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EP3.知る者は言わず言う者は知らず 第12話 リグレツィア

煙の向こうに見えた光景に、レインは息を呑んだ。

 中央部は、一段低くなっていた。

 外周や東側よりも床が落ち、数段の石段の先に半地下めいた広い空間が開けている。天井は半分ほど崩れていて、そこから差し込む白い光と、舞い上がった砂埃が混ざり合っていた。床の中央だけ、周囲と色が違う。暗い色の石材が円形に広がり、その表面には擦り切れた幾何学模様が、まだ消えきらずに残っている。

 その中心の手前で、テスラ隊が崩れていた。

ひとりは石段の縁まで転がされ、肩から先がだらりと不自然に垂れている。もうひとりは床へ叩きつけられた衝撃で呼吸がうまくできないらしく、喉を押さえたままうめいていた。ロッカは壁際に投げ出され、耳から細く血を流している。それでも意識だけは繋いでいるらしく、何とか立ち上がろうとしている。 

そして、その中心で。

 テスラが片膝をついていた。

 剣を杖のように床へ突き、どうにか上体を支えている。鎧の表面は焼け、肩口には裂けた布越しに赤黒い火傷が覗いていた。胸元の金具はひしゃげ、頬にも浅く焦げたような痕が走っている。

 目の前の中空に、オレンジ色の光が揺れる。

 次の瞬間、半歩遅れて爆ぜる。

 鈍い衝撃が中央部を叩き、石片が跳ねる。ロッカのすぐ横の床がえぐれ、熱と砂埃が弾けた。

「……っ!」

 ロッカが反射的に顔を庇う。

 レインは飛び込むように一段降りた。

「テスラ!」

 テスラがゆっくり顔を上げる。

「……レインか」

 掠れた声だった。だが、その一言だけは妙にはっきりしていた。

「何があった」

 レインが踏み込む。

 テスラは答えようとして、咳き込んだ。吐いた血が、石床へ落ちる。

「……見たこと、ないもんが」

 それだけだった。

テスラは王都でも屈指のベテランだ。A級に恥じない経験と、それに裏打ちされた戦闘技術を有している。それを、ここまで…

 その意味を噛み砕く前に、レインはその先を見た。

 半地下空間の奥。

 中央の円形床のそばに、少女が立っていた。いや、足が地についているはずなのに、重さが見えない。背筋を伸ばし、崩れた天井から落ちる光の中で、まるで自分の居場所にでもいるみたいに自然な顔をしている。オレンジの髪に、内側へ差した赤。アンバーの瞳が、こちらをゆっくりと見返してきた。

「あら」

 少女が言う。

「また来ましたの。今日は賑やかですわね」

 その声だけが、場違いに上品だった。

 少女は足元のテスラ隊を一瞥する。

「こちらの方々、思ったより脆かったですわ。ごめんなさいね」

 まったく悪びれていない。

 その瞬間、レインの中で何かが切れた。

 血の気が引く。

 その直後に、逆流するように熱がくる。

 短剣を抜く音が、自分でもやけに大きく聞こえた。

「テメェ」

 少女が小さく首を傾げる。愛嬌さえ感じるしぐさだ。

「あら」

「何をした」

「遊んでいましたの。ただそれだけですわ」

 その答えが、火に油を注ぐ。

 レインは踏み込んだ。

「なめるな!…雷纏!!」

 雷が走る。

 踏み込みと同時に短剣を振るう。最短で急所を突く軌道だった。だが当たらない。

 少女は一歩だけ横へずれた。

 避けたというより、最初からそこにいなかったみたいな動きだった。切っ先は空を裂き、遅れて走った雷だけが彼女の髪を揺らす。

「まあ、お疾いこと」

 レインは二撃目へ繋ぐ。

 今度は風刃を先に走らせた。

 少女は片手を上げる。指先にオレンジの光が灯る。次の瞬間、風が爆ぜた。空中でぶつかり合った力が小さな爆発になって散る。

「あぶないじゃない!」

 フィアが帽子を押さえながら叫ぶ。

「そっちが言いますの?」

 少女はくすりと笑った。

 セシルの光が横から走る。

「下がれ!照らせ。光刃ルクス・グラディウス

 正統派の光術。規定通りの速さと精度を持った、まっすぐな一撃。だが少女はまた手首を返すだけで、その光を浅く流した。

「あら、光ですの」

 少女が目を細める。

「少し眩しいですわね。」

 セシルの眉が寄る。

「なっ!……、そらされた?」

「わたくしを照らすには、この程度の光ではたりませんわ」

 その足元へ、今度は氷が走った。

 ノエルだ。

 半地下の床を薄く這うように氷が広がり、少女の足首を狙って噛みつく。

「あら」

 今度は、ほんの少しだけ反応が遅れた。

 片足が床へ縫い止められかける。その隙にレインが踏み込むが、オレンジの光が一瞬膨らみ、氷ごと地面を弾いた。氷片と石片が飛び散る。

 フィアの光彩が輝きを増す。

 複数の残像が空間の縁に散る。左、右、背後。視界をかき乱すように。

「へえ」

 少女が初めて、少しだけ面倒そうな顔をした。

「あなた…」

少女が何か言いかけた。と、同時に炎の矢が少女を襲った。

「…勘違いかしら」

少女はまるで踊るようなしぐさで身をひるがえし、あろうことか素手で炎の矢をいなしてしまった。

ラヴィニエはそこで迷わず戦線を外れた。

 中央を一度だけ見て、それから視線を切る。崩れているテスラ隊の方へ膝をついた。

「テスラさん、動かないでください」

「…かまうな」

「満たせ、光よ。祝福ベネディクティオ

 ラヴィニエの掌に白い燐光が灯る。

 治癒術式だ。今この場で前へ出るより、生きている者の呼吸を戻す方を優先している。

 レインは横目でそれを見た。

「ラヴィニエ!」

「今、わたしが前へ出るより、生きている方を繋ぐ方が先です」

 ラヴィニエは短く言う。

「生きている人を繋ぎます」

 それは彼女らしい決断だった。

 その間にも、少女の指先からまたオレンジの光が膨らむ。

「散れ!」

 レインが叫ぶ。

 次の瞬間、中央部の端が爆ぜた。

 大味な力の塊が、逃げ遅れたテスラ隊のすぐ横で破裂する。床石が砕け、熱風が抜ける。

「くそっ……!」

 レインは間合いを詰めて、少女の意識を自分へ向けるように切り込んだ。

 少女は笑っている。場面さえ違えば優雅に映るだろう。

「そんなに怒らなくてもよろしいでしょうに」

「だまれ!」

「血の気が多いですわね、うつくしくありませんわ。」

 そのやり取りに重なるように、背後から新しい足音が響いた。

 重い。速い。迷いがない。

 バルドたちだ。続いてファウも見える。西側と外周を回っていた面々が、爆発音を聞いて駆けつけてきたのだろう。

 バルドは中央部へ降りるなり、周囲を一瞬で見渡した。

 テスラ隊の崩れ方。ラヴィニエの処置。こちらの戦線。少女の位置。

 それだけで大体を理解したらしい。

「……ひどいな」

 低く言う。

 レインが振り向きもせず叫ぶ。

「バルド!テスラたち連れて下がれ!」

 バルドが顔を上げる。

「お前らは」

「こっちで引きつける! その間に逃がせ!」

 一瞬だけ、躊躇い。

 だが長くはなかった。バルドは状況判断の速い男だ。

「……分かった!」

 ファウもすでに動いていた。

 戦闘に目を奪われながらも、崩れている者の呼吸と損傷の位置を確認し、支えられる者から順に上へ流していく。

 クロウとマルカも中へ入ってくる。セシルの部下たちが、テスラ隊の搬送へ回る。

 その時、テスラがかすれた声で言った。

「レイン」

 レインは短剣を構えたまま、目だけでそちらを見る。

「なんだ」

「…死ぬな」

 レインは舌打ちした。

「…あぁっ!」

 テスラはそれ以上何も言わなかった。気を失ったようだ。

  バルドたちが、負傷者を支えながら石段を上がっていく。ラヴィニエも最後のひとりへ術式をかけ終え、呼吸が落ち着いたのを確認してから立ち上がる。

「下がらせます!」

 セシルが叫ぶ。

 少女は、その様子を一瞥する。

 レインが一歩前へ出る。

「やさしいことですのね。でも、わたくし壊れたおもちゃに興味はなくてよ?」

 レインは低く返す。

「お前が鬱陶しいだけだ」

「それは光栄ですわ」

フィア、ノエルが詠唱をはじめ、セシルとレインは少女を前後からはさみ打つ。

爆発音と光、氷と炎、剣線が入り乱れた。

 その間に、撤収は少しずつ進んでいく。

 負傷者が上へ。

 支援役が後退。


ラヴィニエは最後の重傷者が運ばれるのを見届けてから、こちらへ合流した。

 やがて、この空間に残るのはレインたちだけになった。

 周囲が急に広く感じる。

 レインはいったん距離を取り、短剣を構え直し、少女を睨む。

息を整えつつ、聞く。

「おい」

 少女は動きを止めた。

「…なんですの?」

「お前一体何者だ。なんでこんなことを」

 一拍。

 少女は目を細め、くすっと笑った。

「お答えする義務がありまして?」

 その言い方が、また神経を逆撫でする。

 だが次の瞬間、彼女は片手を胸元へ当てて、妙に上品に口角をあげた。

「……まあ、嗜みを欠くのもいけませんわね」

 アンバーの瞳が、まっすぐレインを見る。

「私はリグレツィア」

「覚えていただく必要はないですわ。」

 オレンジの光が、彼女の指先にまた灯る。

「どうせ、すぐに動かなくなりますから」

 半地下の空気が、ひとつ冷えた。

 レインは笑わなかった。

 笑えるわけがない。

 ただ、短剣を握る手だけが、さっきより静かに固まっていた。


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