EP3.知る者は言わず言う者は知らず 第11話 セプテム遺跡
王都の外れを抜ける頃には、誰もあまり喋らなくなっていた。
前日の大会議室では、あれだけ人がいた。
テスラ隊、バルド隊、ファウ、レイン、フィア、ノエル、ラヴィニエ、そして聖騎士団側のセシル。危険度不明、教会からの正式依頼、複数戦力同時投入。しかも発見したパーティには報酬上乗せつき。そういう条件だけ見れば、普段より人が浮き足立っていてもおかしくない案件だった。
だが実際には逆だった。
むしろ全員、静かだった。
廃墟へ向かう細道に入ったあたりから、その静けさはさらに濃くなる。草の擦れる音も、靴底で土を踏む音も、どこか一枚薄い布を挟んだ向こう側みたいに聞こえる。
ただの古代遺跡ではない。
そういう確信だけが、まだ姿の見えない何かより先に全員の中へ入っていた。
最初に足を止めたのは、ノエルだった。
「……魔素の流れが、おかしい」
レインが眉を寄せる。
「どうおかしいんだ」
「溜まってる」
「何が」
「流れ」
短い。いつも通りだ。
だが今日は、その短さが妙に嫌だった。
ノエルは少しだけ目を細めた。
「でも、溜まってる場所がある」
「場所が特定できるのか」
「たぶん」
「たぶんで遺跡歩くなよ」
「でも、たぶん」
その横で、フィアが帽子のつばを押さえた。
普段より軽口が少ない。ふざける余裕がない、というより、気を抜くと何かを聞き逃しそうな顔だった。
「…精霊召喚」
「精霊がざわついてる」
レインがそちらを見る。
「何に反応してる」
「分からない。でも、変な感じ」
小声でつぶやいた後フィアはその場で目を閉じ、意識を散らすように周囲へ感覚を広げた。だが次の瞬間、露骨に顔をしかめる。
「……だめ」
「何がだ」
「うまく読めない」
フィアはゆっくり目を開いた。
「いつもなら、風とか熱とか、人の出入りとか、そういうのがもう少し噛み合うのに。今日は全部、少しずつずれてる。磁石が狂ってる感じ」
ラヴィニエが廃墟の方角を見たまま言う。
「わたしも似たようなものですね」「感覚が違います。曖昧で…流れているような、とどまっているような」
その言い方に、フィアがちらりとラヴィニエを見た。
「分かるの?」
「違和感としては」
「便利じゃん、聖職者」
「不便ですよ。こういう時に曖昧なままですから」
レインは嫌そうに鼻を鳴らした。
「結局、お前ら二人とも“よく分かんねえけど変だ”って言ってるだけじゃねえか」
「乱暴にまとめないでください」
「ほぼ合ってる」
ノエルだけは、そのやり取りの最中も迷いがなかった。
獣道を外れ、草の倒れ方も不自然な斜面をまっすぐ登っていく。崩れた垣の切れ目も、半ば埋もれたなにかにも、ためらわない。
フィアが目を細める。
「なんでそっちなの」
「なんとなく、引っ張られてる」
レインが顔をしかめる。
「その説明でついてこいって言われる側の気持ち、考えたことあるか」
「ない」
「だろうな」
ラヴィニエが小さく笑う。
「でも、今はノエルさんが一番頼りになりますね」
やがて、木立の向こうに廃墟が見えた。
石造りの建物の骨格だけが残っている。天井は大半が崩落し、壁と柱だけが歪んだまま立っていた。王都の建物より、妙に天井が高い。柱も太い。交易拠点にしては大げさすぎる、そんな印象が最初に来る。
近づくほどに、違和感は増した。
外周は普通の廃墟だ。苔が生え、草が伸び、木材は朽ちている。
なのに、壁の下部だけは妙に汚れていない。床石の一部は、今崩れたばかりみたいに輪郭を残している。
入口付近には、すでに何人も集まっていた。
最初にこちらへ気づいたのはテスラだ。崩れた門柱に背を預け、腕を組んでいる。
「遅い」
開口一番がそれだった。
「同じくらいだろ」
レインが即座に返す。
「俺たちの方が早かった」
「それが何か関係あるのか」
「ない」
「じゃあ言うな」
テスラは鼻で笑った。
笑ったのか、ただの癖か、分からない程度だった。
その近くで、バルドが壁を拳で軽く叩く。
「……まだ、いける」
なにをたしかめようとしているのか、全くわからない。
ファウは手帳を開きながらロッカと何か話している。
「良い廃墟ですね、非常に趣がある」
ロッカは小さく頷く。
「想定内です」
「何がです?」
「嫌な感じがすることです」
「…」
会話が微妙にかみ合っていない。
正面の門柱の影から、セシルが歩み出る。脇には同じ聖騎士のクロウとマルカ。何度も尋問を受けた仲だ。すでに入口周辺の確認を終えているらしく、三人とも緩みがない。
「来ましたね」
「お前は早いな」
レインが言うと、セシルは一拍も置かずに返した。
「規定です。聖騎士の職務は起床したときに始まっているのです」
「相変わらず堅いね」
セシルはフィアを見る。
「頼りにしています」
フィアが少しだけ目を丸くした。
「……素直に言うじゃん」
「事実ですので」
ラヴィニエが穏やかに笑みを浮かべている。
「セシルさんもおかわりないようで」
ひとしきり挨拶を交わす。
危険度不明。
複数戦力投入。
発見者には追加報酬。
依頼の条件は、ギルドの大会議室で聞いた通りだ。だからこそ、ここから先は誰がどこを踏むかで意味が変わる。
最初に口を開いたのはテスラだった。
「ここで分ける」
地図を広げる。崩れた外周、残存通路、半ば埋もれた中間区画、そして最奥。中心部らしき位置は、おおよそ見当がついていた。
「中央、東、西」
短く区切って言う。
「中央は俺たちがもらう」
レインがすぐに顔を上げる。
「もらう?」
「ああ」
テスラは視線を動かさない。
「お前らは東を見ろ」
「こいつらの発言からして、何かあるなら中央だ」
「だからだ」
その返しが、妙に癇に障った。
「独り占めする気かよ」
一瞬だけ、間。
テスラはほんのわずかに視線を外してから、面倒そうに言った。
「そうだ。なんたって、発見したパーティの報酬は上乗せされる」
空気が少しだけ冷える。
事実ではある。
だが、この場でそれを言うあたりが、露骨だった。
「……」
レインは何も言わない。ただ、不満そうな視線をテスラに向ける。
テスラは続けた。
「なんだ?指示に従え。俺らはA級――お前は?」
完全に突き放した物言いだった。
フィアが小さく息を吐く。
「感じ悪い」
「…いつものことだろ」
レインが低く返す。
ノエルが静かに口を開く。
「中央の方から、引っ張られてる感じがする」
テスラがそちらを見た。
「それが理由になると思ってるのか」
「わたしには、それしかない」
「曖昧だな」
「でも、フィアの索敵も、ラヴィの感知も、ここでは狂ってる。わたしだけ分かる」
セシルが一歩前へ出た。
「彼女の能力については礼拝堂事案で確認しています。否定する根拠は持っていません」
テスラは少しだけ考える。
だが、その答えは変わらなかった。
「東を見ろ」
レインが舌打ちする。
「中央は何かある。ノエルもそう言ってる。それでもこっちを回せって?」
「そうだ」
テスラはあっさり頷いた。
「中央は俺たちが押さえる。お前らは東だ。東が空振りなら、その時はその時だ」
「ふざけんな」
「ふざけてねえ」
低い声だった。
だが、それ以上は言わない。
言わないまま、決めた配置だけを押し通す。
それが余計に腹立たしかった。
バルド隊は西へ。ファウは外周と刻印の確認。セシルは入口と封鎖区画の管理。レインたちは東側ルート。そう決まってしまう。
ノエルはまだ中央を見ている。
フィアも不満そうに帽子のつばを押さえた。
テスラはそれ以上何も言わず、隊を率いて正面から中へ入っていった。
「想定内です」
ロッカたちがそれに続いて動く。
レインはその背を、睨むみたいに見送った。
「……ほんと、気に食わねえな」
フィアが肩を竦める。
「行こ。東側。指示無視しても面倒だし」
「分かってる」
レインは吐き捨てるように言って、東側通路へ足を向けた。
東側は、正面より保存状態が良かった。
壁は崩れている。天井も半ば抜けている。
それでも、床石だけは妙に均一だった。継ぎ目が少ない。傷の入り方も自然ではない。古いのに、古さの出方が噛み合っていない。
フィアがしゃがみ込み、床へ触れる。
「……なんか、違う」
「何が」
「感触。足音が少し吸い込まれる感じ」
レインが軽く踵で床を鳴らす。
確かに、妙だ。石の音が返るのに、最後の余韻だけが消えている。
ラヴィニエが壁面に刻まれた痕を見上げる。
「文字でしょうか」
「読める?」
フィアが訊く。
「いえ。読める以前に、削れていて断片です」
フィアも壁に顔を寄せた。
「精霊が拾ってくる音はある。……セプ、テム? みたいな、変な断片。でも意味にならない」
「旧文明の言葉か」
レインが言うと、フィアは曖昧に肩を竦めた。
「たぶん。こういう古いの、たまに残ってるし」
ノエルは、壁も床も見ていなかった。
もっと奥。もっと先。
ずっと同じ方向を見ている。
「ここは、何も感じないかも」
ノエルが言う。
レインが振り向く。
ラヴィニエは少しだけ目を細めた。
「原因が中央にあるとするなら、当然かもしれません。でも、こんなに…広範囲に作用するものでしょうか」
レインは歯を噛んだ。
やっぱり中央が臭い。
そう思うほどに、さっきのテスラの言い方が思い出されて苛立つ。
「……あの野郎」
その時だった。
廃墟の奥――中央方向から、爆発音が響いた。
一回ではない。
続けて二度。
少し遅れて、もう一発。
石が崩れる音。何か大きなものが落ちる音。
そして、急に何も聞こえなくなった。
レインは顔を上げる。
「中央だ」
ノエルはもう走り出していた。
フィアが帽子を押さえながら舌打ちする。
「だから言ったじゃん」
ラヴィニエの声が低くなる。
「急ぎましょう」
レインは返事の代わりに駆け出した。
東側通路を蹴り、崩れた回廊を横切り、中央へ向かう。
ノエルが最短を取るみたいに迷わず曲がる。フィアがその後ろで足場を見切り、ラヴィニエが裾も気にせず、続く。
…………この場所が何であるかを、世界で正確に知る者はほとんどいない。




