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EP4 暮色四合 第21話 焚き火のそば

ほぼ、移動のみのシーンです。ちょっとだるい展開かも、ですので読み飛ばし可です。ほんのちょっと、レインの解像度が上がります。面倒な方は飛ばしていただいて大丈夫です。読んでくださる方は、少しでもキャラクターに愛着を持っていただければ幸いです。

王都第5環東の灯りが、馬車の後ろへ流れていく。

 石畳を叩く車輪の音が、夜の底に細く響いていた。

 幌は夜を映したように黒い。

 

 セリネは寝台に横たわっている。

 呼吸は細い。

 だが、途切れてはいない。

 その傍らで、テオドーラも眠っていた。

 座ったまま。

 首をわずかに傾けて。

 馬車の揺れに身を任せるように。

 眠っている。よだれをたらしながら。

 それでも、《睡葬》は解けていない。

 セリネの体を蝕んでいた赤黒い結晶は、濁ったまま沈黙していた。伸びない。崩れない。治りもしない。

 ただ、止まっている。

 ラヴィニエは二人の向かい側に座っていた。

 手を組み、目を伏せている。

 祈りは届かない。

 それでも、祈る姿勢だけは崩さない。

 ノエルは物資の横に小さく座り、眠るセリネをじっと見ていた。

 馬車の外では、レインが右側を歩いていた。

 御者台にはカレラ。

 馬車の後方にセシル。

 周囲の警戒にフィア。

 護衛としては、悪くない配置だった。

 ただし、運んでいるものが悪すぎる。

 レインは、流れていく街灯を横目に見た。

 王都の外縁を抜けるまで、まだ人の気配がある。

 寝静まった家。

 夜番の兵。

 閉じかけた商店。

 遠くから聞こえる犬の鳴き声。

 それらが、ひとつずつ遠くなっていく。

 やがて石畳が途切れ、車輪の音が土を噛む音に変わった。

 王都の外だ。

 レインは一度だけ、後ろを振り返った。

 壁の向こうに、王都の灯りが残っている。

 だが、これから向かう場所には、その灯りは届かない。

「黄昏の森まで、どれくらいだ」

 レインが御者台のカレラに言う。

「急いで二昼夜ほどです」

「二昼夜」

「余裕を見て、三日分の物資を準備しました」

「ノエルが三十日分買いかけてたぞ」

「それは旅ではなく移住です」

「フィアが止めてた」

「賢明です。食料で馬車が沈むところでした」

 カレラは前を向いたまま答える。

 手綱を握る姿勢に迷いがない。

 馬の扱いにも慣れている。

「何でもできるんだな」

「何でもはできません」

「さっきから大体やってるだろ」

「できないことを減らしているだけです」

「それを普通は“できる”って言うんだよ」

「では、普通ではないのかもしれません」

 レインは少しだけ鼻で笑った。

「言うねえ」

少しだけ、会話に温度がある気がした。


 一度目の休憩は、王都外の街道脇だった。

 夜明けにはまだ遠い。

 火は小さくした。

 目立つ必要はない。

 馬に水を飲ませ、車輪を確認する。

 セリネは変わらない。

 テオドーラも起きない。

 カレラは寝台の固定を確認し、馬車の外に出た。

 レインはそこで、ずっと気になっていたことを口にした。

「なあ」

「はい」

「なんでここまで動く?」

 カレラは、すぐには答えなかった。

 レインは続ける。

「たかだか小娘一人のために、あんたらみたいな連中がここまで動く。護衛まで雇って、森の奥まで運ぶ」

レインは馬車を見た。

「普通じゃねえだろ」

 言ってから、レインは少しだけ口を閉じた。

 たかだか。

 その言い方が、自分で少し引っかかった。

 だが、カレラは責めなかった。

 ただ、馬車を見た。

 幌の向こうに、セリネがいる。

 その傍らで、テオドーラも眠っている。

「……そうですね」

 カレラは短く言った。

「あの子は……そう、少し特別なのです」

「少し?」

「はい」

「あんたらが動くくらいには?」

「ええ。詳細はまだ答えられませんが」

 レインは眉をひそめた。

「本人は知ってんのか」

「おそらく、知りません」

「おそらく?」

「覚えていない、という方が近いでしょう」

「何を」

 カレラは、その問いには答えなかった。

 火の小さな明かりが、彼女の横顔を照らす。

「今言えるのは、そこまでです」

 レインは黙った。

 また、言い返せなかった。

「じゃあ、ひとつだけ」

「答えられる範囲であれば」

「セリネは、帰りたがってるのか」

 カレラの視線が、ほんの少しだけ馬車へ向いた。

「はい」

「そうか」

「それだけは、確かです」

 レインは息を吐いた。

「なら、運ぶ理由はある」

 カレラは一度だけ、レインを見た。

「そう言っていただけるのは、助かります」

「礼を言うのは早えよ」

 カレラは何も言わなかった。

 だが、それで少しだけ空気が軽くなった。


 夜が明ける頃、セシルが封書を広げた。

 焚き火のそば。

 全員が長く座る余裕はない。

 馬車はすぐに動かす。

 それでも、いま持っている情報を整理しておく必要があった。

「現状を整理しましょう」

 セシルはそう言って、実験場で確認した封書を布の上に置いた。

 レインの顔が少し険しくなる。

「あれか」

「はい」

 フィアも近づいた。

「変な手紙みたいなやつね」

 ラヴィニエは、馬車の中から少しだけ顔を出していた。

「私は詳細を聞いていません」

「今話します」

 セシルは封書を開かず、外側を指で示した。

「まず、この封書。差出人の名は明確ではありません。ですが、使われている紙、封の形式、蜜蝋、文面の言い回しに、教会文書とみて概ね間違いないでしょう」

 ラヴィニエの微笑みが、薄くなった。

「教会文書、ですか」

「まだ、確実に断定はできませんが」

 セシルは即座に言った。

「教会そのものの正式文書とは限りません。ですが、教会関係者か、少なくともその様式を知る者が関与している可能性はあります」

「他には」

 レインが問う。

「実験場の設備と、白衣の男の逃走です」

 セシルは続けた。

「あの男は、ただの研究者ではありません。戦闘力という意味だけではなく、逃走経路や、痕跡の消し方が専門的すぎます」

 フィアが頷く。

「痕跡が消えてるんじゃなくて、増やされてる感じだった。足跡を百人分ばら撒かれたみたいに、どれが本物か分からない」

 セシルはラヴィニエを見た。

「もちろん、同一組織とはまだ言えません」

「言えないけれど、無関係とも言えない」

 ラヴィニエが静かに言った。

「その通りです」

 レインは封書を睨んだ。

 ゼノック。

 白衣の男。

 番号で子どもを呼んだ男。

 あいつが、教会と繋がっているかもしれない。

 考えただけで、胸の奥が黒く熱くなる。

「次は教会かよ」

 レインが呟く。

 ラヴィニエは静かに微笑んだ。

「教会というものは、たいてい何かと繋がっています」

「笑えねえぞ」

「笑っていませんよ」

「笑ってるだろ」

「顔の作りが信仰的なのです」

 フィアがぼそりと言う。

「…それ、呪われてんじゃないの?」

「それを祝福というのです」

 ラヴィニエが意味深なことをいった。

 「…ゼノック、王都の外にも内にも足場を持っている可能性がある?」

ノエルがぽつりと言った

「はい」

 セシルは頷く。

「少なくとも、単独犯と見るには材料が揃いすぎています」

「なら、追ってくるか」

 レインが言う。

「可能性はあります…が、現場を放棄した以上、このタイミングで襲撃は考えにくいかもしれません」

 セシルが答えた。

「警戒は怠らないでください」

 カレラが言う。

 レインは封書から目を離した。

「ああ、無事に送り届けるよ」

 その言葉に、カレラは小さくうなずいた。


 二日目の夜。

 街道は細くなっていた。

 王都から離れるほど、道は荒れる。

 馬車の揺れは増える。

 木々が近くなり、風の音が変わる。

 フィアが先に気づいた。

「右」

 短い声だった。

 レインはすぐに足を止める。

「何だ」

「走ってる。十三……いや、十五?」

 カレラが手綱を握り直す。

「馬車は止めません」

 草むらの奥で、低い音がした。

 獣の唸りに似ている。

 だが、どこか乾いていた。

 木々の隙間に、細長い影が走る。

 狼に似ている。

 けれど脚が異様に長く、背中は低く沈んでいる。肋の浮いた黒い体毛に、夜露がかすかに光っていた。

 顔は細い。

 口が裂けたように長い。

 目だけが、薄い黄緑に光っている。

 夜走り。

 夜の街道に出る、群れの魔獣だ。

 死肉も食う。

 弱った馬も襲う。

 血の匂いと車輪の音に寄ってくる。

 セシルが剣に手をかける。

「馬車に近づけさせません」

 レインは馬車の横を離れた。

「追い払うっ!」

 夜走りの半数が、馬車の右側へ回り込む。

 低い姿勢。

 長い脚。

 地面すれすれを滑るように走る。

 レインは雷纏を走らせた。

 全身に雷が通る。

 視界が鋭くなる。

 剣は抜かない。

 地を蹴る。

 一瞬で、先頭の夜走りの前に出た。

 雷を纏った踵が、地面を叩いた。

 青白い火花が散る。

 夜走りの群れが、反射的に足を止める。

 次の瞬間、レインは踏み込み、先頭の一匹の鼻先を柄で打った。

 夜走りが悲鳴を上げて横へ飛んだ。

 左右から二匹。

 セシルが光壁を張る。

「拒め、白耀」

 淡い光が、馬車の側面に走った。

 夜走りの爪が触れる前に、光に弾かれる。

 フィアの雷針が、地面を縫うように走った。

「こっち来んな!」

 雷が草を焼き、夜走りの進路を塞ぐ。

 群れは迷った。

 獲物はある。

 だが、近づけない。

 レインは雷纏の出力を少し上げた。

 光が、夜の道で獣のように唸る。

「まだ来るなら、次は痛いだけじゃ済まねえぞ」

 夜走りの一匹が低く唸った。

 だが、先頭の個体が鼻から血を垂らしながら後ろへ下がると、群れ全体がじりじりと距離を取った。

 やがて、黒い影は草むらの奥へ消えた。

 馬車は止まらなかった。

 カレラは一度だけ振り返る。

「被害は」

「こっちはない」

 レインが答える。

 フィアが息を吐いた。

 セシルは光壁を解き、馬車の後方へ戻る。

「被害なし。継続できます」

「では、そのまま」

 カレラの声は淡々としていた。

 だが、ほんの少しだけ、硬さが抜けていた。

 馬車の中では、ラヴィニエが小さく祈りを終えたところだった。

 ノエルが言う。

「揺れた」

「少しですね」

「起きない?」

 ノエルはセリネとテオドーラを見た。

 ラヴィニエも見る。

「起きませんね」

「よかった?」

「ええ」

 ラヴィニエは微笑んだ。

「今は、眠っていることが救いです」

 ノエルは、少しだけ考えてから頷いた。


 その夜は、短い休息しか取らなかった。

 小さな火。

 薄い毛布。

 車輪の点検。

 馬の呼吸。

 そして、眠る二人。

 ――のはずだった。

「……お腹が空きました」

 不意に、馬車の中から声がした。

 レインは火のそばで顔を上げた。

 カレラが即座に振り返る。

「テオドーラ様」

「……起きました」

「そのようですね。」

「では、何か食べます」

「嗜みを覚えてください…」

「食べなければ、眠れません」

「起きていてください」

「……では、食べてから寝ます」

「改善がありません」

 テオドーラは毛布に包まれたまま、馬車の中で半分だけ身を起こしていた。

 目は開いている。

 たぶん。

 少なくとも、本人はそのつもりらしい。

 ノエルが保存食の袋を差し出した。

「これ」

「……ありがとうございます」

 テオドーラは干し果物をひとつ口に入れた。

 もぐ。

 止まった。

 カレラが眉をひそめる。

「テオドーラ様」

「……噛んでいます」

「途中で寝ていませんか」

「噛む夢を見ています」

「起きてください」

 フィアが火の向こうで笑いをこらえていた。

「この人、本当に当主なの?」

「はい」

 カレラは真顔で答えた。

「アルケイン家当主、テオドーラ=アルケイン様です」

「説得力が保存食に負けてるんだけど」

「日常的な現象です」

「日常なんだ」

 テオドーラは、干し果物をゆっくり噛み終えた。

「……失礼です。わたしは、必要な時には…

ぐう…」

「話すか寝るか、どちらなんですか…」

「さっき夜走りが出たんだけど?」

「……夢の中で追い払いました」

「現実ではレインさんたちが追い払いました」

「では、共同作業です」

「違うと思う…」

 レインは火のそばで肩をすくめた。

「まぁ、いいだろ。あれだけの術を使ってるんだ。腹くらい減る」

 カレラがレインを見る。

「甘やかさないでください」

「甘やかしてねえよ」

「今のは、かなり甘いです」

 フィアがうなずく。

「レインって、こういうとこあるよね」

「どういうとこだよ」

「ぶっきらぼうだけど、なんだかんだ甘い」

「誰が」

「レインが」

「気のせいだ」

 ノエルが火を見ながら言った。

「甘い」

「お前まで乗るな」

「苦くはない」

「何の話してんだよ…」

 ラヴィニエが、にこりと笑った。

「レインさんは、口は荒く、手は早く、足癖も悪いですが、見捨てるのは下手ですね」

「褒めてんのかそれ」

「祈りに近い評価です」

「どう、受け取ればいいんだよ…」

 セシルが静かに言う。

「しかし、事実ではあります」

「お前もかよ」

「あなたは、無関係だと言いながら、毎回事件の中心にいます」

「巻き込まれてるだけだ」

「そうかもしれません、しかし、なぜかいつも先頭に立っています」

「立たなきゃ死ぬだろ」

「あなたは。…他人の命の重みを知っている人です」

 レインは言葉を詰まらせた。

 火が、小さく爆ぜる。

 テオドーラが、二つ目の干し果物をつまんだ。

「……うっ、まずい…」

「食べ物を吐き出すな!」

「テオドーラ様…空気を読んでください…」 

「…あなたは、…なんでしょう?」

 短い沈黙が落ちた。

 レインは、セリネの寝台を見た。

 「……俺は、別に」

 言いかけて―

 また、白い光の断片が浮かびかけた。

 思い出そうとすると、いつもそこだけ抜け落ちる。

 口元だけが動く。

 声がない。

 シラ。

 声に出さず、名前だけを胸の内で呼んだ。

 返事はなかった。


「…セリネのことを、気にしてくれているのですね」

テオドーラが問いかける。

「悪いか」

「いいえ」

「じゃあ聞くな」

「聞かないと分かりません」

「分かる必要あんのか」

「…あなた方に、少し興味がわきました」

「そうかよ」

 レインは少し黙った。

「…俺は、…ああいうのが苦手なんだよ」

「ああいうの、とは」

「子どもが、勝手に壊されるやつ」

 カレラは何も言わなかった。

「理由も分からず、番号で呼ばれて、壊れされて、終わり。そういうのが、無理だ」

「そうですか…覚えておきます」

 レインは視線だけカレラへ向けた。

「何を」

「あなたが、そういうものを見過ごせない人だということを」

「……勝手にしろ」

「はい」

 また、短い沈黙。

 その沈黙は、不思議と悪くなかった。


 三日目の昼前。

 空の色が変わり始めた。

 いや、空ではない。

 道の先だけが、違っていた。

 まだ昼のはずだった。

 太陽は高く、雲も薄い。

 周囲の草木も、日を受けている。

 それなのに、道の先に広がる森だけが、夕方の色をしていた。

 橙でもない。

 青でもない。

 夜でもない。

 昼が終わる直前の、あの曖昧な色。

 フィアが馬車の横で足を止めた。

「……懐かしいな」

 小さな声だった。

 誰に向けた言葉でもない。

 独り言のように、風の中へ落ちた。

 レインが横目で見る。

「何か言ったか」

「別に」

 フィアはすぐにいつもの顔に戻った。

「ただ、ちょっと嫌な感じがするってだけ」

「懐かしいって言わなかったか」

「言ってない」

「言っただろ」

「言ってないことにして」

「……そうかよ」

 セシルも森を見た。

「光の入り方が不自然ですね」

 ラヴィニエが幌の隙間から外を見る。

「まあ」

「何だよ」

 レインが言う。

「綺麗ですね」

「感想それか」

「ええ。危険なものは、たいてい綺麗です」

 ノエルも外を見た。

「暗い」

 ラヴィニエが言う。

「まだ夜ではありませんよ」

「でも、明るくない」

「そうですね」

 カレラは手綱を握ったまま、前方を見ていた。

「あれが、黄昏の森です」

 その名を聞いた瞬間、馬車の中の空気が少し変わった。

 セリネは眠っている。

 テオドーラも眠っている。

 だが、進む先が変わったことだけは、全員が理解した。

 王都の外。

 街道の先。

 昼と夜の境目。

 そこに、森がある。

 

 運ぶべきものは、まだ壊れていない。

 まだ、間に合うかもしれない。

 そう思った瞬間、胸の奥で、また聞こえない声が動いた。

 レインは息を吐き、しっかり前を見据えた。


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