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EP1.白礫墓苑の夜 第2話「残滓」

通路が終わり、小さな石室が開けた。

半円形の空間だった。

本来用途を、後から別の用途に削り直したような歪さな空間。壁際には崩れた棚墓の名残が並び、右も左も、浅い窪みと石蓋の破片だらけだ。

床の中央には円が刻まれ、その縁を青白い光が糸のように走っている。


三人が立つ通路の出口を背にして、石室の最奥にその円がある。

距離は数十歩ほど。広くはない。だが狭すぎもしない。

その円の中心に、少女がいた。


生きている人間と見まがうほど、くっきりとそこにいた。

年は十六、七か。

顔立ちは地味、おとなしく、質素な服を着ている。長い黒髪が肩に落ち、うつむいたまま、三人に背を向けていた。


最初に足を止めたのはノエルだった。

その白い背中が、わずかに張って見えた。

レインは無意識に、半歩だけ前へ出る。


「……ここか」

返事はない。


ノエルが、一歩だけ前に出た。

少女がぴくりと震える。

ゆっくりと、首が回る。


その顔を見た瞬間、レインは息を止めた。

泣いていた。

それだけなら、まだよかった。

だが、目が違った。

黒だった。

虹彩も白目も、あるべきものが全部消えて、ただ黒い。底の見えない穴が、そのまま眼窩に嵌まっている。

その目が、三人をまとめて映していた。


「……おばあちゃん」


声は、確かに人の子のものだった。

それが余計に、ぞっとした。


「おばあちゃん、どこ」


ノエルが、もう半歩だけ前へ出る。

その瞬間から、ノエルの様子がおかしくなった。

足は止まっていない。けれど目の焦点が、ほどけた。

石室の壁でも、少女でもない、もっと遠くの別の場所を見ている目だった。

まばたきが消える。呼吸が浅くなる。

ここにいるのに、ここにいない顔だった。

レインが眉をひそめる。

「おい、お前」

返事はなかった。


ラヴィが一歩、ノエルの左斜め後ろへ寄る。声はかけない。ただ、すぐに引ける位置で構えながら、ノエルの横顔と少女を交互に見た。

何が起きているのか分からない。

分からないなりに、今、触れるのはまずい――それだけは、場の空気から感じた


少女が、また口を開く。


「なん…で」


声が低くなる。

さっきまでの、泣声ではない。

「なんで、わたしが」


床の円が、強く脈打つ。

その瞬間、少女の輪郭が歪む。


焼ける。

服が。髪が。肌が。

一瞬だった。


生前の姿が崩れた。皮膚は黒く焦げ、所々、赤黒く裂けている。炭のようにひび割れた頬の奥から、生の肉の色が覗く。髪は半ば燃え尽き、残った束だけが熱に揺れていた。

少女の形をしているのに、少女ではないものが、そこに立っていた。


熱が、来た。


石室の空気そのものが変わる。

冷えていたはずの地下に、濃い熱が滲み出してくる。皮膚の表面ではなく、喉の奥、肺の内側を撫でる熱だ。


「なんで……わたしを」


円が黒い光を一気に噴き上げた。

同時に、通路の向こう――左右の壁際、崩れた棚墓の窪み、通路の脇に積み重なった古い埋葬棚、そのあちこちから石の擦れる音が重なった。


一つや二つではない。


蓋が内側からずれ、乾いた骨が石を掻き、死者たちが起き上がる。あるものは骨のままあるものは肉をまとう。死者の群れが形成されていく。

レインは一瞬で間合いを整えた。


「来るぞ!俺が抑える!あんたはこいつを見てろ!」

「はい!」


ラヴィが即座にノエルの半歩前へ出る。

レインは左手を払った。


「――風刃」


風刃が二枚、水平に走る。


先頭の死者の喉を裂く、胸郭を刈る。さらに浅く逸れた刃が三体目の眼窩を刻み、列を乱した。

削れる。が数が多い。


「――雷纏トニトラム」


足元から青白い稲妻が巻き上がり、全身へ絡みつく。

視界の奥行きが研ぎ澄まされ、距離とタイミングが手に取るように分かる。

一体目の喉へ薙ぐ。返す刃で二体目の顎を砕き、三体目の胸骨に肩からぶつかって壁へ叩きつける。


だが死者は止まらない。


後列から腕が這い出す、右からもう一体が横合いへ飛び込んでくる。


レインは身体をひねって躱し、その勢いのまま蹴りで顎を跳ね上げた。雷をまとった打撃が骨の噛み合わせをずらす。そこへ短剣を突き上げる。


「っ、しつこい!」


横から、重い風切り音。


ラヴィのモーニングスターが、ノエルの背後へ回り込もうとした死者の頭蓋を横殴りに砕いた。鉄球が骨を潰し、そのまま石壁に火花を散らす。反動を利用し続けざまに、2体3体と屠っていく。


ラヴィは外套の裾を翻しながら、崩れた死体を一瞥した。


「あんたほんとに…神官か?」


「信仰が厚いものほど、最終的には鈍器に回帰します」


「初耳だわ」


軽口を叩く間にも、ラヴィの立ち位置はぶれない。

常にノエルの半歩前、やや左。入口側からの死角を埋める位置だ。

レインは踏み込み、ラヴィは横へ払う。

砕けた骨が床を転がる。だが、その隙間を埋めるように後続が這い出してくる。


「多い!」

「見れば分かります!」


ラヴィの鉄球が一体を砕く。

だが右の棚墓の窪みから、もう二体。入口側から三体。


ノエルが、意識を取り戻したかのように瞬いた。

白い吐息がこぼれる。


「……眠れ、絶えよ――氷葬ニウィス・セプルクルム


白が、走った。

石床を這う霜が死者の脚へ絡みつき、そのまま膝まで白く閉ざしていく。

最前列の動きが鈍る。

一体が足を取られ、二体目がその上へ崩れた。


右の棚墓から出かけた死者の指先も、石蓋ごと浅く凍りつく。


「……」


ノエルの肩が揺れた。


「!」


レインがその凍りついた列へ踏み込み、けり砕く。

ラヴィの鉄球も鈍い音を立て死者を破壊していく。

ノエルは石室の最奥、円の中心を見ている。


焼けただれた少女を。


「…干渉、…してる…の?」


それが誰に向けた言葉なのか、レインには分からなかった。

焼けただれた少女が腕を持ち上げる。


炭のような指先が、ノエルへ向いた。

少女の口がわずかに動く。瞬間、黒い炎が走った。


炎というより、熱の線だった。

輪郭だけが黒く指向性を持つ。一直線に空間を抉りながらノエルへ伸びる。

刹那、短い詠唱を唱え、ラヴィが半歩踏み込む。柄の部分で黒炎の軌道を逸らす。黒炎はラヴィの外套の端を焼き、右奥の壁を抉った。


じゅ、と鳴る。石壁がチーズのように溶けた。

焦げた布の匂いが広がる。

ラヴィは一度だけ、自分の袖口の焼け跡を見た。手首の皮膚が赤く腫れている。


「……嫌ですね。非常に嫌です」


「感想はいいっ、動け!」


「動いていますよ!」


その直後、入口側の通路の奥から、ひときわ大きな死者が立ち上がった。

黒い靄を濃くまとった個体。重量感がある。ところどころ肉を戻しつつあった。

レインは掌を中空へかざす。


「――集え、穿て。雷槍フルグル・クルレ」


雷が槍を容どる。

放たれたそれが、大型の死者の顔面へ深く刺さった。一瞬、動きが止まる。


「今だ!」


全身を一本の線にまとめ床を強く蹴る。右肩を落とし、腰を前へ押し込み、雷纏をまとったまま大型の死者へ突進した。


貫通特化の、渾身の一撃。


胸郭を斜めに割り、そのまま背後の石柱へ叩きつける。

骨が砕け、埋葬布が千切れて舞った。


だが終わらない。


左右の棚墓から、なおも死者が出る。

入口側の群れも、最前列が崩れた隙間から後続が押し寄せてくる。

レインは振り向きざま雷纏を保ったまま後退し、陣形を保とうと移動する。


焼けただれた少女が動いた。速かった。

石室奥からものの数歩で間合いを詰める。

焼けただれた腕が、黒炎をまとったままレインの肩口へ伸びる。


レインは一撃目を躱す。


二撃目が来る。


軌道が見えた時には、もう遅かった。

爪とも指ともつかない黒い手が肩口を抉る。

熱い。


ただ当たっただけではない。

触れた場所から火の匂いが来た。煙が来た。喉が、内側から塞がれていく感覚が来た。

誰かの叫びが、耳の奥で鳴る。


「っ、なん、だ……!」


レインは後ろ吹っ飛ばされる。


辛うじて体勢を立て直すが、焼けただれた少女が目前に迫ってくる

その間へ、ノエルが滑り込んだ。


「駄目」

ラヴィが呼び止めるより早い。

ノエルがレインを庇うように前へ出た瞬間、黒い腕がその胸へ直撃した。


鈍い音。

ノエルの体が弾き飛ばされた。レインが受け止めるが、衝撃までは殺しきれず、二人まとめて床を滑った。


その刹那。

何かの断片が、流れ込んできた。


火。


焼ける布。


喉に貼りつく熱。


広場。


人垣。


兵士の怒号。


そして声。


――わたしがやりました。


――おばあちゃんは悪くない。


そこへ、別の記憶が重なる。


暗い家。


古びた木の卓。


祖母の皺だらけの手が、不器用に小さな布包みを隠している。少し嬉しそうで、少しだけ恥ずかしそうで。

言葉はないのに、その気持ちだけが分かる。


――今年こそ、何か一つ。


さらに火。


熱い。


熱い。


痛い。


…憎い。

上から判を押すだけの役人が憎い。

見ているだけの奴らが憎い。


でも、その怒りの底に、ひどく小さく残っているものがあった。


おばあちゃん。


ノエルの肩が、小さく震えた。


「……あつい」


その声は、ノエルのものでもあり、そうでないものでもあった。


レインは息を吸おうとして、むせた。


「あ……がっ……」


喉を裂く怨嗟。

理不尽そのものへの怒り。

そして、その怒りの底で、最後まで消えなかったもの。


粗末な家。


祖母の背。


誕生日なんて祝わなくてよかったのに、少しだけ嬉しかった気持ち。


最期の最期で、あの布包みが自分のためだったのだと気づいた、遅すぎる理解。


他人の痛みだ、と思った。


だが身体は区別しない。

自分の胸が焼けているみたいに熱い。

自分の喉が煙で塞がれているみたいに苦しい。

肺の奥が、誰かの叫びで詰まっているみたいだった。


吐き気がした。


目の前が白く滲む。


そして、その熱の底から、別のものが湧き上がってきた。


憎悪だった。


ただの怒りではない。


怒りの形をした何かが、内側から這い上がってくる。自分のものではない。だが、もう区別がつかない。


「が、……っ」


レインの視界が、黒く濁った。

呼応するように雷纏が軋む。

青白いはずの稲妻に、黒い煤のようなものが混じり始める。


雷が死んでいく。


その代わりに、別の何かがくすぶり始めている。


稲妻の輪郭が焦げる。

青の奥に、煤けた黒炎が立ち上がる。


「……何ですか、それ」

ラヴィが一歩引いて、レインを見た。


声は静かだったが、目が初めてはっきりと動揺していた。


レインは自分の右腕を見た。

宿した雷光はもうなかった。

代わりに、煤けた黒い炎が皮膚を這っている。炎というには静かで、燃えているというには重い。焦げた何かが、自分の内側から漏れ出してきているみたいだった。


「知らねえよ!」


叫んだ瞬間、胸の奥が焼けた。

自分の叫びなのに、誰かの声みたいに聞こえる。

憤怒が、憎悪が、胸の奥から喉を焼きながら上ってくる。


その黒炎が、今度は自分自身を焼いた。

右腕の皮膚の下を、熱が逆流する。

手首から肘、肘から肩へ、炭を流し込まれるみたいな痛みが走る。


レインは思わず膝をつきかけ、歯を食いしばって持ちこたえた。


「っ……!」


ただ強いだけの力ではない。

使うたびに、自分の輪郭を削る。そういう力だと、本能で分かった。


ラヴィには分からなかった。

目の前で起こり続けている事象の正体が。

ただ、二人とも少女に触れて、何かが変わった。それだけがかろうじて理解できた。


レインはノエルをラヴィへ押しやった。

「預ける!」


「はい!」


ラヴィがノエルを抱き起こす。

ノエルの呼吸は浅い。胸の上下動が足りない。痛みで顔色も悪い。


「ノエルさん」


ラヴィが短く呼ぶ。

返事を期待したわけではない。

ただ、呼んだ。


ノエルは、ラヴィを見た。

焦点が、少しだけ戻っていた。


「怒ってるの、集まってる」


浅い呼吸のまま、そう言う。


意図はよく分からない。

だが確かにレインには届いた。


混濁した意識のなか、レインは立ち上がる。

自分の内側に、自分でないものが居座っている。

それが動くたびに、自分の輪郭が薄くなるような奇妙な恐怖があった。


黒い炎が、右腕を這っている。

動かすたびに胸の奥が焼ける。

焦げた何かが、気道を通るたびに引っかかるような感触がある。


レインは自分の腕から視線を上げ、焼けただれた少女を見た。

少女は石室の中央で揺れていた。

黒い目が一点を見ている。


もう、何かを訴えているようには見えない。憎悪が顕現した姿だった。

黒い炎が、右腕を焼いていく。


痛い。


ただ苦しい。


それでも、口が動いた。


「――宿れ、咎人の残火。赦されざる焔よ、我が身を贄として顕れよ。舌を灼き、喉を灼き、なお灰へ還るな。


纏え、断罪の黒炎――獄炎装エン・クルパエ


知るはずもない詠唱が、口から出た。


焦げるような感触。

喉が裂けるような熱。

それでも言葉は通った。


黒い炎が、全身へ広がる。

雷纏の高揚感は、ない。


重い。


鎧を着ているというより、何かに締め付けられているみたいだった。動くたびに、胸の奥から焼けた何かが滲んでくる。

レインは一歩踏み出した。

死者の群れに相対する。


一体目。


黒炎が触れた瞬間、乾いた骨が爆発的に燃えた。

焼けていく。煤を撒き散らしながら、崩れていく。


二体目。三体目。


同じだった。

触れるたびに燃える。確実に焼ける。ぱちぱち、と何かが爆ぜる音が聞こえる


そのかわり、レインも焼けていた。

黒炎が動くたびに、胸の奥が痙攣するように痛む。

呼吸をするだけで肺の内側が焦げる。視界の縁が暗く欠ける。

それでも止まれない。


焼けただれた少女が、腕を振り上げた。

レインは今度、受けなかった。


踏み込んだ。

右からではなく左。

石室の円を斜めに横切るように間合いを潰し、少女の懐へ滑り込む。


黒炎が、少女の胸へ触れた。

少女が、初めて動きを止めた。

黒い目が、レインを見た。

何かが、少女の内側で揺らいでいる気がした。


怒りではない何かが。


レインは奥歯を噛んだ。


「――燃やせ」


詠唱とも呼べない言葉が、口から出る。

黒炎が膨れ上がり、爆ぜた。

圧し潰すみたいに広がる。


石室の中心から、煤と熱が同時に膨れ上がる。焼けただれた少女の輪郭を呑み込み、その背後に折り重なっていた死者の群れごと、静かに、しかし逃げ場なく燃やした。


骨は叫ばない。


けれど、そこにまとわりついていた怨嗟だけが、耳を裂くみたいな音を立てて剥がれていく。

レインは一歩踏み込み、さらに押し込む。


胸の奥がひきつる。


喉の裏が焦げる。


右腕の感覚が、皮膚の表面から順に削られていく。

それでも止められなかった。

止めれば、また誰かが間に合わない。

限界を超えた熱が、喉から逆流する。それでも。


「――燃えろ」


言葉と同時に、黒炎がさらに一段深く沈んだ。


「―ぎ、――」


焼けただれた少女が、初めて絶叫した。

高い悲鳴ではない。

魂そのものを引き裂かれたみたいな、音とも言えない声だった。


黒い目が見開かれ、輪郭が大きく揺らいだように見えた、がそれも刹那のこと。

怒りで固められていた形が崩れ、その奥に、別の顔が透けかける。

だがレインには、そこまで見る余裕がなかった。


膝が落ちる。


黒炎が消えたあとも、自分の内側だけが焼け続けているみたいだった。


肺の奥に煤が詰まっている。視界が暗く欠ける。自分が今どこに倒れ込んだのか、一瞬わからなくなる。


「……っ、は……」


石床に片手をついて、どうにか顔を上げる。

死者の群れは、もう見当たらなかった。


石室に残っているのは、焦げた匂いと、焼けた熱と、崩れかけた少女の影だけだ。

焼けただれた少女は、なお立っていた。

怒りで組み上げられた外殻が炭化し、その隙間から生前の顔が滲み出ている。

黒い目はまだ消えていない。


けれど、その奥で、何か別のものが揺れていた。

そして、少女は、ひどく小さな声で言った。


「……疲れた」


石室に、静寂が落ちた。

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