EP1.白礫墓苑の夜 第4話「厄介ごと」
「では、素性を教えてください」
夜明けの石畳の上で、ラヴィは満面の笑みだった。
その笑みが、朝日よりまぶしいとか、そういう綺麗な話ではない。
ただ単純に、逃がす気がない笑みだった。
「名前はノエルさん。そこまでは確認済みです。では年齢、出身地、保護者の有無、現在の住居、ならびに生計手段を順番に」
「……嫌」
「嫌ではありません。大事な確認です」
「嫌」
「嫌という返答は受け付けておりません」
「嫌」
「なるほど」
ラヴィは頷いた。
「では言い方を変えます。答えていただけますか」
「嫌」
「まるで改善が見られませんね」
石段の端に腰を落としたまま、レインは目を閉じた。
全身が重い。まだ胸の奥で何かがくすぶっている。右腕は自分のものじゃないみたいに鈍い。
この場で最も必要なのは休息であって、身元確認でも宗教でも善意でもない。
宿に帰って、三日くらい何も考えず寝たい。
その願いを踏みにじるように、ラヴィは振り向きざま言った。
「レインさん。この子、王都警備隊に引き渡します」
「俺に報告するな」
「関係者でしょう」
「何を見てたんだ、お前…。俺には関係ない」
「本当に?」
「本当に」
「ええ。あなたは、神の前に出た時、“あの時あの子を放っておきましたが、それなりに眠れました”と言うつもりですか」
「…脅迫じゃねぇか」
ラヴィはそこで黙った。
そして何も言わず、静かに、やけに優しい目でレインを見た。
先に視線を逸らしたのはレインだった。
「……何だよ」
「別に」
「じゃあその“別に全部分かってますよ”みたいな顔やめろ」
「そんな顔をしていましたか」
「してる」
「失礼しました」
まったく失礼した顔ではなかった。
ラヴィはすぐにノエルへ向き直る。
「では次です。王都には孤児院という施設があります。身元不明の方も受け入れており、安全で、三食昼寝付き、非常に真っ当です」
「閉じ込められる」
「保護施設ですので、多少の制限はあります」
「閉じ込められる」
「多少です」
「嫌」
「…なるほど。では次案です」
息継ぎがない。
「私の宗派の施設はどうでしょう。外出自由、食事付き、寝床付き、ついでに仕事もあります。掃除、祈祷所の整備、墓地の見回り、清めの補助、書類運搬、雑務全般。大変に健全です」
ノエルは少し考えた。
「清めって何するの」
「死者の残滓を鎮めたり、墓地を掃除したり、時々私の代わりに面倒な相手の話を聞いたりします」
「最後のは嫌」
「では最後のは私が続投します」
「……できるかも」
「では決まりです」
「早い」
「決断は早い方がいいのです。では明日から」
「なんで」
「考え続けると人は疲弊します。私は親切なので締切を設定します」
「…脅迫じゃねぇか」
「神の思し召しです」
ノエルはしばらくラヴィを見ていた。
「……変」
「よく言われます」
ラヴィは少しも傷つかずに微笑んだ。
レインは顔を覆った。
この二人を同時に相手する元気は、今の自分にはない。いや、元気があってもたぶんきつい。
もう、無理やりにでも逃げようか…
レインがそんなことを考えていた時。
「あなた方に質問があります」
後ろから声が来た。
硬い。
よく通る。
耳に残る声だ。
三人が振り返る。
朝靄の薄光の中、白と銀の装備がきっちり整っていた。
立ち姿まできっちりしている。若い。だがその若さを自分で厳しく律している顔だ。
背後には兵を従えている。
「王都聖騎士団所属、セシルと申します」
礼まで無駄がない。
「白礫墓苑封鎖区画における夜間不審者の報告を受け、巡回に参りました。立ち入りをされたかたは」
「全員です」
ラヴィが即答した。
セシルの眉が、紙一枚ぶんだけ動く。
「全員、ですか」
「はい。大変健やかに、全員です。ただし私は清めの職務がありましたので、不法侵入とは若干、祈りの方向性が違います」
「…健やかかどうかは訪ねておりません。清めの許可証はお持ちですか」
「あいにく持ち合わせておりませんでした」
「では不法侵入です」
「切り分けが早いですね」
ラヴィがちょっと感心した顔をした。
「神の思し召しで来ましたので、許可証の取得まで頭が回りませんでした」
「神の思し召しは王都法の適用外事由に含まれません」
「ですよね」
「分かっていて言いましたか」
「半分くらいは」
「なぜ半分残したんですか」
「可能性に賭けました」
「何の」
「奇跡の」
「起きません」
「即答ですね」
「起きないから規則があります」
レインは少しだけ顔を上げた。
この男、ラヴィに対して一歩も引かない。
かなり貴重な人材かもしれない。
セシルの視線がレインへ向く。
「あなたは」
「ギルドの依頼だ。札はある」
レインは胸元からギルド札を出して見せた。
セシルは一瞥する。
「確認しました。ですが封鎖中の区画への立入には別途申請が必要です」
「そんな申請があるのか」
「あります」
「知らなかった」
「知らなかったでは済みません」
「じゃあどうすればよかったんだよ」
「事情聴取を行います。何かご不満が?」
「あるが言わない」
「顔に出ています」
「内面では納得している」
小さくため息をついた後、最後に、セシルはノエルを見る。
ノエルも静かに見返す。
「あなたは」
「ノエル」
「年齢と所属を」
「ノエル」
「年齢」
「ヒミツ」
「出身」
「しらない」
「保護者」
「いない」
「現在の住居」
「いらない」
一瞬、押し黙ったセシルだったが
「…却下です」
「何が」
「全部です」
セシルはしばらくノエルを見ていた。
「……保護が必要と判断します。王都には孤児院という施設が」
「閉じ込められる」
「保護施設ですので、外出には」
「嫌」
「多少の制限が」
「嫌」
「……なるほど」
セシルは少しの間、考えた。
「では代替案はありますか」
「あります」
ラヴィが即答する。
「私の宗派の施設で当面の住まいを用意します。外出自由、食事付き、最低限の労働あり。宗派の名のもとに、そこそこの責任をもって保護します」
「それは宗派として正式に」
「私が申請します。通します」
「通る見込みは」
「私が通します」
「見込みを聞いています」
「私が、通します」
「答えになっていません」
「意志表明です」
セシルはしばらくラヴィを見た。
「……何かとても強い圧を感じます」
「信仰です」
「信仰ですか」
「信仰由来の圧です」
「そうですか」
「はい」
「納得はしませんが、処理上は理解しました」
そこでセシルはノエルへ戻る。
「住まいの件は仮置きします。ただし、未成年かつ身元不明の方が単独で生活するには収入の問題があります。あなたはどうするつもりですか」
「ギルドに入る」
「ギルド」
「冒険者になる」
セシルの表情は変わらない。
だが“面倒が増えた”と顔に書いてあるのが分かる。
「冒険者登録には保証人が必要です。未成年で、なおかつ身元確認の取れていない方が単独で登録することはできません」
「保証人がいれば?」
「規則上は可能です」
ノエルは迷わずレインを見た。
「レイン」
「嫌だ」
「即答」
「即答するだろ普通」
「なんで」
レインは指を折りながら、言う。
「一、俺が面倒を背負う。二、お前が何かやらかしたら俺に来る。三、昨夜みたいなことがまたあったら最悪だ。四、俺は今とても疲れている。五、全部嫌だ。大体なんでギルドに…」
「レインはギルドにいる」
「それと保証人はまるで別の話だ」
「どう違うの」
「とにかく。お前といると昨日みたいな面倒ごとに巻き込まれかねん」
ノエルは少し考えた。
「……それはそうかも」
「自覚あんなら諦めろ」
「でも」
「でもじゃない」
「レインしかいない」
「他を探せ」
「他にいない」
「いるだろ。そこのラヴィニエとか」
「私は聖職者ですので、ギルドの保証人にはなれません」
ラヴィが穏やかに即答する。
「そこの聖騎士とか」
「初対面ですし、職務上も不適切ですし、何より私個人がそうしたいと思っていません」
セシルも即答する。
ノエルは三人を順番に見た。
「レインしかいない」
「…」
レインは石段に深く座り直した。
帰りたい。
本当に帰りたい。
なのに、胸の奥のくすぶりが消えない。
夜明けの澄んだ空気の中くすぶり続けている
ノエルの背中と、昔の別の背中が、嫌になるくらい勝手に重なる。
見捨てていい。
見捨てるべきだ。
関係ない。
そのはずなのに、少しも楽にならない。
「……ラヴィ」
「はい」
「お前、さっき宗派の支援を通すって言ったな」
「言いました」
「本当に通せるか」
「通します」
「失敗したら」
「自腹を切ります」
レインは顔を上げる。
「自腹か」
「信仰とは、しばしば財布を伴う行為です」
「嫌な現実だな」
「あなたは時々、聖職者の信用を自ら削っています」
セシルが低く呟いた。
「そこは神の方で補っていただく予定です」
「…」
レインは長く息を吐いた。
そしてノエルを見た。
「……昨夜、なんで俺の前に出た」
「え」
「アレの攻撃。なんで庇った」
ノエルは少しだけ考えた。
「あなたが、やられそうだったから」
「それだけか」
「それだけ」
「俺がやられても、お前には関係ないだろ」
「関係ある」
「なんで」
「一緒にいたから」
ノエルは本当にそれ以上の意味を乗せていなかった。
だから厄介だった。
レインはしばらく黙ってから、吐き捨てるみたいに言う。
「……昨夜みたいなことがまた起きたら、俺にかまうな。自分を優先しろ」
「分かった」
「…なんか、腹立つな」
「なんで」
「分からん」
レインは立ち上がった。
膝が少し笑う。気づかないふりをした。
「ギルドに行く。報告のついでに窓口に話を通す。保証人がどういう扱いになるか俺が確認する。今日の時点では何も約束しない」
「うん」
ノエルはあっさり頷いた。
「ラヴィ。支援の申請、今日中に動け」
「承知しました」
「セシルだったか、」
レインがそちらを見る。
「聴取は後日でいいか?」
「はい。ただし条件があります」
「ああ」
「ギルドへの報告書の写しを聖騎士団へも提出してください。封鎖中区画内での事案ですので記録が必要です」
「分かった」
「助かります」
そこでセシルはラヴィへ向く。
「あなたは今後、正規の手続きを経て職務を行ってください」
「善処します」
「遵守してください」
「遵守に向けて善処します」
「そこからなんですね」
「誠意はあります」
「誠意の前に手続きです」
「誠意をもって手続きを善処します」
「なぜ一段ずつ後退するんですか」
ラヴィはにこやかに首を傾げた。
セシルは一度、ほんの少しだけ目を閉じた。限界が近い顔だった。
開いた時にはもう戻っている。
「……ノエルさん」
ノエルが向く。
「何かあれば聖騎士団の窓口へ。あなたを含め、今後この一行が異常事案に接触した際には、必ず事前に連絡をいただきたい」
「一行って、もうそういう認識か」
レインが言う。
「便宜上の表現です」
「便宜上でも嫌だな」
「では何と呼べば」
レインは少し考えてから、嫌そうに言った。
「……関係者」
「承知しました」
セシルは即答した。
「関係者各位、以後よろしくお願いします」
「…」
言い方を間違えたかもしれない。
言い残して、セシルと兵たちは朝の通りへ消えていった。
背筋は最後まで真っ直ぐだった。たぶん死ぬまでああだ。
三人だけが残る。
ラヴィが言った。
「素晴らしい方でしたね」
「どこがだ」
「真面目で、几帳面で、手続きを重んじる」
「お前が一番苦手そうなタイプだろ」
「ええ。かなり苦手です」
ラヴィはにっこりした。
「だからこそ素晴らしいのです」
「意味が分からん」
「自分が持っていないものを全力で持っている人は、見ていて楽しいです」
「楽しいって言ったな今」
「言いました」
「尊敬じゃなくて見世物の方じゃねえか」
ノエルが少しだけラヴィを見る。
「ラヴィって、全部神の思し召しなの」
「大体は」
「嫌なことも?」
「嫌なことは特に」
「なんで」
ラヴィは即答した。
「嫌なことが神の思し召しであれば、しぶしぶでも前へ進めるからです」
ノエルは瞬きを一つする。
「本当に神様がそう言ってるの?」
「さあ」
ラヴィは少しだけ笑みを深くした。
「確かめる方法がありません。ですので、そう思うことにしています」
「それって」
ノエルは首を傾げる。
「自分がやりたいことを、神様のせいにしてるだけじゃないの」
短い沈黙が落ちた。
レインは思わずラヴィを見た。
ラヴィは少しも崩れない。
「……鋭いですね」
「違うの?」
「さあ」
「どっち」
「私にも分かりません」
レインは少しだけラヴィを見た。
この女が、本当のところ何を考えているのか、一晩通しても分からなかった。 善意なのか、善意に見せているだけなのか、本人も区別していないのか。
どれが本当なのか、結局のところ、誰にも分からないのかもしれない。
「……行くぞ」
レインはノエルに言った。
「うん」
「ちゃんとついてこい。迷子になっても知らねぇぞ」
「迷子にならない」
三人は、王都の方へ歩き出した。
ラヴィが少し後ろからついてくる。
「レインさん」
「なんだ」
「良いことをしましたね」
「してない。面倒ごとを抱えただけだ」
「それを世間では」
「言うな」
「良いことと」
「言うなって言ってる」
「言います。今日は二回くらい言いたい気分です」
「増やすな」
「昨夜の働きが上乗せ評価だったので」
「査定するな」
「明日も言います」
「やめろ」
「神の思し召しです」
「その思し召しを撤回させろ」
「礼拝堂で祈ってください」
「行くか」
「ではまた明日言います」
「……本当に関わりになりたくないな、お前」
ラヴィは穏やかに笑った。
「でも関わりになりましたね」
「……」
「神の思し召しです」
ノエルが、少しだけレインの横顔を見た。
何も言わなかった。
ただ、歩幅がほんの少しだけ揃った。
レインは気づいていないふりをした。
王都の朝は、相変わらず何事もなかった顔をしている。
厄介ごとはひとつ増えた。
ラヴィはそれを良いことと呼ぶ。
ノエルはそれを「レインしかいない」と言った。
レインにはまだ、どちらの言葉も受け入れる気がなかった。
ただ、歩いていた。
それだけで、今日のところは十分だと思うことにした。




