番外編2 誰も知らない、スープの薄め方
壊れた錠前亭のスープは、今日も薄かった。
レインは匙で皿の底をかき混ぜながら、深刻な顔で言った。
「……水だな」
向かいのノエルが、同じように匙を沈める。
「水ではない」
「そうか?」
「うっすら、何かがいる」
「それはスープの感想じゃねえ。心霊現象だ」
ノエルは皿をじっと見る。
「残滓」
「スープに残滓を感じるな」
そこへラヴィニエが、当然のように同席した。
「食前の祈りをしましょうか」
「いらねえ」
「このスープには必要です」
「どういう意味だ」
ラヴィは皿を見つめ、静かに目を伏せた。
「主よ。この薄き恵みに、意味を」
「祈りで味を足すな」
「では塩を」
「最初からそうしろ」
その瞬間、扉が開き、フィアが入ってきた。
「やっほー。なに食べてんの?」
「水」
「残滓」
「祈り」
全員の答えがばらばらだった。
フィアは一瞬黙り、皿を覗き込む。
「……これ、店で出していい濃度?」
厨房からガッツの声が飛んだ。
「聞こえてるぞ」
フィアはにっこり笑った。
「聞こえるように言った」
「いい度胸だ」
ガッツが厨房から出てくる。
手には調味料の瓶。
「足せ」
「え、店側が客に完成させる方式?」
「うちは参加型だ」
「料理で冒険者ギルドみたいなことすんな」
ノエルが胡椒を一振りした。
そして、目を細める。
「……強くなった」
レインが皿を見る。
「スープが?」
「うん」
「何と戦ってんだよ」
ラヴィが真顔で言った。
「薄さです」
「お前は黙ってろ」
その時、店の扉がまた開いた。
セシルだった。
きっちりした姿勢で入ってきて、全員を見回す。
「皆さん、こちらにいらしたのですね」
レインが嫌そうに顔を上げる。
「今度は何だ」
「定期確認です。先日の遺跡事案について、追加で聞き取りを――」
セシルはそこで、卓上のスープを見た。
沈黙。
「……これは?」
「水」
「スープ」
「残滓」
「祈り」
「参加型」
セシルはゆっくり目を閉じた。
「質問を変えます。これは食品ですか」
ガッツが低く言う。
「喧嘩売ってんのか」
セシルは真面目な顔で答えた。
「食品衛生上の確認です」
「もっと喧嘩売ってるな」
フィアが腹を抱えて笑い始める。
ラヴィがそっとセシルに皿を差し出した。
「一口どうぞ」
「職務中ですので」
「大丈夫です。これは食事というより試練です」
「なおさら職務中に受けるものではありません」
ノエルがぽつりと言う。
「逃げた」
セシルの眉がぴくりと動いた。
「逃げてはいません。合理的に回避しました」
「逃げた」
「回避です」
「逃げた」
「回避です」
レインが頭を抱えた。
「スープを前にして聖騎士が追い詰められてる……」
結局、セシルは一口飲んだ。
そして、丁寧に匙を置いた。
「……規定にありません」
「味の感想を規定に求めるな」
セシルは真顔で続けた。
「ただ、報告書に書くなら“栄養素の所在が不明瞭”です」
ガッツが厨房で静かに包丁を置いた。
レインは立ち上がった。
「逃げるぞ」
「回避?」
ノエルが聞く。
「回避だ」
セシルが即座に訂正する。
「それは逃走です」
「うるせえ!」
ラヴィは皿に向かって、もう一度祈った。
「主よ。この店に味を」
厨房からガッツの怒声が飛んだ。
「全員、出禁にするぞ!」
フィアが笑いながら言った。
「でもガッツ、明日も来るよ」
ノエルも頷く。
「うん。少し、好き」
ガッツは一瞬黙った。
それから、ぶっきらぼうにパンを追加で置いた。
「……食え」
レインは小さく笑った。
「結局、優しいんだよな」
「黙って食え」
ラヴィが穏やかに微笑む。
「神の思し召しですね」
ガッツは真顔で言った。
「次それ言ったら塩抜くぞ」
レインは皿を見た。
「これ以上抜くものあんのか?」
店内が、今日一番静かになった。




