10.入り婿と歩み寄りに必要な一歩
ユクシャのその場の言い逃れに近い言葉から始まったユクシャによるカナリーのお見送り。
続ける事で何にがある訳でもないが、止める理由もないので、毎朝行われている。
「行ってらっしゃい。お気を付けて」
「うん、行って来るから…」
見送るユクシャも、馬車に乗り込むカナリーも気付いてはいないが、遣り取りを覗かれている。
ロンドルフ領主も公認していて、度々領主夫婦も参加する家令を始めとする使用人達による覗き見。
ロンドルフ公爵邸のとても優秀な使用人は気配を悟られる真似はせずに玄関の内側から、窓から、植木の影から、暖かい眼差しを送るのであった。
そんな事つゆ知らず馬車が見えなくなるまで見送ったユクシャは暢気にも戻る前に身体を伸ばして解す。
一二ッ三ッと軽い運動に精を出す。動かす度にあちらこちらでベキベキバキバキ音がする。
自然の中で運動すると清々しくて気持ちが良いものだ。
最後の深呼吸をもう一度繰り返して空気を満喫していると、近付いて来る馬車を見つける。
始めはロンドルフ家の馬車が戻って来たと思った。カナリーが忘れ物でもしたのか、と目を凝らして見たが違った。
あれはユクシャもヒュッセラインの隣街で見ていた、庶民の足、簡素ではあるが大きい乗り合い馬車。
「じゃ、あれはお客さん?」
珍しい、ユクシャはポツリと口の中で呟く。
そう、ロンドルフ公爵邸は手紙は大量に届けど、客人が来る事は殆ど無い。ユクシャの知る限りではあるが。
領主への用事ならばカナリーの仕事先である領主館を訪ねるし、病であったロンドルフ公爵ロベルトを周囲が慮って訪ねて来ない内にこの状態が当たり前になってしまったのだとか。
玄関先に横付けに止まった馬車から顔を出したのは貴族であった――多分。
でっぷりとした横幅のある男性で真ん丸の顔から察するにロベルトよりも少し下くらいだろう。
頭の上から爪先まで金の掛かってそうな格好である。が、全部がそれぞれ主張し合っていて、品があるとか洗練されているという言葉からは程遠い。
どうにもこうにもちぐはぐで。
ユクシャには奇妙さがどうしても拭えない。
衣服や装飾品を見れば、裕福な人物なのだと分かるのに、此処まで乗って来たのは、庶民の味方である乗り合い馬車。
これだけ、ごてごての豪華で高価なもので揃えているのなら、家紋入りの馬車を所有していそうなもの。
邪魔にならないように玄関脇に寄ったユクシャの前で、貴族の男性は緩慢な動きでようやっと馬車から降りてきたと思ったら。
「なんて酷い運転だ。おいっ、金を返せ」
文句を言い出して、乗り合い馬車の御者と口喧嘩を始めてしまった。
ユクシャは客人の出迎えに出て来た使用人と一緒になって唖然と立ち尽してしまう。
そうこうしている内に喧嘩は過熱して激しい言葉の応酬になっていくので外野は置いてきぼり。
「もう二度と乗らないでくれ!」
「そりゃ、こっちの台詞だっ!頼まれても乗らんわ!」
冷や冷や成り行きを見守ったが、決着は付かずに御者は捨て台詞を残して去って行く。
御者の怒りを表すかのように車輪はガタゴトと音を立て、馬車は上下に酷く揺れながら、かなりの速度で小さくなっていった。あれなら乗り心地は悪そうだが、先程のは別段何かがあったようには見えなかった。
さて、怒りが冷めやらないのはこちらの残された貴族の男性も同じだ。
装飾品として持っているのであろう杖の先でドンドンと地面を叩いている。
そんな事では発散には至らないのだろう、感情の赴くままユクシャに目を向けてきた。
失礼であるが、標的にされた。ユクシャはそう感じ取った。
「お前、何時まで待たせる気だ!儂は客だぞ、さっさっと案内せんか!」
随分と偉そうな物言い。馬車を降りた途端、御者と喧嘩始めてしまったので案内どころでは無くしたのはそっちの方なのに。
「ふん。教育のなってない奴め」
貴族の男性は胸と腹を突き出し――多分、胸を張ったつもりなのだろう――、益々偉そうな態度になって、にたりと笑う。
「知らんようだから教えてやる。儂は此処の、お前が働いているロンドルフ公爵とは縁続きだ。お前の怠慢は義兄さんに伝えておいてやるからな」
どうやら使用人か何かに勘違いされている、らしい。
ロンドルフ公爵の義息子には見えないのだろう、と言う自覚はユクシャにもある。寧ろ、見えると言われる方が驚く。
ユクシャが何か言う前に玄関の扉が開いて、中から家令が侍女のマルタとドニーを従え、姿を表した。
「これはこれはメイアー子爵。いらっしゃいませ」
一介の使用人との小事にかかずらっている暇はないと判断したのかもしれない。
貴族の男性――メイアー子爵はユクシャの事を鼻で笑った後、大きな身体を左右に揺らしながら、家令が扉を開けて待つ玄関へ歩いて行った。
その隙に何時の間にか家令の後ろから気配も無く、移動した侍女の手でユクシャはその場から離される。
マルタが後ろに立ち、隠されるようにドニーの先導で向かった先はほんの少し歩いた綺麗に刈った植木の影。
屋敷の中には入れないし、此処なら玄関からは見えない。何より覗き見にも最適。
図らずも使用人が若夫婦を覗き見る場所の一つであった。
ユクシャはマルタとドニーと影から玄関の遣り取りを窺うのだった。
ちょうどメイアー子爵が出迎えに出たまま固まっていた女中に帽子やら上着やらを放るように預けながら、家令と会話を交わしていた。
「今日は何用でございますか?」
「なんて事はない。いつもの挨拶に寄っただけよ。ロンドルフ公爵は在宅しておろう?」
内容から近辺に居を構えているかと思えば、そうではないらしい。
「嘘ばっかり。全くもう白々しいったらないんだから」
しゃがむドニーが小声で悪態をつく。
聞こえていないといえ、客人に失礼なので注意するのは中腰になっているマルタで。
「ドニー、貴方ったら駄目よ」
平時の有無を言わさずに黙らせる厳しい響きはなく、笑みを含んだ柔らかいもの。
顔の下での会話に首を傾げるユクシャはそれだけが違いではないと知る事となる。
メイアー子爵の応対をする家令もまた。
変わらず慇懃ではあるが、どこか硬い雰囲気がする。具体的にはどこがどのようになのかは分からないが。
「ではご案内致します。どうぞ、こちらへ」
「案内などいらん」
「これが老身の仕事ですからな。取らんで下さい」
不思議がっている内に家令はメイアー子爵を伴って屋敷内へ入って行ってしまった。
「もう大丈夫です」
「隠れんぼは終わりです」
お手数お掛けしました、と侍女は謝罪するように揃って頭を下げる。
植木の影から出て来たユクシャは彼女に疑問を問い掛けてみた。
「メイアー子爵ってどんなお客さん何ですか?」
そもそも隠れる必要性もよく分からない。
「…厄介な方です」
応えるマルタのみならず、ドニーも口を真一文字に引き結んでいた。
性格の違う二人が同じ顔をしていたのが、妙に印象に残った。
侍女と部屋に戻ったユクシャの下にロベルト、ニフリート、家令、女中頭が代わる代わるやって来た。
言葉遣い、言葉尻は違えど、皆が皆で同じ内容を言っていた。
「今日は何かと不便な思いをさせるだろう。迷惑を掛けたり、我慢を強いる事になってしまう、申し訳無い」
誰もがあまりにも真剣な様子だったので理由も聞けずにユクシャは気圧されて頷いてしまった。
確かに何処にでも移動する際は一呼吸置かなければならなかった。
若旦那たるユクシャはロンドルフ家の屋敷内を自由にひとりで動き回れるようになっている。
それは広い屋敷の、狭い上に決まりきった場所しか行かないが。自邸なら勝手気ままに歩き回れて当然だという考えの元からであるらしい。
それが今日ばかりは使用人の案内が付いた。
いちいち面倒とか手間だとかよりも、使用人の仕事を中断させてまで手を煩わせる方を気にしたユクシャは部屋の行き来を最小限に留めたのだった。
客人で親類のメイアー子爵は厄介で、気を遣わなければならない相手、らしい。
使用人に常の和やかな雰囲気はなく、ぴりぴりとしている。
住人よろしく自分勝手にあっちに行ってはこっちに行くメイアー子爵に神経を尖らせているのが、数少ない移動の最中の背中越しでも使用人から読み取れてしまった。
メイアー子爵にさらに疑問を深めたユクシャであった。
ユクシャがこうも気になるメイアー子爵と彼はどう考えても初対面である。
結婚式で縁深い親類だと紹介された中には居なかった。
幾ら緊張でガチガチで自身が何を言ったのかも覚えていないユクシャでも、ずんぐりむっくり――失礼、あれだけ目立つ特徴のある人物なら忘れるはずがない。
縁戚と言っていたから自称でなければ、親類には違いないのだろう。繋がりの薄い、遠縁なのか。
いや、しかし。ロベルトを義兄と呼んでいた。それなりに近しい関係の親類だけが呼ぶ名である。
やはりメイアー子爵が気になる。気になるが、それを聞くのは憚られる。
メイアー子爵の滞在中は勿論の事。
メイアー子爵に対して、皆が気を張っていて、それこそ聞けなかったし。
居座り続けたメイアー子爵が昼も大分過ぎたニフリートとの茶会の時間近くにロンドルフ家の馬車で帰った後も、無理だった。
誰もが安堵の表情を浮かべる中に隠しきれない疲労を滲ませていた。
あれだけ気を遣っていたのだから当然ではある。
酷く疲れ切っていたのはメイアー子爵を直接応対していたロベルトとニフリートで、のし掛かる疲労が目に見えるかのようであった。
そんな有り様を見たユクシャには聞く事は出来なかった。
説明するのだって労力は必要性なのだ。普段は何て事がなくても、疲れているのにさらに疲れる事をしてもらうのを自身としても腰が引ける。
ユクシャは蜂蜜を落とした、ほんのり甘いお茶を皆に差し入れしておいた。
淹れても淹れてもお茶が足りなかったのは今は関係が無い、別の話。
だからと言って、謎が謎を呼び、深まりに深まったメイアー子爵への疑問をそのままにはしておけなかった。
胸の中がもやもやしていて一向に晴れない――だから、メイアー子爵の出来事を知らない人物に聞いてみた。
彼女も別の意味で疲れてるかもしれないが。
「今日、メイアー子爵って名乗るお客さんが来ましたよ」
仕事帰りで若夫婦の居間で一息ついたカナリーに言えば、冷ややかな目付きに変わって素っ気もない応えが返ってくる。
「メイアー?そう、あの人また来てたの」
何となく気付いていたが。
メイアー子爵はロンドルフ公爵家に取って、望ましくない客人である、らしい。
「はい、私が出迎えた形になっちゃいまして」
多分、カナリーも馬車で擦れ違ったはずであった。
まあ、それほど外に注意を払っていなかったので気付かなかったそう。
筋からずれないように。しかし、何気ない会話をしつつ、そろそろユクシャの気になる、あの話題に。
「メイアー子爵が言ってたんです」
「ふーん…。で?」
「ええと…で、ですね。カナリー様の親戚だって。メイアー子爵と初めて会うと思うんです。どんな方なんですか?」
途端、カナリーの顔が険しくなる。
会話は弾んではいなかったが、普段通りに進んでいたはず。なのに、何故か周囲が凍り付いた。
瞬間的に変わった、不穏すら感じる空気に、侍女は顔を見合わせ、ユクシャは内心でオロオロ。
「…貴方。今、なんて言った?」
カナリーは静かな声を出す。冷たいものが這い出すかのように聞こえるユクシャだけなのか。
それに、灰緑の目が。
ユクシャは今までカナリーに睨まれていると感じた事があったが、あれらは違ったのだ。
カナリーはユクシャを今、睨んでいる。
凄まじい迫力に回れ右したかったユクシャは唾を飲み込む。
「何か変でした?」
変な事を言ったのか、変な言葉遣いでもしたか、はたまた――。
頭の中で、カナリーの睨み顔や自身の言葉をぐるぐると巡らせて悩むユクシャにカナリーは答えをくれた。
「カナリー様って何よ」
カナリーは嘆息混じりの声で、顔も、もう睨んでいない。が、どこか不服そう。
「貴方にそんな風にカナリー様、なんて呼ばれたくない」
冷ややかな眼差しから解放されたユクシャは目をぱちくりと見開いた。
言われて気付いたのだ。
確かに、カナリーをカナリー様と呼んでいる。
義父たるロベルトはロベルトさんで、義母なるニフリートはニフリートさんなのに。
ロンドルフ公爵家族の中でカナリーだけが様付けなのは、義理の両親のようにお願いされてないからだ。
そう、お願いされたのだ。結婚式の翌日にはお義父さん、お義母さんとロベルトさん、ニフリートさんのどちらかで呼んで、と二者選択を迫られた。
どうしても恐れ多くて殆ど呼んでいないが。
「カナリー様、は駄目なんですよね…?」
「駄目とかじゃなくて嫌なの」
ユクシャは顎に手を当てて、悩む――振りをして、壁際の侍女に助けを求めたが、ちょっと望めそうにない。
ドニーは困った顔で未だにオロオロしてるし。マルタは何故か笑顔で、頑張って下さいませ、と口パクで応援される始末。
「じゃ、カナリー姫」
「それも嫌」
考えて口にしたが、素気なく却下される。
結婚式で姫と呼ばれていたのに。
「…御前様は、如何ですか?」
「嫌」
「北の方では…?」
「嫌」
挙げても挙げても、直ぐに却下されてしまう。
ユクシャはすっかり途方に暮れる。
「あのね、私達は夫婦なのだから。普通で良いのよ、普通で」
普通と言われても、カナリーの方が格が上の身分なのだから様付けで合っている、はず。
しかし、彼女が望んでいるのはそれではない。
なら――。
「あの、それでは、カナリーさんで」
却下される度に縮こまっていったユクシャが怖ず怖ずと挙げたものに、カナリーは渋面ではあったが、頷く。
「仕方がないわね。それで良い」
渋々だろうと嫌々だろうと納得してもらったのだから気が変わっては困るとユクシャは勢い良く頷き返す。
「はい!では、カナリーさんって呼びます」
カナリーの反応はあっさりしたもので。
話は終わったと見るや視線は外れて侍女に向かう。
「ねえ悪いんだけど、小腹空いたの。何か用意出来る?」
ドニーは飛び上がって、慌てて所望の品の用意に走った。
それを横目にマルタから無言の労いが送られ、ユクシャは苦笑してしまった。
何だかどうやら、いつも同じ雰囲気に戻ったようだ。
ユクシャは安堵のあまり、ソファーに深く身を沈めた。
仕方がないのかもしれないが、ユクシャの頭からは彼があれだけ疑問を覚えていた事柄が何処か彼方に吹き飛んでしまっていた。




