表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/25

EP4 暮色四合 第16話 フィアとミラ


 王都第5環東は、中心街とは空気が違う。

 王都は幾重もの環状区画によって広がっている。王城と大聖堂を抱く中心区を第一環と呼び、そこから外へ向かうほど、商業区、居住区、工房区、旧市街、外縁街へと性格を変えていく。

 第5環東は、その境目にある。

 人はいる。

 家もある。

 市場も、配給所も、古い施療所もある。

 だが、王都中心部のような整った秩序は薄い。石畳はところどころ割れ、壁には古い煤が染みつき、工房街だった頃の名残として、使われなくなった煙突が空へ突き出している。

 荷車の軋む音。

 鉄材を運ぶ男たちの怒声。

 水路の端で布を洗う女たちの笑い声。

 路地を走る子どもの足音。

 その全部が、どこか雑で、煤けていて、それでも確かに生きていた。

「ここが第5環東側か」

 レインは通りを見渡しながら言った。

「はい」

 セシルが地図を広げる。

 右腕は固定されたままだ。だから左手だけで地図を押さえている。器用ではある。だが、見ていて危なっかしい。

「王都の東側外縁に近い区画です。かつては薬品加工、魔道具修理、金属加工の小工房が多くありました。現在も一部は稼働していますが、事故や火災で閉鎖された区画も多い」

 怪しいことをするには、ちょうどいい場所だ。

 人がまったくいない場所より、人がそれなりにいる場所の方が隠れやすい。廃墟だけの場所なら逆に目立つ。だが、第5環東には生活がある。流通がある。荒れた建物と、使われている建物が混ざっている。

 誰かがいなくなっても、すぐには気づかれない。

 誰かが出入りしても、それが仕事なのか、取引なのか、犯罪なのか、すぐには分からない。

 そういう場所だった。

「失踪者の最後の目撃場所は」

 レインが問う。

 セシルは地図に赤い印を三つ置いた。

「一人目はこの配給所付近。二人目は古い施療所の裏手。三人目は第5環東市場の北側です。いずれも、廃工房区画へ向かう道筋と重なります」

「三人とも子どもか」

「二人は子どもです。一人は薬売りの老女。正確には、正式な失踪届は出ていません。ただ、ここ数日姿を見ていないという話があります」

 フィアが小さく息を吐いた。

「消えても、最初に数えられない人から消えてるんだ」

 声は軽かった。

 だが、目は笑っていなかった。

 レインは地図を見る。

 配給所。

 施療所裏。

 市場北側。

 そして、その先に古い廃工房区画。

 線を引けば、東へ向かう。

「まず聞き込みだな」

「はい。私は配給所と施療所を確認します」

 フィアが通りの端で足を止める。

「少し、見てみる」

「何を」

「流れ」

 そう言って、フィアは目を細めた。

 薄い銀に見えた彼女の瞳の奥に、淡い光彩が浮かぶ。光が差したのではない。瞳そのものの内側で、何かが細くほどけるように動いた。

フィアは目を閉じる。

レインはそれを見て、口を閉じる。

いつもの軽いフィアではなかった。

呼吸を浅くし、耳を澄ませるように何かを拾っている。

「……ここ、人が多い」

「そりゃ通りだからな」

「違う。流れが入り組んでる。人と、動物と、古い術式の残り…?。全部混ざってる」

「分かるのか」

 フィアは指先で自分の目元を軽く叩いた。

「フィーは、魔素の流れを見るやつだから。人が多いと、川がいっぱいあるみたいになる。どれが探してる流れか分かりにくい」

 レインは眉をひそめる。

「まず、配給所だ」

 レインは言った。

「聞き込みで線を引いて、外縁に出たらフィアに流れってのを見てもらう」

「了解」

 フィアはいつもの軽い声に戻った。

「じゃあ、聞き込み。フィー、得意だよ」

 第5環東の配給所は、大聖堂や中心教会のような立派な場所ではなかった。

 古い倉庫を改装した建物で、壁には簡素な聖印が掲げられている。中からは煮込みの匂いがした。粗末な木椀を持った子どもたちが、列になって並んでいる。

 セシルが名乗ると、受付の男は露骨に緊張した。

「聖騎士様が、なぜこちらに」

「個人的な確認です。正式捜査ではありません」

「正式捜査では、ない」

 男は安堵したような、不安になったような顔をした。

 正式ではない。

 だからこそ、何かがある。

 「最近、ここに出入りしていた子どもが一人、行方不明になっています」

 セシルは淡々と告げる。

「最後に見た時のことを確認したい」

「ええと、その、子どもは多いので」

「名前はルカ。年は十一。右頬に小さな火傷痕があります」

「ああ……」

 男の表情が変わった。

 知っている顔だ。

「来ていました。何度も。母親が病で、食事を持ち帰っていました」

「最後に見たのは」

「三日前の昼過ぎです」

「一人でしたか」

「いえ」

 男はそこで言葉を止めた。

 レインが一歩前に出る。

「誰といた」

「白い服の男です」

 その言葉に、場の空気がわずかに固まった。

「医師か?」

「そう見えました。施療所の方かと思っていました。子どもにも優しくて、薬の包みを渡していましたし」

「名前は」

「分かりません。ただ、子どもたちは……」

「先生」

 ノエルが言った。

 男は驚いたように彼女を見る。

「はい。そう呼んでいました」

 レインの胸の奥が鈍く疼いた。

 先生。

 まただ。

「記録はありますか」

 セシルが問う。

「配給記録なら」

「見せてください」

 男は迷った。

 ほんの一瞬。

 それから奥へ引っ込み、古い帳面を持って戻ってきた。

 ノエルが横から覗き込んだ。

「ここ」

 ノエルが指を差した。

 セシルの目が細くなる。

 三日前の昼。

 書き忘れたというより、そこだけ紙が空白を保っている。

「この時間の記録は」

「担当者が、書き忘れたのかと」

「誰が担当でしたか」

「……交代で」

 男の声が弱くなる。

「嘘?」

 ノエルが静かに言った。

 男の顔が強張る。

 レインは低く言った。

「子どもが消えてるんだぞ」

「わ、私は何も」

「何もしてなくても、知ってることはあるだろ」

 セシルが続ける。

「正式な捜査ではありません。ですが、これ以上隠すなら、私は正式な手続きに切り替えなければならない」

 男は唇を噛む。

「……上から、言われました」

「上?」

「配給所の管理側です。余計な記録を残すなと」

「誰が言った」

「名前は……分かりません。封書で。印は、教会区のものに見えました」

 セシルの表情は変わらなかった。

 だが、地図を押さえる左手の指がわずかに強くなった。

「封書は」

「処分しました。そう書かれていたので」

「都合がいいな」

 レインが吐き捨てる。

 男は俯いた。

 

配給所を出ると、フィアはすぐに通りの端へ移動した。

「ちょっと、ミラに聞いてみる」

フィアが目を閉じた。

 肩のそばに、かすかな光の粒が浮かぶ。小さな虫にも、火の粉にも見えた。だが、それは空気の中にとどまり、フィアの耳元でふるえた。

「ミラ」

フィアが短く呼んだ。

肩のそばに浮かぶ光の粒が、返事のように淡く瞬いた。  

「次は市場北側?…うん、うん、へー、そうなんだ。…わかった」

「フィアお前、なにと話してるんだ?」

「…うーん、精霊、かな。フィアのは古いのみたいだけど」

「フィアさんは、そこが知れませんね…」

「ま、いーじゃん。おいおい教えてあげる。でね、ミラが言うには…」

フィアが先導して歩いていく。

 店の看板も少なくなる。

 家屋と倉庫が混ざり、古い工房の壁が増えていく。

「この辺なら…」

 フィアが立ち止まった。

 光彩が、先ほどよりはっきり浮かぶ。

 彼女の視線が、通りの奥へ流れた。

 右。

 左。

 また右。

 目で見ているのではなく、川の流れを辿っているようだった。

「あっち」

 彼女は東を指した。

 古い煙突が三本並んでいる。

 その下に、半壊した建物群が見えた。

「全部の流れが、あそこを避けてるみたい。普通は人や建物の周りを流れるのに、あそこだけ不自然」

「不自然?」

「うん。磁石が少し狂ってる感じ。こないだの遺跡ほどじゃないけど」

 セシルが顔を上げた。

フィアの肩のそばで、光の粒が震えた。

 フィアは少し目を細めた。

「えー…、またなのぉ…」

「…なんだって?」

「あっちの建物…みたいなんだけど、また廃墟で、どうも地下みたい…」

 レインは東を見る。

 廃工房区画。

 その奥に、何かがある。

 フィアは場所を示した。

 ノエルは黙っていた。

「ノエル?」

 レインが声をかける。

 ノエルは近くの壁に触れていた。

 古い工房の外壁。黒ずんだ煉瓦。そこにはかすかに爪で引っかいたような傷が残っている。

「ここ、何かあったみたい」

「?」

「残ってる」

 ノエルは目を伏せた。

「怖い、が残ってる」

 フィアがさっき指した東を見る。

「じゃあ、やっぱりあそこだね」

「…お前ら二人がよくわからんことが、わかった」

「…ですね。ただ、信頼性は高そうと推察します」

「珍しく意見があうな」

「ですね。意外なことに我々が常識側のようですよ。」

 

 フィアに案内されて、市場裏の細い道へ入る。

 古い泥道に、車輪跡が残っていた。

 普通の荷車より深い。

 重いものを積んでいた跡だ。

 ノエルがしゃがむ。

 泥に触れる。

「冷たい」

「泥が?」

「違う。」

 ノエルは目を細めた。

 フィアが車輪跡の先を見る。

「東三番工房の方だね」

 セシルが地図を確認する。

「旧東三番工房。十数年前に閉鎖。薬品加工と魔道具処理を兼ねていた施設です」

「事故で閉鎖されたんだったな」

「はい。爆発事故です。地下処理区画が崩落したと記録されています」

「地下」

 レインが呟く。フィアが言った言葉とセシルの地図が重なった。

「行くぞ」

「ええ」

 市場を抜けると、街の音が急に遠くなった。

 同じ王都の中なのに、そこから先は空気が違った。人通りはまばらになり、古い工房の壁が道の両側に迫る。窓は板で塞がれ、鉄扉には錆びた鎖が巻かれていた。

 だが、そのうちいくつかの鎖は、新しい。

 レインはそれを見た。

「最近、付け替えられてる」

「はい」

 セシルも気づいていた。

 古い工房の前に出た。

 看板は半分落ちている。

 かろうじて読める文字は、東三番工房。

 鉄扉は閉じている。

 だが、鍵は古くない。

 セシルが周囲を見る。

「人の気配は」

「表にはない」

 フィアが答える。

「中は?」

「ぼやける。壁の向こうは精度が落ちるから。でも、地下に何かある」

「人か」

「人みたいな流れがある。でも、細い。弱い。あと、変なのが一つ」

「変なの?」

「人じゃない。術式……でも、ない気がする」

 ノエルが鉄扉に近づいた。

「触るな」

 レインが言う。

 ノエルは止まった。

「中、怖い」

「それは何が残ってる」

「たくさん」

「たくさん?」

「怖い。痛い。眠い。帰りたい」

 ノエルは淡々と言った。

 だが、その言葉の並びは、ひどく冷たかった。

 レインは拳を握った。

「では、配置を」

 セシルの声が低くなる。

 フィアが一歩下がる。

 レインは深く息を吸った。

 王都第5環東。

 廃工房区画。

 旧東三番工房。

痕跡はここに収束している。

 いや。

 隠されている。

 セシルが頷いた。

 錆びた鉄扉が、低い音を立てて開く。

 中から流れてきた空気は、埃と薬品と、古い血の匂いがした。

 ノエルが小さく呟く。

「……ここ」

 レインは剣の柄に手をかけた。

 夕暮れには、まだ早い。

 だが、工房の中だけはもう、夜のように暗かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ