第11話 助言
人間界へ行く準備は整った。
と言っても、特に荷物があるわけでもない。
そもそも俺は悪魔だ。
食料を持っていく必要もなければ、着替えを何着も用意する必要もない。
必要なのは、あの魔法陣だけ。
俺は魔法陣の前に立ち、さっそく人間界へ向かおうとした。
その時だった。
「――あ、ヴァルゼル様」
「ん?」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、思い出したかのような顔をしたルシファーが居た。
「どうした?」
「あの……一つ、申し上げておきたいことがございます」
「何?」
ルシファーは少しだけ困ったような顔をした。
「ヴァルゼル様の、その……垂れ流しにしている魔力なのですが」
「魔力?」
「はい」
俺は自分の身体を見る。
もちろん魔力そのものが目に見えているわけではない。
だが、自分の身体から魔力が外へ流れている感覚は昔からあった。
「これ?」
「はい。可能でしたら、もう少し抑えられた方がよろしいかと」
「なんで?」
「悪魔の魔力というものは、人間の魔力とは少々違うようなのです」
「へぇ」
「それに、悪魔の魔力を大量に垂れ流していれば……」
ルシファーは少し間を置いてから続けた。
「教会に狙われる可能性がございます」
「……あー」
なるほど。
そういえば人間界では、悪魔は教会から敵視されているらしい。
以前、召喚された悪魔たちから聞いた話でも、教会は悪魔を倒すことができる。
実際に、俺たちの仲間の悪魔が人間界で死んでしまったこともある。
「それなら気をつけないとな」
「はい」
「ルシファー、ありがとう」
「いえ。ヴァルゼル様のお役に立てたのであれば何よりでございます」
そう言ってルシファーは一礼した。
しかし、何かまだ言いたそうな顔をしている。
「……まだあるの?」
「あ、いえ。ヴァルゼル様にはあまり関係のない話かもしれませんが……」
「気になるから言ってみて」
「はい」
ルシファーは少し考えてから口を開いた。
「悪魔というものは、姿形も容姿も実に様々でございます」
「そうだな」
俺たち七人だけでもかなり違う。
ルシファーは人間に近い姿をしているが、ゼブブは少女のような姿をしている。
サタンは年配の紳士のような姿。
アスモは美しい女性。
マモンは筋骨隆々。
ベルフェは気だるそうな男。
レヴィーは細身でどこか陰気な男。
そして俺も、人間にかなり近い姿をしている。
「ヴァルゼル様は、姿形だけであれば人間とほとんど変わらないかと思われます」
「まぁ、そうだろうな」
「ですので、そのまま人間界へ行かれても、見た目だけで悪魔だと判断される可能性は低いでしょう」
「それなら安心だな」
「ただし……」
またそこでルシファーが止まった。
「魔力に関しては別でございます」
「そんなに違うの?」
「はい」
ルシファーは真剣な表情になった。
「ヴァルゼル様は悪魔の始祖にして、私たちすべての悪魔の根源とも言えるお方です」
「まぁ、そういうことになるのか?」
「そのため、ヴァルゼル様の魔力は、そこらの悪魔とは比べものになりません」
「……」
「私たち七柱よりも遥かに巨大な魔力をお持ちです」
「そんなに?」
「はい」
そう言われても、正直あまり実感がない。
俺にとって魔力は昔から身体の中にあるものだ。
使えば減る。
しばらくすれば戻る。
ただそれだけのものだと思っていた。
「その魔力を抑えずに人間界で垂れ流せば……」
ルシファーが念を押す。
「人間が耐えられるかどうかも分かりません」
「……なるほど」
確かに、それは気をつけた方がいい。
せっかく人間界へ行ったのに、街へ入った瞬間、
「なんだこの魔力は!」
「悪魔だ!」
「教会を呼べ!」
なんてことになったら面倒だ。
俺は軽く息を吐きながら、身体の中に魔力を集める。
普段から無意識に外へ流していた魔力を、できるだけ身体の中へ押し込んでいく。
「こんな感じ?」
「……はい。それくらいであれば、かなり抑えられているかと」
「よし」
これで準備はできた。
あとは魔法陣に魔力を流すだけだ。
「では、行ってくる」
「はい。お気をつけて」
「まぁ、何かあったら帰ってくればいいしな」
「……ヴァルゼル様」
「ん?」
「人間界では、くれぐれもお気をつけください」
「分かった分かった」
俺は手を振って、魔法陣へ向かった。
思えば、ここまで来るのにかなり長い時間がかかった。
魔法陣の研究を始めてから八年。
ゼブブの何気ない一言から、ようやく人間界へ行く方法を見つけた。
長かったな。
まぁ、俺からすれば八年なんて大した時間じゃないけど。
「さて……」
魔法陣へ魔力を流す。
白い光が広がっていく。
「行ってみるか」
次の瞬間。
俺の視界は白に染まった。
――――――
「……ふぅ」
目を開ける。
「やっと人間界に来られたか」
周囲を見渡す。
そこに広がっていたのは、木々だった。
どうやら俺は雑木林の中に転移したらしい。
「……まぁ、最初から街の中に出るとは思ってなかったけど」
周囲を軽く確認する。
特に危険なものは見当たらない。
俺は雑木林の奥から外へ向かって歩き始めた。
そして――
「……ん?」
木々の隙間から何かが見えた。
俺は足を止める。
「なんだ、あれ?」
遠くに、巨大な壁があった。
かなり大きい。
横にもずっと続いている。
「城壁……かな?」
ここからでも、その大きさが分かる。
しかも、そこまで離れていない。
せいぜい七百メートルもないくらいだろう。
俺は少し歩いて、木々の間からさらによく見てみる。
「……あれ?」
城壁の一部に、大きな門がある。
そして、その前には――
「人間か」
大量の人間が並んでいた。
長蛇の列。
かなりの人数がいる。
「へぇ……」
これが人間か。
もちろん召喚された悪魔たちから話は聞いていた。
人間という種族が存在することも、人間が国を作って生活していることも知っている。
だが。
実際に見るのは初めてだ。
「……思ったより普通だな」
遠目から見た限りでは、俺たち悪魔とそこまで大きく違うようには見えない。
まぁ、俺自身も人間に近い姿をしているから余計にそう感じるのかもしれない。
それにしても――
「何してるんだろうな?」
門の前で列を作っているということは、何かの手続きでもしているのだろうか。
分からない。
でも、ここで考えていても仕方がない。
「とりあえず、あそこに行くか」
俺は雑木林から出て、城壁へ向かって歩き始めた。
人間界に来て最初にすることが、何なのかは分からない。
だが、せっかく来たんだ。
まずは人間の街を見てみたい。
そう思いながら、俺は門へ向かって歩いていった。
――――――
門へ近づくにつれて、人間の姿がはっきり見えてくる。
男。
女。
子供。
老人。
様々な人間が列に並んでいる。
服装もそれぞれ違う。
荷物を大量に持っている者もいれば、最低限の荷物しか持っていない者もいる。
どうやら、この門を通るためには何か確認されるらしい。
「なるほど……」
俺も列の最後尾へ並ぶ。
そして――
待つこと三十分ほど。
「……長かったな」
ようやく俺の番が来た。
門の前には二人の兵士が立っている。
どちらもかなり厳つい。
身体も大きく、鎧を身につけている。
見るからに強そうだ。
俺が門の前まで進むと、そのうちの一人が口を開いた。
「貴様、どこの者だ?」
「……」
いきなり随分と上から来るな。
これが人間の門兵なのか。
俺がそんなことを考えていると、兵士は続けた。
「どこから来た?」
「えーっと……」
どうしよう。
まさか、
「悪魔界から来ました」
なんて言えるわけがない。
俺は咄嗟に答えた。
「あ、田舎の村から出稼ぎに来たヴァルゼルと言います」
「ほう。貴様はヴァルゼルというのか」
「はい」
「出稼ぎとはご苦労なこった」
兵士は俺の姿を上から下まで確認する。
「……まぁ、そんなことはどうでもいい」
「どうでもいいんだ」
思わず心の中で突っ込む。
「貴様は田舎出身だろうから、身分証の類は持っていないだろう?」
「あ、はい」
もちろん持っていない。
というより、俺が人間界に来たのは今日が初めてだ。
身分証なんて持っている方がおかしい。
「なら、冒険者ギルドへ行くのがいいだろう」
「冒険者ギルド?」
「知らないのか?」
「……名前だけなら、まぁ」
もちろん実際には何も知らない。
ただ、知らないと言い切ると不自然な気がしたので、曖昧に答えた。
「冒険者になれば身分証も発行される。街の中でも何かと便利だ」
「へぇ」
意外と親切だな。
最初は厳つい人だと思ったけど。
「それと、冒険者になれば通行税を払わなくてもいい」
「通行税?」
「この街へ入るには本来、税を払う必要がある」
「なるほど」
「だが、冒険者ならギルドが身分を保証する。だから問題ない」
兵士はそう言うと、後ろにいた別の兵士へ声をかけた。
「おい。こいつを冒険者ギルドまで案内してやれ」
「了解しました」
一人の兵士がこちらへ歩いてくる。
「こちらです」
「ありがとうございます」
俺は案内役の兵士について歩き始める。
その途中、俺は先ほどの門兵をちらりと振り返った。
厳つい。
やっぱり厳つい。
だが――
「……案外優しいな」
俺は小さく呟いた。
人間界に来て最初に出会った人間。
それが、あの厳つい門兵だった。
俺はまだ知らない。
この何気ない出会いが、これから始まる人間界での長い時間の最初の一歩になることを。
そして。
この日、ただ「人間界を見てみたい」という軽い気持ちで人間界へ来た俺が――
やがて人間社会の裏側へ足を踏み入れ、そこで多くの人間と出会い、仲間を増やし、自分自身の組織を作っていくことになるとは。
「さて、冒険者ギルドってどんなところなんだろうな」
俺はそんなことを考えながら、兵士の後ろを歩いていった。




