28話 秘密
「明日にはお返事を聞かせてくださいねオリビア卿」
最後にセレナはそう言い残して立ち上がる。
セレナとリリムが去った応接間には、ダレルとクレア、そしてネルが居残っていた。
扉が閉められたと同時に、ネルは対面のソファーへと移動してテーブルに身を乗り出す。
「ジュブスさんの拠点は僕の遺跡から近いです。機甲国家フォーレンを迂回しなければなりませんが、拠点の奪還は僕に任せてもらえないでしょうか?」
怒りに燃えていたダレルの目は、今はギュッと閉じられている。
ソファーに浅く腰掛けて、天上を見上げる程に背を持たれかけながら思考に耽っていた。
その隣のクレアは、ただただ心配そうにダレルとネルの間で視線がうろつくばかり。
応接間に置かれる柱時計の音だけが、一定のリズムで流れていく。
数分はそうしていただろうか、ネルもクレアも神妙な面持ちで言葉を待っていた。
急かす事なく、ただただ主の決断を待つ。
柱時計が午後の一時を告げるべくたった一回「ゴーン」と鳴る。
それを合図にダレルの双眸がゆっくりと見開かれた。
ようやく答えが聞けると思ったネルは、再度その身を前に傾ける。
しかし、主の口はまだ真一文字に結ばれたまま。
テーブルに置かれた呼び鈴を鳴らした。
鈴が鳴る回数で呼び出す対象が決められており、ネルはそれで自分の問いの答えを悟る。
「待ってくださいダレルさん! 僕に、僕にやらせてくれませんか?」
しかし、そこにも返される言葉は無かった。
代わりに扉が開かれて、現れたのはグレン。
「お呼びですか旦那様」
ダレルの背に向けてグレンは伺いを立てる。
そこに振り向きもせず、ダレルは一言命じたのだった。
「ジュブスの拠点を奪還してこい」
「かしこまりました」
たった数秒の短いやりとり。
恭しい態度のグレンにも、微かに怒気の残滓が見て取れる。
頷いたその目には、決意の滾りが獰猛な光となって表れていた。
鋭く踵を返したその背中に「手段は問わん」と言うダレルの声が届いたのを確認し、扉は音もなく閉められたのだった。
この手段は問わないと言う意味を、グレンもネルも、もちろんクレアも正確に認識している。
セレナの企みをこの時のネルはまだ知らないが、ダレルはその背後関係にどんな力が働いているかを想像するに充分な情報を持っている。
ジュブスの件とは別にして動こうとする、セレナの思惑に乗ると言うのは癪に障るのだ。
そう言う意味も含めての、なりふり構わないと言う意志の表れであった。
そこに愛する娘と同等に、愛を注いできたネルを巻き込むはずがない。
いくらネルがこの短期間で莫大な量の手土産を持参してこようが、魔角を生やしていようが、ダレルにすれば、クレア同様にネルも一番に守るべき家族なのだ。
それにダレルは、ネルにもっと別の用件を残していたのだから。
しかし、珍しくネルは反発した。
この時ネルの脳内ではメリエスの制止があったにも関わらず、それすらも聞き入れなかったくらいだ。
「待ってくださいダレルさん! 派閥内の魔王は僕にとっても大事な家族ですっ。それに僕だってダレルさんの怒りを、悲しみを分かち合えるに充分な成果を上げましたっ、だから」
あまりにも平常心を欠いたネルの言動に、クレアは亜然となる。
だがダレルは違った。
ネルの言葉を言い終わらせる前に、魔力を纏った右の拳をテーブルに思い切り突き立てた。
その音は堅い物がぶつかるような、骨が軋むような鈍いものではない。
衝撃の瞬間、右拳から筆頭魔王と呼ぶに相応しい程の魔力の波動が弾ける。
「パーンっ!」と言う破裂音が応接間に鳴り響き、あまりの余波でネルは言葉を詰まらせてしまった。
それと同時に、突かれたテーブルが音もなく粉微塵と化す。
これで平静を取り戻したネルは、傾いた体を後ろへとのけ反らせた。
これはもう、親と子の間柄にある条件反射のようなもの。
ネルは無意識の内に、叱られる恐怖が脳裏を過ぎったのだった。
しかしダレルの顔には怒りが滲むどころか、どこか悲痛な面持ちとなっている。
「頼むネル。もう、わたしに大切な者を失う悲しみを抱かせないでくれ」
宙に浮いたままだった右拳を左手で包みながら、ダレルは脱力して腰を下ろした。
怒られると思い込んでいたネルは呆然とする。
肩透かしとは少し違うが、それに近い感覚に見舞われているようだ。
「さっきネルはこう言ったな『その魔眼はメリエスそのものだ』と」
急に話が変わってネルは混乱するが、声を絞り出してその問いに答える。
「……はい、そうです。僕の右眼には魔眼となったメリエスが眠っています」
それを聞いたダレルは「そうか」と呟き目を閉じる。
過去に失った大切な存在へと思いを馳せた。
応接間には再度の沈黙が流れる。
邪神が暴れていた時の記憶こそ、ダレルが引き出している過去。
ネルの父エルネスティと、母メンリエッタ。
そして魔女メリエス。
過去にダレルが失った大切な者とは、この三人の事である。
メリエスから魔術を指導されていたダレルは、その忌まわしき記憶よりも数年前から頭角を現していた。
メリエスの元へと参じていたのは、ダレルだけではなく、エルネスティもメンリエッタも同様であった。
この三人はメリエスが特に気に入っていた事もあり、数少ない弟子の中でも格別な成長を遂げていたのだ。
とは言え、そんな三人が束になってかかっても、椅子に足を組んで腰掛けるメリエスを微動だにする事すら出来なかった。
ダレルにすれば到底敵わない高みの存在。
しかし、いつかこんな凄い力を身に着けて、仲間の一切を失わないようにと自分自身へ強く言い聞かせていた。
◆
ここで、ダレルはふと気づく。
いつの間にか、心の内で馳せていたその時の出来事、想いが自分の口からぽろぽろとこぼれてたことに。
そしてそれを静かに聞くネルは、実はその時の事をメリエスから聞き及んでいた。
だから、この後にダレルが語るであろう、苦しく辛い記憶をきちんと聞き続けようと息を飲む。
ただし、ここから先に語られた【真実】はメリエスから聞いていた内容とは少し異なるのを、今はまだ知らない。
何故ならそれは、ネルに秘密とされていたのだから。
◆
やがてダレルにも妻が出来、新しい命を授かった。
ほぼ同様のタイミングでエルネスティとメンリエッタも夫婦の契りを交わし、ダレルから数か月遅れて新しい命を芽吹かせていた。
メリエスはそんな幸せそうな三人へ、羨ましそうな、しかし微笑ましい視線を向け、我が事の様に喜んでいた。
いつの間にか、メリエス、メンリエッタ、ソレイユの三人で過ごす時間が多くなり、ダレルとエルネスティは放置される。
しかしそれは、これから生まれ来る子供たちに夢中になっていた証。
メリエスは、徐々に大きくなり動き出す二人の腹に、心までも釘付けになっていたのだ。
そう言った眼差しに包まれながら、ネルより少し先にクレアが産まれる。
そんな矢先。
邪神が復活した。
万感の幸福で緩んだ心が、一気に締められる。
護る者が増えたダレルは気合が空回り、どこか浮足立ったまま戦場を駆け巡っていた。
魔神との戦いでも、エルネスティの庇いだてで九死に一生を得る始末だし、邪神にも数回殺されかけた。
そんな自分自身にダレルは、正体不明の焦りを抱き始める。
これでは仲間を守れないと。
敵はそんなダレルを見逃さなかった。
邪神と対峙していたにも関わらず、意識が散漫になっていたダレルは一瞬の油断につけ込まれる。
封印を解く切っ掛けとなった【魔女メンデス】同様に、邪眼の能力に引き込まれそうになった。
その力は心をむしばみ、やがて邪神に意識を乗っ取られる。
メリエスのそんな予想を聞いていたエルネスティは、主人でもあり盟友の危機を救うべく、無意識で邪神へと襲い掛かっていた。
くわえて、後方支援が土俵のメンリエッタまでもそれに続いてしまったのだ。
ネルを身ごもったままで、夫の背中を追いかけた。
ダレルは洗脳の入り口に立たされ、身動きもできないまま、最も大切な二人を失ったのだ。
自分自身の未熟さ故に。
盟友夫婦が起こした決死の突撃の甲斐あって、ダレルは邪眼から逃れた。
しかし今度はメリエスまでもが、命を投げ出そうと動き出す。
その理由は単純明快。
メンリエッタを回復させる事は出来ないだろう。
しかしメリエスは、自分が強引にでも邪神を封印するからと、メンリエッタの腹からネルを取り出すように言いつけたのだった。
「お願いよダレル。せめてエルとメンリーの子だけは救いなさい。後の事はわたしがなんとかするから」
それがダレルが聞いたメリエスの最後の言葉となった。
◆
メリエスは自分の肉体を依り代にして、その眼の能力を最大限に行使し邪神を再度封印したのだ。
ネルはそう言う結末であった事を知っている。
なにせ本人からそう聞いていたのだ。
ほんの少しだけ余力を残したはいいが、なんとかネルの右眼に宿るので精一杯だったと言う事も。
しかしネルはこの時、自分が母親の腹にいたなんて言う驚きの事実を聞いて、頭の中が真っ白になる。
ネルは自分が生まれたばかりの幼い頃の出来事として、両親の死にまつわる話を聞かされていた。
メリエスはダレルのそんな作り話を壊す事なく、その【真実】を覆い隠すようにして、当時の経緯をネルに伝えていた。
だってそうだろう。
ネル自身を救うために、メリエスが犠牲になったと誤解されかねない。
ましてや、身重の母親が死んだのも自身のせいと思われたら目も当てられない。
だからメリエスはこう言った時機を見計らって、知ってもらえばいいと考えていた。
そしてそれは、ダレルも同じように思っていた訳だ。
そして今、それを聞いたネルは顔から全ての血が引いてしまったかのように真っ青になっている。
「だからネルよ。もう、これ以上わたしの身内を危険な目に遭わせたくない。ソレイユとクレアはもちろん、おまえだって失う訳にはいかんのだ!」
そう言ったダレルの目からは涙が落ちている。
それを聞いた途端、ネルの目からも同じように、一条の雫が真っ直ぐに流れ出した。
お読みいただきありがとうございました。
文章に乱れを修正しました。




