53人の夢
オーディション当日。
通は朝から落ち着かなかった。時計を見ると、まだ午前8時半。オーディション開始の10時まで1時間以上ある。それなのに会議室の準備はすべて終わっていた。
椅子。応募書類。飲み物。審査用紙。何度確認しても変わらない。確認することがなくなると、人は余計なことを考える。本当に人は来るのだろうか。
募集開始から2週間。SNSの反応は悪くなかった。それでも実際に応募する人は少ないかもしれない。さっと窓の外に目を向ける。白い雲がゆっくり流れていた。
「調子はどうだい?」
後ろから声がしたので振り返ると社長がいた。
「緊張した顔だね」
「分かります?」
「うんうん」
社長は笑った。
「だって顔に書いてあるもの」
通は苦笑する。その自覚はあった。
昨夜はなかなか眠れなかったのだ。
「今日…何人くらい来ると思いますか?」
社長が椅子へ腰掛ける。
「10人くらいじゃない?」
「ですよね」
「1人でも来たら上出来さ☆」
2人は頷き合った。
ここは小さな芸能事務所だ。そして無名のプロジェクト。実績もない。普通に考えれば応募者は少ない。そう思っていた。だが9時を過ぎた頃、受付担当の社員が慌てて会議室へ飛び込んでくる。
「野坂さん!」
「はい?」
「人が……」
嫌な予感がした。
「人が来てます!」
「何人?」
社員は少し黙った。
そして言う。
「20人以上」
通と社長は顔を見合わせた。
「20!?」
予想の倍だった。いや、それ以上かもしれない。慌てて受付へ向かう。すると、廊下には若い男性たちがズラリと並んでいた。「多くない?」と自然に声が漏れた。
学生服の人。
私服姿の人。
スーツ姿の人。
髪型も服装も雰囲気も様々だ。
緊張している者。
友達同士で話している者。
黙って壁を見つめている者。
自信満々な顔をする者。
不安そうにしている者。
たくさんの夢がそこにあった。
通は思わず立ち止まる。先程まで予想していた景色とは大違いだ。こんなにも夢を追う人がいたのかと、胸が熱くなるのを感じた。最終的な参加者数は、予想を遥かに超える53人となった。
社長も横で驚いている。
「愛知にもいるもんだねぇ」
「僕も驚いてます」
「やって良かったじゃない」
「まだ何も始まってませんよ」
通は苦笑した。だが少しだけ嬉しかった。愛知にも夢を持つ少年たちがいる。その事実だけで、この企画には意味がある気がした。
午前10時。
オーディションが開始され、1人ずつ部屋へ入ってくる。
自己紹介。志望動機。歌。ダンス。特技。繰り返し順番に見ていく。1人目、2人目、5人目、10人目、20人目……。だが、現実は厳しかった。
歌が苦手な人。ダンス経験のない人。やる気はあるが準備不足な人。もちろん真剣な参加者ばかりだが、芸能界は残酷でもある。夢だけでは足りない。光る何かが必要だった。昼を過ぎても、午後になっても、通の評価用紙には決定打が書かれない。
「どう?」
社長が聞くと、通は首を横に振った。正直に言えば悪くはなかった。だが、心を動かされることもなかった。
「うーん…アイドルとして輝く姿が想像できないんですよね」
「分かる」
社長も頷く。
「普通にいい子なんだけどね」
「そうなんです」
夢だけでは足りない。
努力だけでも足りない。
ルックスだけでも足りない。
何か。何かが欲しい。
27人目。会議室の扉が開く。少年が入ってきた瞬間、空気が少し変わった。通は少しだけ眉を上げた。
黒髪短髪。少し日焼けした肌。鋭い目つき。態度もどこか不機嫌そう。椅子に座る動作まで雑だった。だが、目を離せなかった。
「お名前をお願いします」
少年は真っ直ぐ前を見る。
「天城陽斗 (あまきようと)です」
その瞬間だった。通は顔を上げる。低くよく通る声。妙に耳に残る。声がとても良かった。
歌の審査が始まる。たった一曲だけの短い時間だったが、それでも分かる。荒削りだ。技術も未熟。だが、不思議と耳に残る。彼の歌声は感情がむき出しだった。歌い終わった後、彼は少しだけ睨むような目でこちらを見る。
「以上です」
通は久しぶりに胸が高鳴る感覚を覚えた。
「今回応募してくれた理由は?」
通が尋ねると陽斗は鼻で笑った。
「有名になりたいからです」
会議室が静まり返る。普通ならもっと綺麗事を言う。夢とか。希望とか。笑顔を届けたいとか。だが彼は違った。
「俺を馬鹿にした奴らを見返したいんで」
社長が少し目を丸くする。
「それだけ?」
「十分じゃないですか」
通は思わず笑いそうになった。生意気だ。すごく扱いにくそうだ。問題児かもしれない。それでも(目が死んでない)と思った。
陽斗が退室した後に社長が言う。
「面白い子だね」
「ですね」
通は履歴書を見つめた。天城陽斗、17歳。愛知県東海市出身。名前の横に小さく丸を付けた。
午後4時半。
オーディションも終盤。52人目が終わると、通は肩を回した。さすがに疲労が溜まっている。あと1人だ。最後の応募者。
「どうぞ」
扉が開き、1人の少年が入ってきた。黒髪で色白。細身でモデルのようなスタイル。だが通が目を引かれたのはそこではなく、目だった。真っ直ぐな目をしている。静かで、強い。何かを背負っているような、覚悟を決めた人間の目だった。
「お名前をお願いします」
「桐生奏真です」
穏やかな声。
そして歌唱審査が始まる。彼が奏でる歌は、決して派手ではないが一音一音が丁寧だった。心を込めているのが伝わる。結果、歌唱審査もダンス審査も、どちらも上手かった。しかし本当に印象に残ったのは、最後の質問だった。
「どうしてアイドルになりたいの?」
通が尋ねる。
彼は少しだけ黙った後に答えた。
「弟の夢だったからです」
会議室が静かになる。
「弟はアイドルになりたかったんです」
淡々としていた。
だがその言葉の一つひとつが重い。
「去年、事故で亡くなりました」
社長の表情が変わる。
奏真は続ける。
「だから俺が代わりになります」
通は何も言えなかった。その目を見れば分かる。本気だ。誰よりも。何かを背負っている。
彼が「ありがとうございました」と頭を下げて部屋を出て行った後、会議室にはしばらく静寂が続いた。そして、社長がぽつりと呟く。
「最後にすごい子が来たね」
通は何も答えないまま机の上に広がる53枚の履歴書を1枚ずつ見返していく。10分後…20分後……30分後………。窓の外は茜色に染まっている。やがて通は2枚だけを手元に残した。
天城陽斗
桐生奏真
「本当にその2人でいいの?」と社長が尋ねる。通は履歴書を見つめた。この2人は全然違う。性格も。雰囲気も。歩んできた人生も全く違うだろう。
片方は怒りを抱えている。
片方は悲しみを抱えている。
どちらもアイドル向きとは言えない。だが、なぜだろう。この二人なら。何かを起こせる気がした。根拠はない。プロデューサーとして失格かもしれない。それでも…!
通は顔を上げる。迷いはもうない。
「この2人でやります」
社長が微笑む。
「決まりだね」
履歴書の上に夕陽が落ちる。まだグループ名はない。歌もない。衣装もない。ファンもいない。まだ何者でもない2人。だが、それでも今この瞬間、ふたつの人生が確かに交わろうとしていた。




