執行者
私は目を開けた。見慣れた自宅の天井でもなければ、異世界の戦場の空でもない。木の香りがする重厚な机、壁一面に並んだ本棚、そして窓の外には見知らぬ街並みが広がっていた。
「ここはコロニーの冒険者ギルド長室です、悟様」
振り返ると、銀色の鎧に身を包んだ戦闘メイド、シエラが恭しく頭を下げていた。彼女の転送魔法で、私はこの部屋に来た。
しかもただの冒険者ギルドではない。東アジア地域の冒険者ギルドトップに位置しているらしい。
「東アジア冒険者ギルド総本部のトップが私だと聞いて驚かれましたか?」
シエラは少し微笑み続けた。
「法の神テミス様のご意向です。そして、平和と秩序の神パクス様が、悟様を好待遇で迎えるために、私をこの地位に着任させました」
しばらくして、広間へ通された。
そこには東アジア各支部の支部長たちが集結していた。重々しい空気が漂う中、シエラが私を紹介する。
会議が始まり、世界情勢についての報告がなされた。現在、公認されている世界最強の冒険者はアメリカにいて、レベルは300だという。聞いた瞬間、私は思わず苦笑した。神域で神々を屠り続けた結果、私のレベルは1800を超えている。その最強と呼ばれる者でさえ、私のデコピン一発で吹き飛んでしまう数字だ。
会議後、シエラは私を個室に招き入れた。
「悟様に、お願いがあります」
その言葉とともにシエラの表情が真剣になる。
「必要なものは何でも提供します。代わりに、このコロニーだけでなく、日本国土防衛のために、東アジア冒険者ギルド専属の『執行者』に就いていただけませんか」
「執行者?」
「はい。冒険者ギルドの秩序を守り、最悪の脅威が現れた際に対処する、圧倒的強者を指します。名目上の立場ですので、通常の業務や指揮命令系統には縛られません。ただ…いざという時に動いていただく、最終防衛線のようなものです」
私は少し考えた。異世界で、あの糞絶対神に従属させられ、戦い続けた日々。もう誰かの下で縛られるのはご免だった。だが、この世界に戻った以上、のんびりと平和に暮らしたいのも本心だ。
「分かった」
私はゆっくりと言った。
「ただし、条件がある。クエストもこなさず、のらりくらりとした生活を送ることを認めてもらう。それでいいなら」
シエラの目が細くなり、優雅な笑みを浮かべた。
「かしこまりました。それで結構です」
部屋に戻ると、そこには先ほどの支部長たちが待ち構えていた。一様に熱い眼差しを向けてくる。
「ぜひ、我が支部にいらっしゃってください!」
「いや、我々に!」
各ギルドマスター達がこぞって弟子入りの願いを寄せてきた。異世界から帰還した超常の強者――彼らにとっては垂涎の的だろう。
「いったん保留だ」
私は手を挙げて制した。
「その代わり、別の依頼がある」
私は両親の経営する小さな雑貨店の話をした。シエラから聞いた両親が経営する店を、ブランドとして成長させてやりたい。老いた両親に、少しでも楽をさせてあげたいのだ。
シエラが即座にうなずいた。
「ご両親の店のブランド化、確かに請け負いました。ギルドの流通網と宣伝力を活用させていただきます。皆さんもよろしいですね?」
各支部長たちも同様に頷いた。
ほっと肩の力が抜けた。これで一つの心配事が片付いた。
「では、そろそろ失礼する」
私は立ち上がった。
「まずは両親に会いに行くからな」
シエラが深々と一礼した。
「ご案内いたします。こちらへ」
ギルド本部を出ると、懐かしい日本に似た街並みが広がっていた。異世界の血と魔法の匂いとは全く違う、排気ガスの匂い。コンビニの灯り。私は大きく息を吸い込んだ。
「さてと…」
私はポケットに手を入れ、ゆっくりと歩き出した。
「のらりくらり、か。悪くないな」
だが、心の片隅では分かっていた。この平和は、いつか守らなければならない時が来ることを。俺の圧倒的な力は、単なるステータスではない。重責を私に背負わせていることを。
それでも今日は、ただの息子として、雑貨店の戸を開けるだけだ。
そう思いながら、私は歩みを進めた。長い旅の終わりと、新しいぐうたら生活の始まりに向かって。




