第14話 初依頼
俺は、すっかり失念していた。
悪魔は、別に寝なくても平気だということを。
人間だった頃の感覚が残っていたせいなのか、昨日は何の疑問も持たずに眠ってしまった。
まぁ、約一万年ぶりの睡眠だったわけだし、久しぶりに寝てみるのも悪くなかった。
むしろ、かなり気持ちよかった。
だから、今回は良しとしよう。
問題は――起きてからだった。
「……そういえば、俺って金持ってないじゃん」
ベッドから起き上がり、ふと思い出す。
人間界に来たばかりなのだから当然だ。
金もない。
武器もない。
そして何より――。
「……お金の価値、全然知らないんだよなぁ」
これは結構まずい。
前世の記憶はある程度残っているとはいえ、この世界の通貨なんて知るはずもない。
昨日は冒険者ギルドに登録することだけで頭がいっぱいだったから、そこまで考えていなかった。
「まぁ、今日ギルドで聞けばいいかぁ」
朝食を食べる必要もない。
悪魔である俺にとって、食事は生きるために必要なものではないからだ。
とはいえ、人間として生活する以上、食事をする機会はそのうち作ってもいいだろう。
そんなことを考えながら、俺は宿を出た。
「はぁ……」
小さく息を吐きながら、昨日登録した冒険者ギルドへ向かう。
* * *
冒険者ギルドに到着すると、昨日と同じように扉を開ける。
朝だというのに、すでに何人もの冒険者がギルド内を行き来していた。
依頼を受ける者。
受付で何かを相談している者。
仲間同士で今日の予定を話している者。
昨日よりも、この場所が冒険者たちの生活の拠点なのだということがよく分かる。
俺は昨日受付をしてくれたラウさんのところへ向かった。
「ラウさん、今いいですか?」
「ああ、ヴァルゼルさん。もちろんですよ。どうしました?」
「あのですね……俺、お金の価値とか単位とか全然知らないんですけど、教えてもらえませんか?」
「……ああ」
ラウさんは一瞬だけ目を丸くした。
そして、何かを思い出したように頷く。
「そういえば、ヴァルゼルさんは田舎から出稼ぎに来たって話でしたね」
「はい」
「それなら知らなくてもおかしくはないですね。ただ、冒険者をするなら貨幣の価値を知らないのはかなり不便なので、簡単に説明しますよ」
「お願いします」
ラウさんは受付の机にあった紙を一枚取り出した。
「まず、この大陸で使われている貨幣の単位は基本的に統一されています」
「へぇ」
「単位は『Geld』。ゲルトと読みます」
「ゲルト……」
「はい。もっとも、普段は頭文字を取って『G』と表記されることのほうが多いですね。依頼書などにもGと書かれていることがありますから、覚えておいてください」
「はへぇ~。ゲルトというのかぁ」
なるほど。
名前自体は覚えやすい。
「そして硬貨ですが、高価値のものから順番に、白銀貨、大金貨、金貨、小金貨、銀貨、銅貨、鉄貨となっています」
ラウさんは指を一本ずつ立てながら説明していく。
「まず、白銀貨が一億ゲルト、大金貨が百万ゲルト、金貨が十万ゲルト、小金貨が一万ゲルト、銀貨が五千ゲルト、銅貨が千ゲルト、鉄貨が百ゲルトです」
「へぇ~」
聞いてみると、意外と分かりやすい。
「ちなみに白銀貨は国家間の大規模な取引などで使われることが多く、一般的な商取引ではほとんど出回りません」
「まぁ、そりゃそうか」
「それと、普通の平民の家庭なら、大金貨一枚あれば一年間生活できる、と言われています」
「……大金貨一枚で一年?」
「はい。もちろん生活水準や家族の人数によって変わりますけどね」
「なるほどなぁ」
俺は頷きながら説明を聞いていた。
前世とは違って、細かい金額が鉄貨一枚、つまり百ゲルトから始まるらしい。
これなら買い物をするときも、そこまで細かい硬貨を大量に持ち歩く必要はなさそうだ。
まぁ、実際に買い物をしてみないと金銭感覚なんて分からないだろうけど。
「そんな感じなんですね。ありがとうございます」
「いえいえ」
「あと、もう一つ質問してもいいですか?」
「はい、なんでしょう?」
「この街って、どこにあるんですか?」
「この街ですか?」
ラウさんは少し意外そうな顔をした。
「はい」
「そうですね……」
ラウさんは少し考えてから説明を始めた。
「ここはエルドラド王国最南端に位置する、カステルブルク辺境伯領の領都――ブレートという街です」
「エルドラド王国……」
「はい。そして、この街のすぐ南には魔の森があります」
「魔の森?」
「魔物が多く生息している危険な森です」
なるほど。
「魔の森に隣接していることもあって、この街には冒険者が多く集まります。依頼も多いですし、魔物と戦って実力をつけるにはうってつけの場所です」
「だから、別名冒険者の街なんですね」
「そういうことです」
ラウさんは頷いた。
「他の街と比べても、冒険者の数は三割近く多いと言われています」
「結構多いな」
「それだけじゃありません。噂ですが、この街を拠点にしているSランク冒険者もいるらしいですよ」
「Sランク……」
昨日聞いた最高ランクだ。
「まぁ、あくまで噂ですけどね。詳しいことは私のような一受付係には教えられていませんので」
「分かりました」
Sランクか。
一体どんな奴なんだろう。
まぁ、機会があれば会うこともあるだろう。
「それじゃあ、俺は依頼を選んできますね」
「はい。分からないことがあれば、また聞いてください」
「ありがとうございます」
俺はラウさんに礼を言い、掲示板へ向かった。
* * *
掲示板には、昨日見た以上に大量の依頼が貼られていた。
薬草採取。
護衛。
荷物の運搬。
魔物討伐。
迷子の捜索。
街の外での調査。
ざっと見ただけでも色々な依頼がある。
「どれにしようかなぁ」
しばらく眺めていると、一枚の依頼書に目が止まった。
Dランク。
オーク五体討伐。
「これにするか」
場所を見ると、魔の森。
さっきラウさんから聞いたばかりの場所だ。
ちょうどいい。
どんな場所なのか見てみたいし、魔物も見ておきたい。
俺は依頼書を剥がし、ラウさんのところへ持っていった。
「ラウさん、この依頼にします」
「オーク五体討伐ですね」
ラウさんは依頼書を確認する。
「はい」
「分かりました」
ラウさんは依頼書を受け取り、続けた。
「オークは食材としても利用できますので、討伐した場合は内臓や血、頭などを除いて持ち帰ってください」
「食べられるんですか?」
「ええ。結構美味しいですよ」
「へぇ……」
魔物を食べる文化も普通にあるのか。
異世界らしいな。
「ただ、ヴァルゼルさんは魔物の解体はできますか?」
「……」
俺は少し黙った。
「やったことないです」
「そうですよね」
ラウさんは苦笑する。
「でしたら、ギルドの台車を貸しますので、討伐したオークをそのまま持って帰ってきてもらう方法もあります。その場合はこちらで解体します」
「それでお願いします」
「分かりました。台車はギルド裏の解体所にありますので、そこから借りてください」
「はい」
「それでは依頼を受理します。期限は三日です。その間にオークを五体討伐して、ギルドまで持ち帰ってください」
「分かりました」
俺は頷いた。
オーク五体。
まぁ、普通に考えれば十分だろう。
俺はそう思いながら、ギルドの裏手へ向かった。
* * *
台車を借りると、そのまま南門へ向かった。
門に着くと、門兵へ冒険者カードを見せる。
「冒険者か。……Dランクだな」
「はい」
「よし、通っていいぞ」
「ありがとうございます」
昨日とは違い、今日は何の確認もなく門を通過できた。
冒険者カードがあるだけでかなり楽らしい。
門を出てしばらく歩く。
そして周囲に人がいなくなったことを確認してから、俺は足を止めた。
「さて……」
身体に魔力を巡らせる。
身体強化。
昨日の時点でも使えたが、人間界でどの程度の身体能力が普通なのか分からないので、なるべく人目のないところで使うことにした。
そして、台車を両手で持ち上げる。
「よいしょ」
軽い。
まぁ、俺からすれば当然なのだが。
そして服の下に折り畳んで隠していた翼を広げる。
バサッ!
黒い翼が大きく広がった。
「悪魔って翼で飛べるの便利だよなぁ」
俺はそのまま地面を蹴った。
身体が一気に空へと浮かび上がる。
「おお」
昨日の歩きとは違い、今日は最初からかなり速度を上げて飛んでみる。
台車を持っているというのに、全く苦にならない。
「これならすぐ着くな」
俺はそのまま魔の森へ向かった。
* * *
――数分後。
「ここが魔の森か」
上空から森を見下ろす。
魔の森という名前から、木々が密集していて空からは何も見えないような場所を想像していた。
しかし実際には、そこまで木が密集しているわけではない。
ところどころ開けた場所もあり、上空からなら森の中をある程度見渡すことができた。
「これなら探しやすそうだな」
俺は台車を持ったまま、上空から魔物を探し始めた。
――一時間後。
「……いた」
地上を見下ろしていると、複数の人影が見えた。
黄色い肌。
大きな身体。
そして、あの特徴的な姿。
「オークか」
だが、数がおかしい。
一体や二体ではない。
「……集落を作ってるのか?」
木々の間には簡単な建物のようなものまで見える。
オークたちは集団で生活しているようだった。
「まぁ、人型の魔物なんだから集落くらい作っててもおかしくないか」
俺はそう納得する。
ただ――。
「とはいえ、何時間も探し回って一体ずつ倒すのも面倒だしなぁ」
それに、これだけ数がいるのなら、五体だけ倒して帰るというのも少しもったいない。
どうせ持って帰れば食材や素材になるのだ。
「まとめて倒したほうが楽だな」
俺は右手を前へ伸ばした。
魔力を動かす。
空気が変わる。
「――万雷」
次の瞬間。
雲一つなかった空に、黒い雷雲が現れた。
それは瞬く間に広がり、巨大な雲の塊となっていく。
ゴロゴロゴロゴロ……。
雷鳴が森全体に響き渡る。
「?」
オークたちも突然の異変に気づいたらしい。
集落が一気に騒がしくなる。
しかし――。
ドォンッ!!
青白い雷が、空から地上へ落ちた。
続けて二本。
三本。
そして、次々と雷が降り注いでいく。
ドォンッ!
ドォンッ!
ドォンッ!
雷鳴が何度も響き渡り、青白い閃光が森を照らしていく。
「おお……」
思わず声が漏れる。
かなり派手だ。
人間界の魔法の分類で言えば、この魔法は恐らく軍団級魔法に相当する。
俺にとってはそこまで大した魔法ではないのだが、人間たちからすればかなり強力な部類に入るだろう。
その後も雷は落ち続けた。
十。
二十。
三十。
――そして百本近く。
やがて雷雲はゆっくりと消えていき、森に静けさが戻ってくる。
「……終わったか」
俺はしばらく空を見上げてから、オークの集落へ降り立った。
「我ながらすごい魔法だなぁ」
自分で使っておきながら、どこか他人事のように呟く。
そして、倒したオークを台車へと積み込んでいく。
「これだけいるなら、五体だけ持って帰るのもなぁ」
依頼は五体討伐。
だが、余った分を持ち帰れば素材として売れるかもしれない。
そう考えた俺は、そのまま可能な限りオークを台車へ載せていった。
* * *
「……ん?」
少し離れた場所。
一人の青年が足を止めた。
「これは……魔法を行使したときの魔力の余波?」
青年は周囲の空気に残った魔力を感じ取る。
その表情が徐々に変わっていった。
「……なんだ、この規模は」
青年は目を細める。
「僕たちSランクが使うこともある、軍団級魔法クラス……」
そして魔力の流れてきた方向を見る。
「しかも、この方角は……魔の森」
何が起きている。
魔物が大規模な魔法を使ったのか。
それとも、人間が森の中で戦っているのか。
今のところ判断できない。
「これは……あいつに報告しないとなぁ」
青年は小さくため息をついた。
「はぁ……面倒くさいけど、あいつに言われてるからなぁ」
そう呟くと、青年は歩き始めた。
* * *
私は、このカステルブルク辺境伯領を治める領主。
ライア・ド・カステルブルク。
エルドラド王国最南端の地を任される辺境伯である。
魔の森に隣接するこの領地では、魔物による被害も少なくない。
そのため、領主として気を抜くことはできない。
――とはいえ。
「……また書類か」
目の前に積み上がった書類を見る。
税収。
商人からの申請。
街道の維持。
魔物による被害報告。
冒険者ギルドからの報告。
軍の編成。
確認しなければならない書類はいくらでもある。
「……領主というのは、もっと華やかなものだと思っていたのだがな」
思わずため息が出る。
そんな、いつもと変わらない一日を過ごしていたときだった。
コンコンコン。
突然、執務室の扉が叩かれた。
「当主様! 今、宜しいでしょうか!」
声からして、かなり慌てている。
「な、なんだね。とりあえず入りたまえ」
「失礼します!」
扉が開く。
入ってきたのは、若いメイドだった。
「当主様、Sランク冒険者のハステ様がお見えになっています!」
「……ハステ?」
私は思わず聞き返した。
Sランク冒険者。
この街を拠点として活動する、数少ない最高位冒険者。
その男が、わざわざ私の屋敷まで来たというのか。
「それはいかん。すぐに入っていただきなさい。くれぐれも丁重にな」
「はっ、かしこまりました!」
メイドは急いで部屋を出ていった。
「ハステ殿が……一体何の用だ?」
皆目見当もつかない。
できれば、厄介事ではないことを願いたいものだ。
* * *
しばらくして、先ほどのメイドが一人の青年を連れて戻ってきた。
「当主様、ハステ様をお連れしました」
「入りなさい」
「かしこまりました」
扉が開く。
「やぁ、ライア」
そこにいたのは、軽い調子の青年だった。
彼こそ、この街を拠点として活動するSランク冒険者――ハステ。
そして、冒険者たちからはこう呼ばれている。
――『王風』のハステ。
「ハステ殿。こちらへどうぞ」
「ありがとう」
ハステが椅子に座る。
「君、お茶を出したら休憩に入っていい。それと、他の者がこの部屋に入らないよう伝えておいてくれ」
「か、かしこまりました」
メイドは二人の前にお茶を置くと、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
「それで、今回来られた要件とは?」
私が尋ねる。
「ああ、そのことなんだけどさ」
ハステは一口お茶を飲んでから口を開いた。
「さっき、魔の森の方角でかなり大きな魔力の余波を感じたんだ」
「……魔力の余波?」
「うん。僕たちSランクが使うような、軍団級魔法に近い規模だった」
「なっ……!」
思わず声が出る。
「それは……誠でしょうか?」
「誠も何も、ついさっき感じたばかりだからねぇ」
ハステはいつもの軽い調子だった。
だが、その目は笑っていない。
「何が起きているのかは分からない。でも、気をつけるに越したことはないと思う」
「それほどの魔法……一体誰が?」
「魔力の性質からすると、雷魔法系統だと思う」
「雷魔法……」
私は思わず息を呑んだ。
「それでは……Sランク級の魔法を使える者が魔の森に?」
「それについては分からない」
ハステは首を横に振る。
「魔物が使ったのか、人間種が使ったのか。それすらまだ判断できないからね」
「……」
「まぁ、魔物だったとしても僕がいるから対応は任せてよ」
ハステは笑った。
「それなら安心ですな」
私は胸を撫で下ろす。
「『王風』のハステ殿が対応してくださるのであれば」
「おっほん」
ハステは少しだけ得意げに胸を張った。
「まぁ、僕がいるから安心して欲しいよ」
そう言って立ち上がる。
「では、僕はこれで」
「ええ。何か分かったことがあれば、すぐに知らせてください」
「もちろん」
ハステはそう言って、屋敷を後にした。
扉が閉まる。
「……軍団級魔法の魔力の余波」
私は一人になった執務室で呟く。
「しかも雷系統……」
一体、魔の森で何が起きているのだ。
* * *
「ふぅ……」
俺はオークを台車へ積み続けていた。
「結構いるなぁ」
依頼は五体だったが、せっかく大量にいるのだから、持って帰れるだけ持って帰ろうと思った。
素材として売れるなら金になる。
食材になるなら食べられる。
そして、何より――。
また魔の森まで来るのが面倒くさい。
「一回で済ませたほうが楽だしな」
そんなことを考えながら、さらに積み込んでいく。
気がつけば、台車には五十体近いオークが載っていた。
「……ん?」
その中に、一体だけ妙な個体がいた。
「こいつ……」
他のオークとは明らかに違う。
身体が黒い。
そして、何となく感じる雰囲気も違っていた。
「なんだこれ?」
俺は少しだけ眺める。
「まぁ、いいか」
何なのかは分からない。
だが、他のオークと同じように台車へ載せた。
空を見上げる。
いつの間にか、日が傾き始めていた。
「もう夕方か」
俺は台車の持ち手を両手で掴む。
「じゃあ、帰るか」
身体強化を施す。
そして、背中から翼を広げた。
バサッ!
俺は台車ごと地面から浮き上がる。
「……これ、やっぱり便利だな」
夕暮れの空へ飛び上がり、ブレートの街へ向かって飛んでいく。
――このときの俺は、まだ知らなかった。
今日のたった一度の依頼が、ブレートの冒険者たちや領主だけでなく、これから先の人間界にまで影響を与える出来事の始まりになることを。
すみません、本編の第15話までを3話ずつ投稿するという話だったんですけど、第0話のプロローグを入れて考えてませんでした。
申し訳ないのですが、3話投稿は今日までで、明日からは言っていた通りに1話投稿で行きたいと思います。
最後に続きが気になる方はカクヨムの方で是非読んで下さると有難いです。m(_ _)m




