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欲しいもの、ひとつ


「…今日も旦那様は帰ってきてないのかしら」

袖机の花は一昨日から変わることなく活けられていた。

いつもほんのり温かかったはずのベッドすら冷たいまま。


「その、旦那様は…。」

皆が口を揃えて口ごもる。


…きっと、お仕事が忙しいのだろう。

姫殿下付きのお嬢様のお世話もされているって友人たちも言っていたもの。


でも、私には気を遣って何も言ってくださらない。


「…そう。…きっとお忙しいのね。」

零れた声は思っていたよりも頼りない音で。


「その、すぐに。すぐに…旦那様は…」

そう言葉を紡いでくれる彼女の声に、一抹の不安がよぎる。


…私が、旦那様の負担に…邪魔になっていないかと。




『良き妻のすすめ』には、こんなとき、どうすればよいと書いてあったかしら…。



旦那様を支えることが、良き妻のあるべき姿なはず。

それなのに、旦那様の邪魔になるなんて…。



黙り込んでしまった私に、皆が声を揃えて言う。

「もう少しですから」

「旦那様は奥様を大変溺愛しておりますから。」

と。


溺愛、なんていらないから…。


「ただ、旦那様。と呼ばせてほしいだけなのに…」



*****


宝石。服飾。靴。香水。

レース、花、菓子。


贈りたいと思うものならいくらでもある。

だが、彼女に似合うもの、彼女が喜ぶものとなると、どれも違う気がした。


部下や知人にそれとなく、それとなーく相談するが、いつの間にか話を流される。

それどころか書類を持ってきてはサインを催促する始末だ。


……なぜだ。



彼女に似合うもの、喜ぶものを選ぶため店に足を運ぶにも時間が足りない。

滞在時間10分って、何を見ろと?



書類を積み上げるむさ苦しい部下の顔はもうたくさん。

それよりも、彼女の喜ぶ顔が見たいんだよ。



それなのに。

無情にも、時間だけが過ぎていく。


「………出てくる。」

「会議でしょうか?」

「今から俺は出かける。今日はもう戻らない。」

「困ります!まだサインをいただきたい書類が…」


そういい募ってくる部下に、機嫌は底辺に落ちるのを自覚する。


ちっ…

まだ俺の邪魔するつもりか?



「終わっている。ここにある分、各部署に持っていってこい。ついでに、『杜撰な書類を押し付けてくるな、この無能が』って伝えてこい。」

自分の机に積み上げられた書類を指差せば、そのまま部屋を出る。


背中で部下の悲鳴が聞こえた気がするが…知ったことか。

彼女のためなら部下の犠牲も尊いものだろう。



頭上の太陽を見上げる。


そうだ。

今日は…時間がたっぷりある。

そのために、一昨日から泊まり込んでまで仕事を終わらせたのだからな。

…彼女の寝顔さえ見に帰れなかったんだ。


残りの仕事は、指示した通りに優秀な部下たち(空気を読んだもの)が各部署の無能たちに書類を突き返してくるだろう。


持ち出してきた紙を広げ、視線を落とす。


人気の菓子はもうすぐ焼きたてが出来上がるらしい。

贈られて喜ばれる花も目星を付けた。

最近流行りのレースの種類や靴、服も調べた。

香水調合できると噂の店もこの近くだ。

宝飾店は一通り書き出したから、すぐにでも見に行ける。


まずは一件目…この近くの菓子店だ。

彼女への贈り物を探すべく一歩踏み出す。



今日こそ、彼女に似合う贈り物を見つけて、

彼女の喜ぶ顔を見るのだから。


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