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スポットライトの向こう側  作者: キ"ャノレノレ


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1/5

光は、いつも東京から生まれるわけじゃない

6月1日。


名古屋駅前は朝から蒸し暑かった。高層ビルの隙間を吹き抜ける風さえ生ぬるい。


通勤ラッシュの人波の中を、野坂通は静かに歩いていた。


白いワイシャツ。紺色のスーツ。

片手にはコンビニで買った水。


信号待ちをしながら、スマートフォンの画面を見下ろした。画面には一通のメッセージ。




『おはようございます。これまで本当にお世話になりました。本日より担当変更となりますが、これからも通さんの御活躍を応援しています!私も精一杯がんばります!』




数年間担当してきた女性タレントから送られてきたものだった。思わず苦笑する。




「応援するのは僕の方なんだけどな」




そう小さく呟いてからスマホをポケットへしまった。

誰に聞かせるでもない独り言だった。




スターライトエンターテインメント。

名古屋市中区にある小さな芸能事務所。

野坂通が勤める会社だ。




設立から25年。

大手芸能事務所とは比べ物にならない。




所属タレントも20名程度。それでも通はこの会社が好きだった。夢を追う人たちがいる。それだけで十分だった。




エレベーターに乗り、四階へ向かう。事務所のドアを開くと、いつもの朝の光景が広がっていた。




「おはようございます」


「おはようございます」




社員たちが挨拶を返す。

通も軽く頭を下げた。




自分のデスクへ向かい、パソコンを立ち上げる。メールを確認する。スケジュールを整理する。慣れた作業だ。




ふと机の端を見る。そこには写真立てが置いてある。昨日まで担当していた女性タレントとの記念写真。テレビ出演が決まった日の一枚だ。嬉しそうに笑う彼女。その隣で少し照れ臭そうに立つ自分。通は苦笑した。




「頑張ったなぁ」




そのタレントは今日付で新人マネージャーへ引き継がれた。会社の判断だ。不満はない。4月に入社したばかりの彼に、2ヶ月間をかけて彼女のことや業務のことを教えこんだ。


もちろん寂しくないと言えば嘘になる。


だが芸能界ではよくある話だ。人気が出れば担当も増える。新人の経験を積むために引き継ぐこともある。むしろ彼女は今が伸び盛りだ。若い感性を持つ新人の方が、彼女をさらに上へ連れて行けるかもしれない。そう思って納得した。しかしそれでも、どこか心に穴が空いたような感覚があった。


その時だった。スマホが震えた。画面に表示された名前を見て姿勢が少し伸びた。社長。会社の代表取締役だった。通話ボタンを押す。




「はい、野坂です」


『しもしも⭐︎お疲れ様だよ~!』




いつも通り軽い声。



『通くん、今日の昼空いてる?

ちょっち話したいことがあるんだよね~』


「話……ですか?」


『うんうん!だもんで、この後ランチでもどう?』




そして、正午。




待ち合わせ場所は名古屋駅周辺にあるイタリアンレストラン『タヴェルナ グイダ』だった。店内は落ち着いた雰囲気で、平日の昼にもかかわらず賑わっている。窓際の席に、社長はすでに座っていた。




「こっち、こっち!遅いじゃないか〜」


「5分前ですよ?」


「そうだった?」




穏やかな笑顔。いつもの調子だ。

通は席につきながら尋ねた。




「珍しいですね。社長からランチなんて」


「たまにはいいじゃない」




社長は笑った。




「それに君、今フリーでしょ?」




その言葉に通は曖昧な笑みを浮かべた。

図星だった。


スターライトエンターテインメント代表取締役。56歳。温厚だが行動力の塊みたいな人で、通は昔からこの社長が好きだった。


無茶を言う。失敗もする。

でも夢を語る時だけは少年みたいな顔になる。




ランチが運ばれてくる。

しばらくは他愛もない会話だった。


最近の業界の話。

テレビ番組の話。

所属タレントの近況。

新しく入った社員の話。

動画配信市場の話。


そして、食後のコーヒーが運ばれてきた時だった。社長が突然言った。


「通くん」


「はい」


「男性アイドルやってみない?」


通は一瞬固まった。

カップを持つ手が止まる。


「……はい?」


「男性アイドル」


社長はさらりと繰り返した。

聞き間違いではなかった。




「僕にアイドルになれと仰るのですか?何を今更…。」




31歳でアイドルなど務まるのだろうか?社長の意図が全く分からない。しかし社長は目を大きく見開いた後、身体を揺らしながら笑った。




「違う!違う~!君がなるんじゃなくて、うちで育てるのさ。……いいや、《《君が》》育てるのさ!」


「えっ?」




数秒、思考が止まった。



スターライトエンターテインメント。

うちは女性タレント中心の芸能事務所だ。




モデル。

タレント。

女優…。




そういった人材は抱えている。

だが男性アイドルなど聞いたことがない。




「いや……待ってください」




通はカップを置いた。




「うちにノウハウなんてありませんよ」


「ないね」


「育成経験も」


「ない」


「男性タレント部門も」


「ない」


「じゃあ無理じゃないですか」




社長は吹き出した。




「だから君に頼みたいんだよ」


「意味が分かりません」


「君ならできると思うから」




あまりにも無責任な理由だった。

通は頭を抱えたくなる。




「社長」


「うん」


「僕、男性アイドルのマネジメントなんて一度もやったことありません」


「僕もない」


「社長ご自身でやるつもりはないですよね?」


「僕が?ないない」


「はぁ……ですよね…」




社長は楽しそうに笑った。




「でも、サポートは精一杯するつもりだよ」




そして少しだけ真面目な表情になる。




「あのね、」窓の外を見ながら言った。

「最近思うんだよ…。」通もつられて外を見る。




名古屋の街並み。人々が行き交う。

大勢の人々。大都市だ。だが、芸能の中心ではない。

この街に、男性アイドルというイメージも湧かない。




けれど、流行、文化、時代。

全部が少しずつ変わっている。




「東京には男性アイドルがたくさんいる」


社長が言う。


「大阪にだって」


そして少し笑った。


「でも愛知はどうだろうか」




通も頷いた。確かにそうだった。アイドル文化はある。

だが男性アイドルとなると東京ほど根付いてはいない。




「だから面白い」




社長の目が輝く。

通はその顔を知っていた。

無茶を思いついた時の顔だ。




「東京には何でもある」


社長は続ける。


「大阪も強い」


「……はい」


「でも愛知にだって才能はいると思うんだ」


通は黙って聞いていた。


「夢を持ってる男の子もいる」


社長は真剣な目を通に向けた。


「その受け皿がないだけで」




その言葉がなぜか胸に残った。




「愛知からスターを作る」

「男性アイドルを」

「俺たちの手で」




熱い言葉が続いた。




だが現実的な問題もある…。

通は苦笑する。




「予算は?」


「ない」




即答だった。




「ですよね…」


「ない」




もう一度言った。

通は頭を抱えた。

社長は笑っている。

しかし本当に楽しそうだった。




「どう?」


社長が聞く。


「やる?」


通は少し考えた。男性アイドルのプロデュースなど経験したことがない。成功する保証もない。むしろ失敗する可能性の方が高い。それでも、胸の奥が少しだけ熱くなっている気がした。




昔。自分も夢を見ていた。


歌手。俳優。

スポットライトを浴びる人間になりたかった。

でも、叶わなかった夢。


だから今は誰かの背中を押す側にいる。

それで満足しているはずだった。それなのに。




「失敗しても知りませんよ」




その言葉を聞いた社長は満面の笑みを浮かべた。




「交渉成立だねっ☆」




その日の夕方、通は自席でパソコンを見つめていた。画面には真っ白な募集ページに、タイトルだけが入力されている。




『男性アイドルオーディション開催』




予算、ほぼなし。

専用スタジオ、なし。

有名講師、なし。

知名度、なし。

あるのは勢いだけ。

 



本当にやるんだ。改めて実感すると同時に「本当に始まるのか?これ。」と笑ってしまいそうにもなる。




だが立ち止まっても仕方ない。

まずは人を集めなければ。




通は無料のウェブページ作成サービスを開いた。簡単な募集要項を書く。




年齢。

応募条件。

活動内容。

夢を持っている人歓迎。

未経験可。




そして最後に一文。




愛知から全国を目指す男性アイドルメンバー募集。




続いて事務所の公式SNSでも告知をする。




募集告知画像を添付する。

投稿文を打ち込む。

指先が止まる。




本当に応募なんて来るのだろうか…。

10人……いや、5人かもしれない。




5人も来ないかもしれないから、オーディション会場は社内の会議室で十分だろう。そんなことを考えながらキーボードを叩く。画面の中で文字が並んでいく。窓の外では夕陽が街をオレンジ色に染めていた。




誰も知らない。

まだ名前もないプロジェクト。


成功する保証もない。

メンバーもいない。

ユニット名もない。

夢を見る少年たちの顔すら知らない。

でも、なぜかワクワクしていた。


投稿ボタンへカーソルを合わせる。

指先に少しだけ力が入る。




「さてと…」




小さく笑う。

そしてクリックした。


画面に表示される。

『投稿しました。』




その瞬間。

何かが動き始めた気がした。

通は静かに息を吐いた。

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