第31話 十一月、騒音、ベランダにて
久しぶりの休日、いつもより早めに起きられたので、ベランダに出て洗濯物を干していたら、
「おーい」
隣から声をかけられた。秋風が優しく吹き抜ける。
「……」
無視していたら、
「無視しないでよ」
とひょっこりと隣人の女子大生が顔を覗かせた。見た目普通なのに、ギャンブル狂いの変人だ。
残念なことに両隣とも変人なのでオセロなら俺も変人になってしまうところである。
「なんですか?」
「頼みがあるんだぁ」
手すりにもたれかかりながらぺろりと舌を出す。
「お断りします」
「まだ何にも言ってないよ。話くらい聞いてよ。家賃を少し待ってほしいんだ」
「聞きたくありません。つうか俺じゃなくて銀千代に言ってください」
パン、とバスタオルのシワを伸ばして物干し竿に洗濯ばさみでとめる。気持ちのよい秋の晴れ間だ。
「頼むよ。キミから伝えてくれない? 実は先月分も滞納しててそろそろやばいんだよ」
ヤバいのはお前の頭だろ、と言いかけてぐっとこらえた。仮にも同じ大学の先輩である。
「自分で言ってくださいよ」
「キミからのほうが、ほら、何かと都合がいいだろ?」
「人として最低限のルールは守りましょうよ。住まわせてもらってるんだから期日までに家賃を払う、当たり前でしょ」
「正論聞きたくない。だいたい変だよ。普通に生きてるだけなのに、勉強するのに学費払って、ご飯食べるのにもお金を払って、そのうえで住むのにも家賃がかかるだなんて、ヤバくない?」
「ヤバいのはお前の頭だろ?」
「むむっ、何台その言い草。バカにしてるのかい?」
「バカにはしてませんよ。バカだなぁ、とは思ってます」
「バカにしてるって言うんだ、それを」
先輩は胸ポケットからタバコの箱を取り出し、ライターで火をつけようとした。
「おい、やめろよ。洗濯物に臭いが移るだろ。ベランダでタバコ吸うな」
「じゃあ、どこで吸えばいいのさ」
「換気扇の前とかいろいろあるでしょ」
「部屋で吸うと壁紙が黄色くなっちゃうじゃん。バカだなぁ」
少し考えればわかるでしょというふうに鼻を鳴らされた。常識ってのがないのか。
「ともかくベランダで吸わないでください。タバコの臭い嫌いなんですよ」
「わかった。わかったよ。あくまでお願いしてる立場だしね」
大人しく先輩はポケットにタバコをしまい代わりに電子タバコの機械を取り出した。
「話聞いてた?」
「ん? なにが?」
「タバコ吸うなって言ってんだよ」
「ああ、これはタバコじゃないよ。アイコス」
「タバコだよ! ふざけんな!」
「臭いもうつらないし、いいじゃん別に」
「吸ってるやつがたまに言うけど臭いからな、十分」
「僕もそー思う。でもフレーバーテイストだよ」
先輩は止める間もなくアイコスにタバコを差し込み電源を入れた。ブッと小さくバイブが震える音がした。
「おい。ふざけんなよ」
「まあまあ、紙巻きは辞めてあげたんだから許してよ」
「許さねーよ。当てつけか? ふざけやがって。だいたい臭いって言ってるのに吸うの意味わかんねーよ」
「紙巻きのほうが美味しいだ。わからないかなぁ。電子タバコ、僕あんまり好きじゃないんだよね。まずいし。でもまあ、キミの気持ちもわかるから今回は譲歩してあげるよ」
「吸ったら譲歩になってねぇんだよ。ニコチンに頭やられてんのか?」
「やられてるのは肺だよ」
吸えるようになったらしく、先輩はタバコをくわえておいしそうに紫煙を吐き出した。ぶち殺すぞ。
「電子タバコってさぁ、カッコ悪いよね」
とろけるような顔で言うことじゃない。
「例えば隕石が地球に迫ってるとするだろ? 紙巻きだったら「ちょうど火が欲しかったところだ」ってかっこよく決められるのに、電子タバコだと吸えるようになるまで時間がかかるからその間にお陀仏だよ」
やっぱニコチンに頭をやられてるらしい。
「あとさ僕が仮にキミより先に死んだとするだろ? そうなると墓前に「線香代わりだ」ってタバコ供えるのともできないんだよ?」
あんたの墓参りなんてするわけねぇーだろ。
「世知辛い世の中だよ、まったく」
ふぅーと大きく息を吐く。
「おい、煙がこっち来てんじゃねぇか」
「風下にいるキミが悪いよ。さしずめ僕は風上にも置けないやつってね」
「やかましいわ」
洗濯物も干し終わったのでそのままベランダから出ていこうとしたら、
「ちょ、ちょっと待ってよ。頼み事の返事聞かせてもらってないよ!」
呼び止められた。
「さっき断るって言いましたよね」
「立て替えってくれって言ってるんじゃないんだ。ただ家賃を待ってほしいって金守銀千代に伝えてほしいだけ。来月まとまったお金がはいるからさ、それで払える予定なんだよ」
「本当ですか? だいたい何のお金なんです?」
「アルバイト始めたんだ。でも給与締めと振込日がちがくて計算狂ったってわけ」
「へぇ。なんのアルバイトです?」
「コンセプトカフェだよ」
「……」
「おい、なんだいその目は。勘違いしないでくれ。健全なやつだからな。僕は性を売り物にするやつらが大嫌いなんだ」
「なんのコンセプトなんです?」
「異世界猫耳忍者カフェ」
「……」
「どうだい来たくなっただろう?」
「微塵も」
経営者、頭悪いのか?
従業員は頭悪そうだけど。
「来てくれたらサービスするよ。チェキ撮ってあげる」
「なんかそういうバイトしてる人って働いてることバレたくないもんだと勝手に思ってましたよ」
「客を呼ぶとインセンティブがあるからね。僕はお金のためなら友達を売るよ」
「はぁ、ま、頑張ってください」
部屋に戻ろうとしたら、
「ちょっと、家賃の件!」
とまた声をかけられた。
しつこい。
「わかりましたよ」
相手するのも面倒くさいのでため息をつきながら返事する。
「銀千代には俺から言っておきますから」
まあ、ちゃんと働いてるみたいだし、これぐらいはアシストしてやろう。
「その必要は無いよ」
「え」
先輩と一緒に声がしたほうを見ると、逆サイドの手すりから銀千代が顔を出していた。
「全部聞かせてもらったから」
銀千代の目は黒く濁っていた。
「ゆーくん、楽しそうにお話してたね?」
「あれが楽しそうならお前の耳と目は悪い」
「こんなやつの言う事信じるの?」
「は?」
「いま強制退去の準備進めてるから覚悟の準備をしておいてください」
「……話が早すぎるな……」
どうでもいいが、銀千代はこのアパートの大家さんだ。俺の知らないうちに権利を譲渡してもらったらしい。ひどい話である。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいよぉ、銀千代さぁん」
先程までの偉そうな態度とは打って変わって三下みたいなセリフを吐きながら先輩が情けない声を上げる。
俺の部屋を挟んでだらしない話をしないでほしい。
「絶対払いますから、お願いしますよぉ」
「ダメです。今月もどうせ滞納されるだろうなって思ってたから明け渡し訴訟の準備を進めてたところなの。契約解除通知の手間が省けて助かったよ。荷物まとめておいてね」
「そ、そんなぁ……僕はどこに住めばいいのさぁ」
「今の季節は星が綺麗だよ」
にっこりと暗黒微笑を浮かべる容赦ない幼なじみ。
「お、おい、いくらなんでも、それは」
「なに? ゆーくん、その女の肩を持つの? なんで? 関係ないよね」
「そ、そういうわけじゃないけど……本人も悪気があるわけじゃないし、来月からはちゃんと払うって言ってんだから大目に見てやっても」
「そうやって周りが甘やかした結果がこれだよ」
ビシッと指をさされた先輩は「ぐぅ」と息を呑んだ。
「だいたいお金がないっていうならタバコをやめればいいじゃない?」
「それは、まあ、そのとおりだな」
「そもそも銀千代とゆーくんの愛の巣に異質物があること自体、本当は許せないんだよ。慰謝料ももらいたいほどなのに、家賃すら払えないならこの女の居場所はないよ」
「払うって言ってんだから待ってやれよ」
「待てない!」
銀千代は語気をあららげた。
「待ったあとでこいつが家賃を払う保証なんてどこにもないよ。こんなやつの言う事信じるの? どうかしてるんじゃないの? 信じられるわけないでしょ」
ちょっとゴンさん化の片鱗が見えてるな。
カタンと音がした。
そちらを見やると先輩が手すりにライターを置いていた。
「望むのならば、アイコスも……。もし、来月までに僕が家賃をはらわなかったら、処分してくれてかまわない。だから頼むから待ってくれ」
人の家を挟んで茶番始めんな。
「むぅ」
銀千代は少しだけ唸り、「勝手なこと言って……!」と先輩を睨みつけた。
俺は勝手にやってろ、って思った。
「お願いお願いお願い! 絶対払うから! そ、それに、僕、本当、二人はお似合いのカップルだと思ってたんだ。だからその邪魔絶対しないし、むしろ二人の仲を助けたいとすら思ってるんだよ。僕にできることなら何でもするからさ! ねっ! 強制退去だけは、どうか、どうか、ご勘弁を!」
「……」
先輩はみっともなく頭を下げた。
なんとも哀れな状況である。
「ま、まあ、銀千代、本人もそう言ってることだし、タバコ辞めてまで資金繰りするっていってんだから」
「そこまでは言ってない」
先輩をにらみつけると、しゅんと肩を落とした。
「ライターは預ける」
「だからまあもう少しだけ待ってやれよ」
銀千代は大きく息を吐いて目を閉じて、絞り出すように、
「一ヶ月、家賃待つ……」
とつぶやいた。
俺は洗濯物も干し終えたのでさっさと部屋に戻ることにした。世界一無駄な時間を過ごした。




