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第30話 十一月、微睡み、殺意


 藍色だった空はいつの間にか黄金色に変わり、朝焼けが夜勤明けの目に突き刺さる。

 否応なしに鼓膜を揺さぶる、カラスと小鳥のさえずりが、本日の快晴を予言しているようだった。

 ヘトヘトに疲れた体を引きずり、息も絶え絶えに帰宅した俺は、即刻シャワーを浴びて、ベッドに倒れ込んだ。


 つかれたぁ。

 よくわからんが、今日は本当に忙しかった。


 歯磨きを忘れてしまったが、起きてから、磨けばいいやと思って数秒、俺は夢の世界へ旅立った。


 しばしの平穏。


 まどろみの縁から俺を引き上げたのは、玄関の施錠が解除される音だった。

 薄く目を開けると、室内はすっかり明るくなっていた。室内温度から察するにお昼をとうに過ぎた頃であろう。

 ああ、また銀千代か。

 と夢うつつに思いながら、抗えぬ睡眠欲求に従って寝返りを打つ。

 玄関ドアの閉まる音がしてから数分、今度は浴室のドアの開閉音がした。どうやら不法侵入した銀千代が、勝手にシャワーを浴び始めたらしい。

 水音を不快に思いながらも、怒鳴る気力すらわかず、惰眠を貪り続ける。

 数十分後シャワーを浴び終えたらしく、ドライヤーをまたも無断で使用し始めた。うるさいと怒鳴りたくなったが、どんな環境下でも睡眠を取れるのが、俺の長所で、髪を乾かし終えるのを祈るに留めた。

 寝させてくれと神頼みしながら、浅い眠りの時にみる将来の不安や過去の出来事のフラッシュバックのような夢を見ていたら、リビングの扉がガチャリと開き、ついで、

「きゃあああ!!」

 という叫び声が室内にこだました。


 一気に現実に引き戻された。

 重たい瞼をむりやりこじ開けると、沼袋七味が床にへたりこんでいた。

「……」

 意味がわからなかった。


「なんでお前がここにいるんだ」


 としゃがれた声で問いかけると、バスタオル一枚だけ羽織っていた沼袋が震える声で、

「なんで先輩がここにいるんですか!?」

 と叫んだ。


「質問を質問で返すな……」

 さすがに目が覚めてしまった。

 体を起こして舌打ちしながら、

「俺んちだからだよ」

 と教えてやった。


「え、いや、そんな……あ、同棲されてたんですか!?」


 沼袋は緩くなった胸元のバスタオルをギュッと握ると俺を睨みつけた。

 もう意味わからん。


「なんの話ししてんだお前……」


 ラッキースケベ的な展開に健全な男子なら下品な笑みを浮かべるべきなのだろうが、今の俺は劣情よりも睡眠欲のほうが数段勝っていた。


「え、えっと、私は、銀千代さんが一人暮らしをしていると伺ったので遊びに、……というよりも明日この辺で仕事があるので泊まらせていただこうと来た次第なんですが……まさか、先輩がいるだなんで思わなくて……」


 ピッと壁を指さす。

「銀千代は隣だ」


「え、そうなんですか? あ、でも預かった鍵はこちらの……」


「おれんちの鍵持ってんだよ、あいつ……」


「あ、ああ、同棲されてたんですね……」


「違う……」


 もう何でもいいから寝させてくれとため息をついたタイミングで沼袋は自分がほぼ裸に近い状態だということに気がついたのか、「し、失礼しました」とどもりながらリビングを出ていった。

 否定の言葉、アイツにちゃんと届いているのだろうか。

 俺もそのまま倒れるように後頭部を枕に預けた。


 沼袋七味は俺の通っていた高校の一個下の後輩で、アイドルグループ、芋洗坂39の現リーダーでもある。

 そんなやつが何で俺の部屋に来たのかは謎だが、願わくば、このまま寝させてほしい。

 きちんとした格好に着替えた沼袋が再び俺の前に姿を現したのはそれから数分後のことだった。


「先ほどは失礼しました……」

 恭しく頭を下げられる。


「それで、突然どういうことだよ」

 寝ぼけ眼をこすりながら尋ねる。


「どーしたもこーしたも……。昨日銀千代さんとお仕事が一緒になったとき、明日この辺で街ブラロケがあるので、お泊りさせてほしいとお願いしたら快諾してくださったんです。鍵だけ預かって、訪れたら、先輩がいたというわけで……」


 より詳しく話をきくと、どうやら銀千代が自分の部屋番号と俺の部屋番号を間違って伝えたということが理解できた。何してんだ、アイツは。沼袋の軽く掲げたキーチェーンには、大小さまざまな鍵がぶら下がっていた。あ、あれ手錠の鍵だ。


「た、大変失礼しました」

 沼袋は誤解が解けた瞬間、ペコペコと何度も頭を下げてくれた。こちらが申し訳なく感じるほどだ。


「もういいからさっさと隣の部屋行けよ」

 あの筋トレの道具とマットレスしかない地獄のような空間に。


「そ、そうさせてもらいますね」


 少し照れたように沼袋は背中を見せ、


「初めて……一人暮らしの男性の部屋に上がりました」


 とぽつりと呟いた。耳朶が仄かに赤く染まっている。少し恥ずかしそうに沼袋がリビングのドアを開けると同時に、


「たっだいまぁー! お仕事お疲れさまぁー。今日はね、バラエティの撮影で朝まで大忙しで、銀千代疲れちゃったぁ。ゆーくん疲れ癒してぇ。だけどさぁ、このまま二馬力で働けば、いつか、でっかいマイホームも夢じゃな」


 銀千代が無遠慮に玄関ドアを開けた。

 外の冷えた空気が室内に吹き込む。


「あ、銀千代さん。おか」


 沼袋を視界に収めると同時に銀千代は飛び上がっていた。真空飛び膝蹴りっ!

「ひっ!」

 目を丸くした沼袋が咄嗟に横に避けたので、勢いそのままベッドの俺に銀千代の膝が飛び込んできた。


「ぐあああ」


「ああ! ゆーくん、ごめんなさい!」


 脇腹を掠めた。痛みに悶絶する俺に銀千代が大声でわめきながら抱きついてくる。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいゆーくんを傷つけるつもりはなかったの! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


「お、おま……」


 とばっちりにも程がある。身を縮めて痛みに耐える俺から銀千代は視線を外すと、尻餅ついたまま震える沼袋をにらみつけた。


「よくもゆーくんを!」


 責任転嫁である。


「くらわしてやらねばならんッ! 然るべきべき報いをッ!」


 叫んで立ち上がろうとしたので、慌てて右手を掴んで制止する。


「お、お前、何しようとしてんだよ」


「? 殺すんだよ?」


 背筋が凍る。


「いやまてまてまて、なんでだよ、意味わかんねーぞ」


「意味が分からないのは銀千代の方だよっ!」


 癇癪を起こした子供のようにベッドに拳を叩きつけた。スプリングが軋んでポインと場にそぐわない音がした。


「お仕事から疲れて帰ったらぁぁあ!」


 指を刺された沼袋は口を半開きにしたまま動けないでいる。


「いるんだものぉ! アバズレがぁ! ゆーくんの裏切り者ぉ!」


「なんでそうなるんだよ!」


「う! うわわ! うわ! うわわ!」


 さくさーく、ちゃおー?


「浮気だなんて! 銀千代というものがありながら、あ、あり、あり、あり、アリアリアリアリ、ありえない!」


 途中ブチャラティになった銀千代は尚も叫び続けている。


「世界一可愛い恋人がいるのに!!!」


「ま、まて、誤解だ!」


「ゆーくん、お願い、銀千代を愛していると言うなら今すぐアイツを殺して! Let's kill da ho!! Beeetch!」


「浮気なんてしてねーよ! 話聞け!」


「殺すか殺さないか、どっちなの!?」


「殺さない、落ち着け! 俺は浮気なんてしてないって言ってんだろ!」

 浮気したらこうなることは火を見るよりも明らかだからである。


「嘘だッ!!! これが浮気じゃなかったらなんなの!? カノジョが帰宅したら、お風呂上がりと思しきクソアマがいて、ゆーくんの髪は寝癖で乱れてるし、ベッドも乱れてるし! うああああ!」


 ベッドを乱したのはお前だ。


「この恨み! はらさでおくべきかー!」

 両手を天に掲げた銀千代はホラー漫画のような目で叫んだ。


「……」

 圧倒的な気迫に黙り込んでいた沼袋が静かに口を開いた。

「あの銀千代さん……昨日教えられた部屋が間違っていたようなんです」


「……ハァ?」

 ちょっと前に流行った猫チームような素っ頓狂な声を上げて銀千代は沼袋を見つめた。


「あの、ですから、銀千代さんの家に行こうとしたら、伝えられていた部屋番号が先輩のお部屋のものだったんです」


「ハァ?」


「気づかなかった私も悪いんですが、その……」


「……」

 銀千代は少し考え込むように無言になってから蚊の鳴くような声で続けた。


「証拠はあるの? 無いでしょ? 無いなら、やっぱりギルティ……!」


 銀千代が両手を掲げた瞬間、沼袋は慌てたようにポッケからスマホを取り出しラインを開いて見せた。


――――――――――


今日


09:46 ぬまぶー:銀千代さんのお部屋にお伺い出来るなんてドキドキです(*´艸`*)


09:47 ぬまぶー:近くに着いたんですが、何号室でしたっけ?(;´∀`)


12:12 金守銀千代:206


12:13 ぬまぶー:ありがとうございます!m(_ _)m先に上がって銀千代さんのことお待ちしてますね(^O^)/


―――――――――――


「……」


 画面の短いやり取りをしばし見つめていた銀千代は少ししてから呟くように言った。


「アカウント乗っ取り……」


「おい」


「……ゆーくんのこと考えすぎて、部屋番号間違ってたみたい」


 少しだけうなだれた銀千代に、沼袋が胸をなで下ろして、

「……ご、誤解が解けてよかったです」

 と声をかけた。


「でもゆーくんの家に不法侵入したことは許される行為ではないからやっぱりギルティかな。さて、銀千代優しいからさ。特別に死に方選ばせてあげるよ」

 どの口が言ってんだ、この女。


「おい、間違ってたのはお前なんだから素直に謝れよ」


「まことにごめんなさい」


 ベッドの上で土下座する銀千代。いいからさっさと降りてくれ。


「い、いえ、すみません、私もちゃんと確認すればよかったんですが」


 どう考えても沼袋のほうが大人だ。


「ドーモ、スミマセンデシタ」

 不服そうに銀千代は唇を尖らせながら、抑揚なく謝罪の言葉を吐いた。納得はしていないらしい。

「ゆーくんに免じて今回は大目に見るけど次はないからね」


「謝る気ゼロじゃねぇか。いい加減にしろよ、お前」


「そ、そんなことはないよ! 本当に反省してるんだよ。やっぱりお互いの意見に耳を傾けるのは大事だよね。でも、まっ! 一山乗り越えて二人の愛は深まったってことで良しとしておこう。なんていうか、銀千代も木から落ちるというか、銀千代の川流れというか……ちょっと抜けてるところがかわいいっていうか」


 そのまま流されて、海に出て、藻屑と消えろ。


「あ、沼袋さん、まだいたんだ。もう帰っていいよ。これからR18の予定だから」


「いや、泊めてくださいよ……」


 沼袋が不憫でならない。







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