最終話 Sweet November 1
銀千代と喧嘩した。
喧嘩と言っても一方的に俺が怒鳴りつけただけだ。つまりはいつものことである。
原因はあれほどやめろと言ったのにもかかわらず、隠しカメラが天井に設置されていたからだ。
「お前次やったら別れるって言ったよな」
ゴトリとテーブルの上に発見されたブツを置く。
もう何度目かになるか分からない呼び出しに対し、銀千代はスンとした無表情で頭を下げた。
「まことにごめんなさい」
テーブルを挟んで銀千代は土下座した。いつもより謝罪の言葉が安っぽく聞こえる。
「謝れば許されると思ってるだろ?」
「そんなことはないよ。本当に申し訳なく思ってる。でも、少しだけ、ほんの少しだけだけど、ゆーくんに見つけてほしくて、……期待に応えたい銀千代もいる」
顔を上げた銀千代は死神のように笑っていた。反省の色なし。
今度ばかりは堪忍袋の緒が切れた。俺は無言で立ち上がりコートを羽織る。
「え、ゆーくん、どこいくの?」
「バイトだよ」
「今日ゆーくんシフト入ってないよ」
なんで知ってんだよ。
「お前がいないとこに行くんだ。しばらく距離置こう」
「え、やだ」
「やだじゃねぇわ。何度言ってもお前の悪癖が治らないからしばらく一人で反省してろ」
「いーや、やだやだ! 病める時も健やかなる時も、死が二人を分かったとしても、ゆーくんと銀千代は常に一緒じゃなきゃダメなんだよ」
「約束破ったのはお前だ。何度も口酸っぱく言ってきたよな。俺にもプライバシーがあるって。それを尊重できないなら別れようって話、何度もしてきたよな」
「たしかに、優しいゆーくんに甘えてきたのは事実だから、この件に関してはなんも言えないよ……」
「なんでそれがわかってんのにやめねぇんだよ。いい加減にしろよ」
「そこんとだけど銀千代にもようわからん……」
「だからそれがわかるようになるまで距離置こう、って言ってんの」
「置きたくない! 待って、ゆーくん!」
銀千代は出ていこうとする俺の右足にしがみついた。温かくて柔らかな感触がつきまとうが、その程度のことでくじけたりはしない。
「そんな悲しいこと言わないで。二人で銀千代がカメラ仕掛けちゃう理由探していこうよ!」
「お前の頭がおかしいからだよ! ええい、離れろ!」
金色夜叉よろしく振りほどく。
「可愛ければ何でも許されると思いやがって!」
「! ゆーくんから可愛いって言われて嬉しい」
頬を紅くした銀千代が両手でそれを包み込む。話がかみ合わない。
「黙れ! もう許さんからな!」
「あああ、まってゆーくんごめんなさいぃぃ」
大股歩きで玄関に行き、靴を履いて、外に出る。
バタバタと銀千代は追いかけてきた。
「待って、ゆーくん、謝るから! 謝るから、許して! 明日から生まれ変わるから! ねっ、お願い!」
「信じられるか! ついてくんじゃねぇ!」
バタンとドアが閉まる音が響く。近所迷惑なのは間違いないが、今はそんなことを気にしている場合ではない。アパートの階段を音を立てて銀千代が走ってついてきた。
負けじと俺も走り出す。
「お願い! すべてを捧げるから! 距離を置くとか、別れるとか、そんな悲しい事言わないで!」
全力で走っているのに銀千代の声は遠くならない。
くそ、相変わらず足が速い。
振り返ると裸足で追いかける銀千代がすぐそこまで迫っていた。靴くらい履けよ。
「ゆううううううううくううううううんんんん!」
髪を振り乱し、顔面は涙でグチョグチョだ。さながら3枚のお札の鬼婆のようだったが、それでも美人なのが腹が立つ。
「ついてくんじゃねぇ!」
負けじと俺も走る。男として足の速さで負けるわけにはいかない。相手は超人的身体能力を持つ化け物だが、俺だってプライドとメンツにかけて負けてばかりではいられないのだ。
走る。
景色がみるみる変わっていく。住宅街に響く叫び声と息を切らせる俺の呼吸音。
どんなに足を速く動かしても、銀千代の声は遠くならない。
冬の気配を帯びた空気が肺に満ちてくる。自由を求めて俺は走った。
秋空が広がり、雲は薄く棚引いていた。
「ゆーくん!」
住宅街を抜けたその時、どん、と背中を押された。
追いつかれたらしい。
ああ、やっぱり銀千代には敵わない。
と諦めを悟った次の瞬間、俺はアスファルトに顔面からスッ転んだ。ズザァというバカみたいな音が皮膚から伝わり、あまりの痛さと熱さにもんどり打ちながら半身を起こす。
「銀千代、てめェ――」
手のひらをパーにした銀千代と目が合った。薄く微笑んでいた。
空気が震えた。ドォン、至近距離で大太鼓が叩かれたみたいに。
「え」
見たこともない光景に開いた口が塞がらなかった。
いつの間に現れたのだろう。目の前には黒いワンボックスカー。車体はへこみ、銀千代が宙を舞っている。
「な……」
フロントガラスの破片と銀千代の血飛沫が太陽の光でキラキラと輝いていた。静止画のように映り込んできた光景は、切迫した現状とは裏腹にどこか幻想的だった。
「なにが」
時間がスロー再生のようにゆっくり流れ始める。
銀千代は重力を無視して、ぐるぐると回転しながら遠くに吹き飛ばされた。
なにが、じゃない。
俺が道路に飛び出して、ひかれそうになったのを、あいつがかばって、代わりに、
「銀千代!」
叫んだ。
自分の声が呼び水になったのか、ようやく時間が正常に流れ始める。
いやいやいやいやいや、待て待て待て待て。
なんだこれ、なんなんだこれ。
さっきまでいつも通りの日常だったじゃん。
なにがどう曲がり間違ってこんなことになってるんだよ。意味がわからん。
数メートル先に落下した銀千代はガンガンガンと三回ほどバウンドして、うつぶせのままピクリとも動かなくなった。
遅れてビチャビチャと道路に赤いシミができていく。
現実が受け止められなくて混乱する脳が、目の前の景色を映画のワンシーンのように傍観している。
「……」
いつものあいつなら、受け身! とかいってスックと立ち上がるところなのに、そんな気配は一切ない。
「……」
馬鹿な妄想ばかりを繰り返す。
ゆーくん、受け身は全てのダメージをゼロにするんだよ――。
誰かが悲鳴を上げた。女性の声だった。 その声に引き戻されるように現実が動き出す。
銀千代を轢いた車はしばらく停車していたが、ドゥルルンというエンジンを響かせて発進していった。排気ガスのむせ返りそうな臭いが辺りに漂う。
歩行者用信号が点滅していた。
「は?」
いくら追いかけられていようと赤信号を渡るほど耄碌していない。だけどあまりにも必死で、左右の確認をしないで渡ったのは、確かに俺だ。だから、銀千代が代わりにあそこで横たわっている。
小さくなっていく黒い車。
背広を着たサラリーマンが、遠くの景色に溶け込もうとしているワンボックスカーに向かって怒鳴っていたが、なんて言ったのか分からなかった。
混乱していた。
わけが分からなかった。
わけが分からなかったが、なんでこんなことになったのか、原因は明白だった。
俺だ。
俺のせいだ。




