプラテーンの名を上手く発音出来なかった事から愛称が定着していても何等可笑しくもない。
「はい、プラテって呼んでますが、それが何でしょう?」
言葉からも表情にもユクシャの心底分かってなさが読み取れる。
それがカナリーを言わなければ良かったと後悔させた事を知りもしないのだろう。
「…」
無言になったカナリーからしたら、様付けで呼んだりと自身を含めロンドルフ公爵家の人間には他人行儀なのに、兄嫁プラテーンとは非常に親しげな間柄のよう。
何だか釈然としない。カナリーのこの気持ちを十分の一も理解してくれないユクシャ。
だからといって事細かに説明何ぞするのも癪に障る。
「いい、言わない」
「え、あ、あれ?言って下さらないと分からないんですが…」
「分からなくていい」
「教えていただけると有り難いのですけど」
「教えない、言わない」
ユクシャは何とか聞き出そうとするも、カナリーは頑なだった。
熱心に案内をしている庭師に気取られないようにキーフェルは安堵の溜め息をそっと吐き出した。
「ユクシャ達の仲も心配する程じゃなかったみたい」
遣り取りする声は聞こえないが、後方で何かを言い争うユクシャとカナリーはきちんと夫婦に見える。
知り合いに毛が生えた程度の関係だとユクシャが言っていたのは、気恥ずかしく素直には言えなかったのだろう。
「確かに仲良しさんみたいだけど。どうだか、ねぇ」
辛口なプラテーンにキーフェルは失笑を浮かべる。
「一口に夫婦といっても千差万別、人それぞれ。知ってる夫婦の誰とも違って不思議じゃないよ。自分達とも違うし、ね」
ユクシャの馴れ初め――この場合は経緯を鑑みれば、新婚っぽくないのは仕方がないだろう。
プラテーンは返事の代わりにキーフェルの腕にぎゅっと抱き付いた。
動き辛くなろうとも甘えた可愛らしい妻の仕草に相好をくずしたキーフェルは顔の下にあるプラテーンの頭の天辺に唇を寄せた。
互いの空白を埋める話をする内に時間は過ぎてしまった。
星を引き連れてきた夜の帳が赤い空を覆い隠し始めた頃、兄夫婦がロンドルフ公爵邸を後にし、帰宅の途に着く時間と相成った。
正確には予約した宿に向かうとの事。
「まだゆっくりしていけばいいのだが」
ユクシャと共に見送り出て来たロベルトとニフリートの残念そうな様子に、キーフェルは淡く微笑みを浮かべる。
「いいえ。弟ともたっぷり話せましたし、夕食まで頂いて長居し過ぎたくらいです。もう、この辺りで失礼致します」
当初は夕食前にはお暇する予定だったのだが、ずるずると伸びてしまった。
ならば、せめてとロベルトの隣のニフリートが言葉を継ぐ。
「またいらっしゃって下さいね。お仕事をお忙しいでしょうけど、ユクシャさんと一緒にお待ちしてますわ」
「はい、ありがとうございます。弟をよろしくお願いします」
そんな遣り取りの横で――。
「もうサヨナラなんて寂しいよ」
「私もです。お義姉様」
抱き合って別れを惜しむカナリーとプラテーン。
僅か半日足らずで随分と仲良くなったものだ。
「また会ったら、いっぱい、いっぱいお話ししようね」
「是非!王都を訪ねる前には手紙をしたためますので」
「うん。そっか、王都で会えるんだったね」
「はい!楽しみですわ!」
女性二人の熱い抱擁は解かれたものの、今度は頬を寄せ合って何かを話し出している。
もう少し時間が掛かりそうなので、ユクシャはユクシャでキーフェルとお喋りに興じつつ待つ事にした。
「じゃあね、兄さん。体に気を付けて。仕事、頑張って」
「ありがとう、ユクシャもね。良い子にしてるんだよ?」
「良い子って何さそれー」
「おや、分からないの?自分の胸に手を当ててよーく考えてごらん」
キーフェルのからかい混じりの小言にユクシャは剥れようか迷う。
だが、ちょっと間に注目を集めていて、その中にカナリーとプラテーンの視線も含まれていたので止めておいた。待っていたのは此方なのに待たせる訳にはいかない。
最後にキーフェルとプラテーンはそれぞれユクシャと抱き締めて、名残惜しくも挨拶を終わりにした。
「それでは失礼します」
「また、お会いしましょうね」
「はーい、色々とありがとうございました」
キーフェルは折り目正しく頭を下げ、プラテーンは親しげに手を振り、馬を引いて帰って行った――のだが、その歩みがとてもゆっくりとしたものだ。
少し進んで、振り返っては頭を下げたりしながら、段々姿が小さくなって行く。
何ともまた兄夫婦らしい行動をユクシャも一々手を振り返す事で応え、見えなくなるまで見送った。
「さあ、戻りましょう」
なかなか動かないユクシャの肩に手を置いたニフリートが優しく屋敷内へと促す。
「はい」
頷いたユクシャはもう誰の姿もない道の向こうを見やる。
兄夫婦――特にキーフェルは休みの申請から始まり大変だったろうが、キーフェルとプラテーンと会ってユクシャは元気が出た。
別に、気鬱とかだったのではなく、俄然やる気が湧いてきたのが近いかもしれない。
――ありがとう、キーフェル兄さん、プラテ。
手紙でも書くが心の中で御礼を言って、ロンドルフ公爵親子と屋敷内に入っていった。
まず、やる気を向けるのは宿題からだろう。




