EP3.知る者は言わず言う者は知らず 第10話 依頼
その朝、ギルドは妙に静かだった。
静か、というより、全員が何かに備えて息を潜めているような空気だった。
受付に立つヴェネッサが、依頼の受諾をする際にいつもの「本当に依頼受けますか」と言わない。珍事だった。あの女は、依頼を持ってきた人間にも、依頼を受ける冒険者にも、だいたい同じ顔で「後悔しませんか?三回くらい考えましたか?」と返す。なのに今日は、帳簿から目を上げて一度だけ頷いただけだった。
その奥では、掲示板管理のミリオが、長椅子をずるずると引きずっていた。普段なら掲示板前の動線が一寸でも乱れると死人が出たみたいな顔をする老人が、今日は自分から空間を広げている。
嫌な予感しかしない。
「朝から不穏だな……」
報告書を片手に呟いたところで、背後から声がかかった。
「少しよろしいですか」
振り向くと、副支部長エリスがいた。細い銀縁眼鏡の奥の目が、いつも以上に疲れている。レインは書類を抱えていない場面を見たことがないが、今日もまた大量の書類を抱えていた。
彼女は一度だけ眼鏡を外して目頭を押さえた。ギルドの実質的な頭脳。判断が速く、正確で、感情的にならないが限界が顔に出る。
疲れているときは眼鏡を触る癖がある。
一回目だ、とレインは思った。
今日はたぶん多いんだろう。
「今日は、少し特別な案件があります」
「その言い方で特別だった試しがないんだが」
「確認します。あなたの人生で、まともな案件が何件ありましたか」
「喧嘩売ってるよな、それ」
「売っていません。事実確認です」
売っているのと大差ない声色で言ってから、エリスは踵を返した。
「大会議室へ。支部長も出ます」
その一言で、レインはさっきまでの嫌な予感を静かに訂正した。
嫌な予感ではない。嫌な確信だ。
*
ギルドの大会議室は、滅多に使われない。
使われない理由は単純で、そこまで人を集める依頼自体が珍しいからだ。
扉を開けると、もう何人も集まっていた。
「お前、廃礼拝堂の件に関わってたな」
レインに声をかけたのは、壁際で腕を組んでいるテスラだ。王都でも指折りの古参で、毎年引退すると言っては撤回している男である。今日は最初から「またろくでもない案件か」という顔をしていた。いつもしている顔と大差なかった。
「なんで知ってる」
「あいかわらず、ふてぶてしいな。その話、ギルドで知らない奴はいない」
テスラが仏頂面で付け加える。
「ろくでもない案件ばかり拾うな」
「お前に言われたくない」
「…そうだな」
と答えて、テスラは黙った。
続いて、ロッカが緊張した面持ちで入ってくる。ギルド最弱と呼ばれる新人だが、本人は失敗するたびに「想定内でした」と言い張る、よく分からない胆力の持ち主だ。
「……これは」
何も起きていないのに、ロッカが小さく頷いた。
「想定内です」
「何がだよ」
「空気が張っていることです」
「…それは俺も想定内だ」
部屋の中央では、バルドが床を踏みしめていた。依頼説明前だというのに、鍛錬みたいな呼吸をしている。横ではファウが手帳に何かを書きつけていた。まだ説明も始まっていないのに、何を記録することがあるのか分からない。
そして、部屋の隅。小柄な影が、こちらを見た。
「なんでレインがいるの」
「それ、こっちの台詞なんだが」
フィアは少し眉を上げた。
「なんでフィーがいるの、って聞きたい顔してる」
「……まあいい」
まあよくないが、ここで言い合っても仕方がない。フィアが正規のギルド依頼に呼ばれるのは、少なくとも珍しい。向こうもそう思っている顔だった。
その時、室内の空気が少しだけ締まった。
グラッドが入ってきたのだ。
ギルド支部長。実質的にこの支部を仕切っているくせに、普段は「ふむ」で大半を済ませる大男である。部屋の視線が一度に集まり、全員の背筋がほんのわずかに伸びる。
グラッドは集まった顔ぶれを一瞥して、
「ふむ」
と言った。いつも通りだった。
隣に並んだエリスが書類を広げ、眼鏡をかけ直す。
「では、説明します」
その声で、室内のざわめきが消えた。
「王都近郊の廃墟地帯にて、旧文明由来と思われる遺物が発見されました。教会から正式な依頼として、調査および安全な回収が入っています」
旧文明。遺物。
その二つの単語が並んだ瞬間、レインは隣のフィアがわずかに姿勢を変えたのに気づいた。
「依頼の性質上、単独パーティでの対処は危険と判断しました。よって今回は複数戦力を同時投入します」
「依頼者は?」
誰ともなく言った声に、エリスは頷く。
「依頼者個人の詳細は開示されません」
「珍しいな」
レインが口を挟むと、エリスは二度目の眼鏡外しを挟んでから答えた。
「そうですね。ただし」
眼鏡を戻す。
「報酬は通常の三倍、遺物を発見したパーティにはさらに上乗せします」
それまで興味なさそうだったバルドが顔を上げた。
「やるぞ」
「最後まで聞け」
テスラが呆れたように言う。
だがファウも同じように手帳から顔を上げていた。術式オタクと筋肉原理主義者が同じ温度で食いついているのが、怖い。
「選抜は以下の通りです。テスラ隊、バルド隊、ファウ個人。それから――レイン個人、フィア個人」
「は?」
思わず声が出たのは、レインとフィアでほぼ同時だった。
「なんで俺が個人指名なんだ」
「なんでフィーが個人指名なの」
「下町での実績と、異常事案への対応経験を評価しています」
エリスはさらりと言った。
「腕は認めています」
「珍しいな」
「珍しくありません。ただし、扱いにくいという評価も同時にしています」
「褒めてねえよな、それ」
「褒めています。ただし条件付きで」
レインが顔をしかめる横で、フィアが片眉を上げる。
「フィーは?」
「情報収集と索敵能力を評価しての指名です。加えて」
エリスが、ほんの少しだけ間を置いた。
「ガッツさんからの推薦もあります」
フィアの目がわずかに細くなる。
「あの親父、余計なことを」
「余計ではありません。参考にしました」
「勝手に」
「推薦はだいたい勝手に行われます」
そのまま言い返されて、フィアは口をへの字に曲げた。
説明は続いた。廃墟の位置、周辺で観測されている魔素の乱れ、通常の探索より危険度が高いこと。遺物の性質は不明。依頼者側も詳細を把握していないらしいこと。
「不明、というのは」
レインが聞く。
「依頼者側も分かっていないようです」
「それで依頼してくるのか」
「報酬が三倍の理由はそこにあります」
ファウが手帳を閉じた。
「遺物がどんなものか、想定されていますか」
「不明です」
「全部不明ですね」
「そうですね」
「面白いですね」
「危ないから調査が必要なんですよ」
エリスの声が、少しだけ硬くなる。
「確認しました」
室内の何人かがわずかに視線を逸らした。怒っている時のやつだ。
その時だった。
部屋の隅から、小さな声が落ちた。
「行く」
全員の視線がそこへ集まる。
ノエルが立っていた。
いつの間にそこにいたのか分からないくらい自然に、けれど最初からそこにいたような顔で。
「あなたは指名リストに入っていませんが」
エリスが確認する。
「行く」
「理由は」
ノエルは少しだけ考えて、
「なんとなく」
と言った。
静寂が落ちた。
エリスが三度目の眼鏡外しをする。
室内の空気が微妙に耐えきれないものになる。
だがその前に、グラッドが口を開いた。
「ふむ」
それだけだった。
エリスは支部長の顔を見た。グラッドはそれ以上何も言わない。肯定なのか放置なのか、たぶん両方だった。
数秒だけ沈黙し、やがてエリスが書類に何かを書き込む。
「……一名追加で申請します」
「それでいいのか」
レインが言うと、エリスはペン先を止めたまま答えた。
「私も、なんとなくこの案件には必要だと思いましたので」
今度こそ、本当に部屋が静まった。
ロッカが小さく呟く。
「想定外です」
今回のお前のその反応だけは理解できる、とレインは思った。
*
説明が一段落した頃、会議室の扉が再び開いた。
柔らかな足音とともに、白を基調にした衣を纏った女が入ってくる。
「あら。あなた方も」
ラヴィニエだった。
レインは半眼になった。
「また神の思し召しか」
「今回は教会からの正式な派遣ですよ」
「珍しく合法的だな」
「いつも合法です」
「そうだったか」
「……大体は」
そこは濁すのか、と思う間もなく、フィアがラヴィニエを見た。
「また会いましたわね」
「フィーって言った」
「失礼しました。フィーさんですね」
「フィーでいい」
「フィーさんですね」
フィアの口がますます不機嫌に曲がる。
ラヴィニエはにこやかなままだった。相性が悪いのか、良いのか、まだ判別がつかない。
エリスが書類をめくりながら補足する。
「なお、この廃墟地帯は一部が封鎖区画に指定されています。聖騎士団からも別途、調査担当者が派遣される予定です」
「誰だ」
レインが聞く。
エリスは一枚を確認し、その名前を読み上げた。
「セシル・アンヴァル聖騎士団員です」
レインは天井を仰いだ。
ラヴィニエが穏やかに言う。
「神の思し召しですね」
「それを言うな」
フィアが肩をすくめる。
「なにこれ、腐れ縁?」
レインは低く言った。
「…集まってきてる感じがするな」
ノエルが静かに続ける。
「なんとなく、また会う気がした」
「お前は最初から確信してたのか」
「なんとなく」
「予言かよ、その言葉」
「うん」
うんじゃないんだが、と言い返す気力が少し削がれた。
*
会議が解散すると、室内は一気にざわめいた。
バルドはその場で肩を回しているし、ファウはもう何ページ目か分からない手帳に「遺物」「不明」「高報酬」「面白い」と書き連ねている。テスラは疲れた顔で「また引退が遠のいた」と呟いていた。
レインたちも廊下へ出る。
「で、お前は本当になんでここにいるんだ」
歩きながらレインが言うと、フィアは帽子のつばを指で弾いた。
「ガッツが推薦したんでしょ」
「それより前だ。なんで下町から外の案件に首突っ込む気になった」
フィアは少しだけ黙った。
ほんの一歩ぶんだけ、足音がずれる。
「旧文明が絡んでるって聞いたから」
「旧文明?それだけか」
「それだけ」
それ以上は言わない声だった。
レインも追及しなかった。ここで無理に聞き出しても、たぶん意味がない。
二人の間を、ノエルが静かに歩いていた。
そして、ぽつりと言う。
「廃墟、行ったことがある気がする」
レインが眉を寄せる。
「どこで」
「分からない。でも、知ってる感じがする」
「また、なんとなく、か」
「うん」
少しだけ考え、レインは吐き捨てるように言った。
「……行ってみれば分かる、か」
「たぶん」
背後から、軽い足音が追いついてくる。
「あの、わたしも同行ですよ」
ラヴィニエだった。
「知ってる」
「一言もなく置いていこうとしていましたよね」
「してない」
「していましたよ」
レインは一度だけ舌打ちし、肩越しに言う。
「……まあいい。来い」
ラヴィニエが、少しだけ楽しそうに笑った。
「神の思し召しですね」
「黙れ」
そのやり取りを聞きながら、ノエルは前を見たまま小さく瞬きをした。
ギルドの出口の向こう、王都の空は晴れていた。
なのに、どこか遠くで、まだ誰も見ていない何かがこちらを見返しているような気配だけが、かすかにあった。
大口の依頼、という言葉にしては、少し静かすぎる朝だった。
たぶん本当に厄介なのは、金額でも規模でもない。
あの廃墟に、何かがある。
それを知っているのは、たぶんノエルだけだった。
そして、知りたくないのに向かっていくのは、たぶん自分たちだ。
レインは扉を押し開ける。
光の中へ、四人の影が伸びた。
次の面倒事は、もう始まっているのかもしれない。




