また、世の中を見る
朝になった。
キコが算盤を開いた時、ジグがすでに起きていた。
「どこへ行く」
「四辻だ」とジグが言った。「腸詰めを食う」
「高いだろう」
「新入りだからな」とジグが言った。「でも、今日から常連になる予定だ」
キコは珠を一つだけ弾いた。カチ、と鳴った。
ジグが外へ出た。ルルが寝ぼけながら起き上がった。「何の音」
「算盤だ」
「もう仕事してるの」
「見てるだけだ」
ルルが腕輪を見た。橙の光が安定していた。「今日もいい色だ」とルルが言った。
「そうか」
「そうだよ」
キコはルルの腕輪を、一度だけ測ろうとした。
算盤に手が伸びた。珠に触れた。それから、止まった。
止めたつもりはなかった。止まっていた。
何年も追いかけてきた誤差がある。配信のたびに合わない計算がある。七万の腕輪の中で、一つだけ算盤に映らない腕輪がある。ルルが禁書庫に転がり込んできた夜から、その数値は一度も出ていない。出ようとするたびに、何かが滑る。式が組めない。手がかりがない。
ないまま、ここまで来た。
農村で大木の跡の土を見た。村長がルルの腕輪と同じ色だと言った。「書く夜」に灯りが揺れた夜、ルルの腕輪が白く光った。設計の根が向かっていた方向と、ルルの体が引っ張られていた方向が、重なっていた。
それだけ揃っている。
でも数値は出ない。
キコは珠から手を離した。
出ないなら、出ない。計算できないものを、無理に計算する必要はない。算盤は道具だ。道具が届かない場所が、あってもいい。
それに——。
キコは少しだけ、ルルを見た。ルルは腕輪を見ながら、何か別のことを考えているらしかった。耳がゆっくり動いていた。朝の光の中で、腕輪の橙が、今日も安定していた。
数値が出なくても、それは確かにある。
算盤を膝に戻した。今朝は、測らなくていい。
イノが「腹減った」と言いながら起きた。ボッグがすでに湯を沸かしていた。ガルが窓の外を見ていた。レンが入口に近い場所で、今日も今日とて、どちらへも逃げられる場所に座っていた。
七人がいた。
キコは算盤を見た。数値が流れている。帝都の熱量の流れ。腕輪の光の分布。腸詰めの値段の変動。農村から来た手紙の中身——若者たちが「たった一つのルール」を始めた、一回目はうまくいかなかった、でももう一度やった、と書いてあった。一人は参加しなかった。それでも続いている、とも書いてあった。
そういう話だ、とキコは思った。
一回目はうまくいかない。でも、記録が残る。記録があれば、次がある。
算盤の珠を一列だけ整えた。壊れたまま。珠が二つ欠けている。枠の端が割れている。それでも動く。
外から、ジグの声がした。誰かと話しているらしかった。四辻の腸詰め屋で、もう常連への道を歩んでいるのだろう。
キコは窓の外を見た。
帝都の朝が続いていた。腕輪の光がバラバラに瞬いていた。昨日より少しだけ、自分の色のものが多かったかもしれなかった。違わなかったかもしれなかった。
それでも、数値はある。
見続ける理由は、ある。
算盤を閉じた。
今日も、また開く。
世界は、まだ続いている。




