EP1.白礫墓苑の夜 第1話「少女と神官」
王都の地下墓地で、白い少女ノエルと出会ったギルドの男・レイン。
死者の未練に巻き込まれ、聖職者ラヴィと共に、奇妙な事件の渦へ飲み込まれていく。
軽くて重いダーク?ファンタジー。
誰も知らない「世界の終わり」に、ゆっくりと近づいていく——。
石段を降りるたび、空気が変わっていく。
地上の墓地に漂っていた湿った土の匂いが消え、代わりに、冷えた石と、長い年月を閉じ込めたような乾いた匂いが鼻についた。 ランタンの灯りが、等間隔に並んだ壁面の窪みを舐めていく。墓、というより。 棚だ。
人を納めるためだけに作られた、整いすぎた箱の列。
王都の共同墓地の地下にしては妙に綺麗だった。
「……趣味わりぃな」
レインは舌打ち混じりに呟いた。
ギルドに回ってきた依頼は、陳腐な怪談めいたものだった。
依頼人は老女。 娘を亡くして一月、夢を見るようになったという。
死んだはずの娘が、夢の中に出てくる。
娘はいつも暗い場所にいて、苦しんでいるように見える。
言葉はない。ただ、こちらへ向かって手を伸ばす。
老女は皺だらけの手を膝の上で重ねて、擦れた声で言った。
「あの子が、ちゃんと眠れていない気がして」
ばかばかしい、と思った。死者は帰らない。 悪夢とは大抵残された者の後悔が形を変えたものだ。
老女の依頼は単純だった。 娘が眠っているはずの墓を見てきてほしい。何かあるなら教えてほしい。何もなければ、それでも構わない。
正規ギルドの裏口案件。安い。面倒。帰りたい。
だが、帰れない。
財布の中身を思い出せば、贅沢の言える立場でもなかった。
愛想がない。腕は悪くないが、扱いづらい。ギルドの表より、裏口の依頼が似合う。
そういう評価を、否定する気もなかった。
最低限の聞き込みは済ませてある。
夜ごと墓苑から声がする。墓の蓋がずれている。誰かが地下へ出入りしている。
墓荒らしか。浮浪者の寝床か。酔っ払いの肝試しか。
そのどれかであってくれ、とレインは思った。
「……で、見たことにして帰る、と」
独り言は、石の通路に吸い込まれて、少し遅れて戻ってきた。 それが自分以外の声みたいに聞こえて、レインは小さく顔をしかめる。
通路の先で、かり、と音がした。
石を、引っかいたような短い音。
レインは足を止め、ランタンを掲げた。灯りの先、通路の角が浅く曲がっている。
「……誰だ」
返事はない。
代わりに、もう一度。
かり。
レインは腰の短剣に手をかけて、角を曲がる。
先には小さな広間があった。壁一面に棚墓が並び、中央には蓋の外された石棺が一基だけ置かれている。地下旧墓所の古びた石の中で、そこだけが妙に新しい。磨かれた縁に、まだ白い粉塵が残っていた。
そして、その石棺のそばに。
人影がひとつ、しゃがみ込んでいた。
最初に見えたのは、白さだった。 髪か、布か、肌か。灯りに照らされた何もかもが妙に白くて、輪郭が曖昧だった。
「おい」
人影がゆっくり振り向く。
少女だった。
年は、自分とそう変わらないように見える。 けれど、現実感が薄い。整っているというより、月の光を固めて作ったみたいな白さが先に立つ。長い銀白の髪が肩から滑り落ち、地下の薄闇に淡く浮いていた。
少女はレインを見ると、驚きも怯えもなく、ただ静かに首を傾げた。
「……誰」
先にそう言ったのは、向こうだった。
一瞬だけ言葉に詰まる。 幽霊にしては、声が普通すぎた。
「そっちが先だろ。人ん家の墓を漁ってる不審者さん」
「墓地は共同管理区画。個人所有じゃない」
「そういう話してねぇんだよ」
近くで見ると、服も奇妙だった。喪服でも修道服でもない。白を基調にしているのに、汚れやすさを気にした様子がない。王都の娘でも、神官にもみえない。
「……ギルドの依頼だ」
短剣に手をかけたまま言った。
「墓荒らしだの、異常だの、そういう面倒ごとの調査で来た。お前が原因なら話は早いんだけどな」
「違う」
「じゃあ何してる」
「調べてる」
「何を」
「ここ」
それだけ言って、少女は石棺の縁を指先でなぞった。 レインは眉をひそめ、ランタンを近づける。
石の内側に、細い線が刻まれている。偶然ついた傷ではない。見慣れない。 王都の墓碑で使う奉納文でも、職人の記号でもないようだ。
「……なんだこれ」
「削られてる。新しい石棺に見せかけて、痕跡を隠してる。埋葬記録とあわない」
「は?」
「なんでそんなこと知ってる」
「見たから」
「何を」
「上も下も」
話が通じそうで通じない。 だが、支離滅裂という感じでもない。
妙に筋が通っていて、それが余計に腹立たしかった。
少女は石棺を見下ろしたまま続ける。
「この場所、埋葬だけに使われてない」
地下の空気がわずかに冷えた気がした。
「……気味悪ぃ冗談だな」
「冗談じゃない」
少女はようやく立ち上がった。
「ノエル」
「は?」
「名前」
「……今それ聞いてねえんだけど」
「ノエル」
「分かったよ」
レインがそう返した、その時だった。
広間の奥、墓の一つから、こと、と音がした。
蓋が、内側から押されたようにわずかにずれる。
「……おい」
石蓋がもう一度、内側から押される。 硬いもの同士が擦れる音が、耳障りに広間へ響いた。
次の瞬間、白い指が隙間から這い出した。
レインは舌打ちしながら前へ出る。
「――束ねよ、風声。風刃」
風の刃が棚墓の口を走る。 指を裂き、蓋の縁を削る。だが押し返し切れない。蓋がはずれ、乾いた死体が半ば落ちるように姿を現した。
痩せ、というより、乾いている。 皮膚は干からび、関節は糸で吊った人形みたいに一拍ずつ遅れて動く。落ち窪んだ穴の奥で、目の代わりに湿った闇が光った。
「くそ、最悪だっ」
安い調査依頼に化け物退治は含まれていない。
だが、死者はこちらの事情などお構いなしに距離を詰めてくる。
間髪入れずレインは短剣を逆手に持ち替え、小さく息を吸う。
「――纏え。奔れ。雷纏」
青白い稲妻が巻き上がり、両脚、肩、短剣へ絡みつく。
精神が高揚する。筋肉の拍動が早まる。
半歩ずらして爪を躱し、そのまま短剣を首筋に滑り込ませる。乾いた皮膚が裂ける。蹴りで膝を折り、態勢を崩し、掌底で入り口付近の壁へ叩きつける。
死者はまだ動く。
手を伸ばしかけた、その頭を――…ごしゃ、と鈍い音。
鉄球が砕いた。
次いで、靴音。ゆっくりと一定の歩調で近づいてくる。
レインは反射的に短剣を構え直した。 現れたのは、ある意味で最も場違いな存在だった。
白い外套。 灯りを受けて、淡い金の髪が揺れる。顔立ちは柔和だが、その目だけは妙に静かで、墓所の暗がりにも呑まれない。足を止めると、あたりを見回し、少し困ったように微笑んだ。
「……あら。お客さんがたくさん」
「…誰だよ、あんた」
「ラヴィニエです。ラヴィで構いません」
「いや、名前じゃなくて」
「清めに来ました」
……微妙にかみ合わない。
「こんな時間に?」
「夕刻に来る予定だったのですが」
ほんの少しだけ視線を逸らした。
「寝過ごしました」
墓所が静まり返る。 レインは思わず少女を見たが、少女も無表情のままだった。
「ですが、ええ。神の思し召しでしょう。寝坊にも意味は宿ります。来るべき時に来た、とも言えます」
「便利だな、その考え方」
「便利ですよ。信仰というのは、往々にしてそういうものです」
にこやかに言うその口調は柔らかい。だが返しの隙がない。
レインはこの女が苦手な類だと理解した。押しが強い。しかも本人にその自覚が薄そうなのが最悪だ。
女は崩れた遺骸と石棺を見、最後に少女へ視線を止めた。
「……あなた」
少女は何も答えない。
女は柔らかな笑みを崩さないまま、一歩だけ近づいた。
「お名前を伺っても?」
「ノエル」
「そうですか。ノエルさん」
彼女はぱちりと一度瞬きをして、そしてきっぱりと言った。
「駄目です」
「何が」
「夜中の墓地で、うら若き少女が、年頃の男性と死体と戯れている。駄目です。満点で駄目です。おうちにおかえりなさい」
「……帰るところは、ない」
少女は即答した。
「あなたをここで保護します。地上へ戻りましょう」
「戻らない」
「戻ります」
「戻らない」
「戻します」
言い切った。会話が一歩も進まない。
ラヴィは少しだけ目を細めた。
「あなたをこのまま王都警備隊に預けます」
「いや待て」
今度はレインが割り込んだ。
「何でしょう」
「なんでいきなり警備隊なんだ」
「身元不明の少女が、夜の共同墓地の地下で異常な現象に接触しているからです。事案ですよ、これは」
「……まあ、そうかもしれねえけど」
「でしょう。それを私が今ここで保護して、話の通る手順に乗せようとしている。大変に慈悲深い」
ノエルはそのやり取りの間にも、広間の奥――青白い光の差す通路を見ていた。
「行く」
「どこへ?駄目です。危険です」
「奧。知ってる」
「褒められた判断ではありません」
「別に褒められなくていい」
レインは頭を抱えたくなった。
「もういいだろ」
苛立ちを隠さず言った。
「俺はギルドの依頼で来た。帰る。依頼は"異常あり、追加で調査推奨"で投げる。十分だ」
ラヴィがこちらを見る。
「放置ですか?」
「いやな言い方やめろ」
「でも実態に近いですよ」
「……あんた、棘があるな」
「ありがとうございます」
「褒めてねえよ」
ノエルは、もう二人の会話を聞いていなかった。 広間の奥へ向き直り、足を向ける。
レインはそれを見て、思わず叫んだ。
「おい!」
ノエルは振り返らない。
青白い光が、彼女の白い髪にかすかに映る。
その背中を見た瞬間。
――レインの胸の奥で、何かがざらりと逆撫でされた。
細い背中。何かが勝手に開こうとする。
…声。 乾いた匂い。
振り返った時には、もう間に合わなかった。
――またかよ。
レインは歯を食いしばった。
結局、どうやっても忘れられない。考えてどうにかなるものではない。
だが、目の前の後ろ姿が、それを無理やり引きずり出そうとする。
「…」
「どうしました」
「うるせえ」
反射的に返す。レインは乱暴に髪をかき上げ、舌打ちした。
最悪だ。本当に。
帰りたい。関わっても碌なことにならない。
背を向けるのが、一番賢い。賢いはずなのに。
少女の背中が、あの時のまま重なる。
「…一回だけだ」
ラヴィが瞬きをする。
「何がです?」
「同行だよ。理由はわからんが、一人で行かせる訳にもいかねぇだろ」
ラヴィは少しだけ笑って、ノエルに向かって声をかけた。
「ノエルさん。あなたを一人で行かせるつもりはありません」
ノエルは足を止めたが、振り返らない。
「来るの」
「ええ」
「警備隊は」
「あとです」
「諦めてない」
「当然です。見つけてしまった以上、“では、ごきげんよう”で帰るのはさすがに信仰以前の問題です」
ノエルが少しだけ振り返り
「面倒」
とだけ言った。
「……それに、あの先にはおかしな気配が漂っています。尚更一人では駄目です」
普通のまともな感覚の言葉だった。
地下の奥、得体の知れない場所へ少女を一人で行かせる大人はいない。
そういう話だ。
ノエルはしばらくラヴィを見ていたが、やがて小さく言った。
「……勝手に来るなら止めない」
「ありがとうございます。では、勝手についていきます。三人で行きましょう」
「勝手に決めるな」
「お一人でお帰りになりますか?」
その問いに、レインは口をつぐんだ。
帰れるなら帰りたい。今すぐ帰って寝たい。
依頼金だけ受け取って、全部誰かに押しつけたい。
だが、結局。
ここで背を向けたところで、きっと後から嫌な夢を見る…
レインは深く息を吐いた。
ラヴィは満足そうに頷き、自分の持っていた小さな燭台めいた器具に指を触れた。柔らかな、金に近い灯りが薄く広がる。
「では、改めて」
ラヴィが静かに言う。
「行きましょう。神の思し召しを確かめる必要があります」
三人は、広間の奥の細い通路へ向かった。
通路は狭く、空気がさらに冷えていた。
やがて、通路の先から
―や―ぁつ―。
―いや―。
声のようなものが混じり始める。
「……何だ」
ノエルは答えない。
ラヴィが小さく言う。
「風の反響ではありませんね」
「だよな」
沈黙が流れる。
通路の先で、青白い光が輪郭を増していく。 まだ形は分からないが、ただの灯りではないことだけは、もう分かる。
その時。
ほんの一瞬だけ、はっきりした音が混じった。
――おばあ、ちゃん。
レインの足が止まる。
ノエルは前を見たまま、小さく言った。
「いた」
その一言で、通路の先の闇が、急に現実味を帯びた。
三人は、青白い光の方へ歩き出す。




