27話 急転
人間界の南北を隔てる【魔境線】付近は、ここ数日きな臭い小競り合いが多発している。
魔境線以北は、アッセム、エルドネが領地を持ち、以南の全域はジグリビアの統治国【魔聖教国ジグ】が覇権を握っていた。
どちらかと言えばアッセム側の魔王の方が、よりジグリビアと接する領地を治めている。
そのせいで、看過できないほどの損害を被り、アッセムの勢力は国の指示により動き始めた。
小競り合いが続く中、ジグリビアは徐々に【魔神】と自称する戦力を投入していく。
最初に魔神が魔境線を越えて1ヶ月。
遂に、その侵攻が本格的になる。
数年前、魔界を襲った邪神が生み出したとされる魔神。
しかしその存在は、もっと遠い過去までさかのぼった脅威として魔界には刻まれていた。
魔女三傑が魔界に誕生した頃。
突如として現れた魔神に、魔界全土は阿鼻叫喚し、その圧倒的な暴威に成す術もなく日々怯えて過ごしていたのだった。
そこに歯止めを掛けたのが三人の魔女であった。
結局のところ、魔族のみではそう安々と討伐出来る相手ではなく、そんな悪魔が【大魔聖地ジグ】で新たに生み出されたなんて言う噂など俄かには信じられるものではなかった。
生み出されたとして【魔聖教国ジグ】が滅んでいないのだから、本当の意味での魔神ではないと言う説が、エルドネとアッセムの推測であった。
まさしくそれはその通りであるのだが、その実、目論見としては外れていた。
今はまだ、古の魔神ほどの力はない。
それはまだ研究段階だったから。
しかし、いよいよもってその研究に目途が立とうとしている。
魔聖教国ジグの総本山【大魔聖地ジグ】では、多くの信者研究員が、大量に召喚した異世界人の改造に勤しんでいる。
元々この地は魔道具発祥として知られ、人間界の全土から多くの技師が集まる聖地として名を馳せていた。
ただでさえ【神々の失物】が多く産出されている。
ここでしか手に入らない技術や遺物は多く、そこにジグリビアの魔術などが加われば、未知の力が生まれたってなんらおかしくはないのだ。
エルドネもアッセムもそこは重々承知している。
だから異世界人を召喚したと言う情報も、馬鹿げた話と耳を塞ぐことが出来なかった。
大魔聖地ジグの最重要機密ブロック。
その研究施設に、一人の男が現れた。
「成果はどうだ、グリュンデル」
大きなガラス管の前で、水晶の中を覗き込んでいる白衣の老人へと、魔族の男が声を掛けた。
「こ、これは、ジグベルト様っ! わざわざお越しいただかなくとも、こちらから出向きましたのに」
白衣の老人は跪き、禿頭を大袈裟に垂れ降ろしてから、ようやく自らに発言を許した。
対するジグベルトと言う魔族は、槐色のローブを着こみ、赤茶けた髪から大きな魔角を天高く伸ばしている。
その長さは優に1メートルはあろうかという代物で、高身長であるから一部では【天衝様】などと呼ばれたりもしていた。
天を衝かんばかりにそびえ立っていると言う事らしい。
来訪を有り難がっている老人グリュンデルは人間である。
そして、ジグベルトはこの【大魔聖地ジグ】で神と崇められている【魔聖教】の教祖であるのだから、中枢組織の研究所所長、しかも人間風情がおいそれと対面できる存在ではないのだ。
「畏まらなくとも構わん。それよりも成果はどうなのだ?」
「はっ。異世界人を生命の泉に精製する技術は完全に確立されました。まあこれは、異世界人を改造する過程で偶然発見されたものですが」
「そのようだな。それで、魔神をも凌駕する魔神は出来そうなのか?」
ジグベルドはここまで、一切の感情を露見させていない。
口調にも抑揚が無く、その言葉からは文字通りの意味しか見いだせない。
そんな教祖の能面とも言える佇まいは、信者にすれば神々しいとさえ思えてしまうようだ。
だからグリュンデルは、自身の研究成果を神が心待ちにしているのだと解釈し、胸が震えそうな程に感激の様を見せていた。
勢いあまって膝を伸ばし、直立の姿勢になる。
とは言えジグベルトは、無礼とも言えるその愚挙を咎めたりしない。
教義の賜物【魔聖】を実現させればそれでいいのだ。
「は、はいっ! あと数日、いえ、このグリュンデル、二日もあればジグベルト様がお望みになる魔聖を再現させてみせましょう!」
この時グリュンデルは、普通に見積もれば五日である目算を立てていた。
しかしそこは、震える胸が期待に応えようと自らを鼓舞させる。
「寝なければどうって事はない」と、先の目算を修正しての答えであった。
その甲斐あって、ジグベルトは満足そうな心境を言葉にする。
「期待しているぞグリュンデル。大業を成したとなれば君の魔と聖は浄化され、神への道はさらに明るくなることだろう」
ジグベルトの様相は常に淀みが無い。
濁らないし、波紋も広がらない。
だからその言葉こそ全てと言えるのだ。
「あ、有りがたきお言葉!」
そう言ったグリュンデルは、しばらく恍惚とした顔のまま立ち尽くし、研究所を後にするジグベルトを瞬きひとつせずに見送っていた。
◆
屋敷に戻ると、既にその報せ――セレナさんの訪問――はダレルさんへと届いていたようだ。
今朝と同じようにメイドが仰々しく待ち構え、ダレルさんの顔にはあまり見た事のない緊張の色が浮かんでいた。
それは屋敷の雰囲気も同様で、メイドから執事、更にはオリビア直轄の護衛魔王部隊まで慌ただしくしていた。
もしかしたら、セレナさんの訪問以外に何かあったのかもしれない。
ふと僕の配下へと視線を移す。
応接間へと通される最中、レイミーとサリーは思いのほか早く帰ってきた僕を見て、安堵の表情だった。
まあそれは仕方ないよね。
だけど、安心するにはまだ早いからね。
明らかに動揺している二人を見ても、やっぱり何かあったに違いない。
そんな中、意外にも会長セレナさんとサリーは顔見知りだったようだ。
そう言えば同い年だったっけ。
「あらサリーちゃんじゃない。なぜあなたがここに?」
安堵から一転。
サリーは一瞬だけ全身が固まる程に驚きを露わにした。
「そ、それはこっちの台詞なのだ。どうしてあなたのような国の重臣がここにいるのだ……セレナ」
「なるほど。もしかしてネルテスタくんの配下ってあなただったのね」
察しがいいね。
さすが近衛魔王のトップ。
圧巻なのは、そこまでたどり着く事が出来る情報網なのかな。
何らかの手段で、サリーと似た特徴の魔王が僕の配下になったと言う調べがついていた、そう思えるくらいには察しがいいからね。
とは言え、セレナさんのその言葉はサリーの答えを期待してのものじゃない。
独り言のように呟いただけだから、隣にいた僕にしか聞こえなかっただろう。
生憎、レイミーもサリーも応接間に立ち入る事は拒否されてしまい、僕は二人に縋るような視線を向けられたまま部屋へと入って行った。
応接間はテーブルを挟んで二人掛けのソファーが一個ずつあるだけ。
一つにはダレルさんとクレアが、その対面にはセレナさんとリリムさんが腰を据えている。
僕は、クレアの横に立っているんだけど、どうやらクレアは僕を座らせようとするものだから、優しく腰を下ろすように促す事になった。
それを見ていたセレナさんは、そんな一連のやり取りが楽しかったようだ。
ダレルさんの緊迫感を前に微かな微笑みを向けていた。
突然の訪問とは言えセレナさん達は客であるのだから、お茶の用意が終わるまでは世間話で暇を埋める。
一見すると他愛もない話しぶりだったんだけど、メイドが部屋を去った途端、一気に空気が張りつめた。
その大本はダレルさん。
「一体どうしたと言うのだ? もう少しこちらの予定を伺ってから訪問してもいいと思うのだがな」
「急を要したものですから。ご気分を害したのなら、そのお怒りは是非ともジグリビアの為政者にお願いします」
少なくない怒気を放つダレルさんを前に、セレナさんはそれを意にも介さない。
これだけ見ても、近衛魔王隊長と言うのが伊達ではないと言うのが伝わってきた。
こんな豪胆な精神で僕と二歳しか変わらないなんて信じられないよ。
「なるほど。とうとうジグリビアの愚か者が動き出したのか?」
「御明察です。それでですね、是非ともオリビア卿にもご尽力してもらいたく足を運ばせていただきました」
「ではやはり、フォーレンの南に拠点を置いていたジュブスが殺された事も知っているのだな?」
「はい。ジグリビアが召喚したと言う異世界人の仕業です」
セレナさんのその返答は、この場にいる生徒会以外の三人、要はダレルさん、クレア、僕が青天霹靂にも近い衝撃を抱くほどの報せだった。
ジュブスと言う魔王は、オリビア派閥の中でもかなり上位に位置する、人間界攻略担当の配下だったんだ。
しかも、それを手にかけたのがジグリビアの異世界人だなんて。
やもすれば、全面戦争は避けられないかもしれない。
『気を付けなさいネル』
『そう言えばクボタがどういう経緯で召喚されたとか聞いてなかったね』
『あれは、禁忌の呪法であったはず。しかし、ジグリビアはその呪法を確立させたようなのよ』
『と言う事は、異世界人の召喚はし放題って事?』
『何らかのリスクはあるはずなんだけどね。でもクボタから読み取った記憶によると、かなりの数が召喚されてるみたいね』
しかも、その異世界人は魔術以上の能力を持っていると。
『それだけじゃない。もっと凶悪な呪法で異世界人を異形の魔物へと進化させているみたいね。きっとそれがグレンの言っていた魔神なのかもしれないわね』
『魔神かぁ。でも、魔神だったとしたら、魔聖地が滅んでいてもおかしくないよね』
『制御できるとしたら?』
僕が言えた事じゃないかもしれないけど、魔王が魔神を制御するなんて、僕の持つ知識からしたら有り得ない事だね。
だって、魔女が討伐するまで魔族は手も足も出なかったそうじゃないか。
どうやら事態はかなり深刻みたいだね。
そんな事を考えていると、僕個人にとっても深刻な発表がセレナさんの口から放たれた。
「そこでオリビア卿。あなたの可愛いネルテスタくんを私に預けてくれませんか? ジュブスの拠点の次、ジグリビアがどこを狙っているかなんてお分かりですよね? だからこそネルテスタくんが必要なのです」
ジグリビアの魔の手は、既にエルドネにもアッセムにも伸びている。
そんな中、オリビア家の応接間は得も言われぬ空気が溢れていた。
これだけじゃ意味はわからない。
だけど、会長がそこまで言うからには、僕の手の内はほぼ知られているのかもしれない。
さて、どうしたものかな。
ダレルさんが激怒しなければいいんだけど。
いや、既に怒髪衝天の如き形相で震えている。
そりゃそうだよね。
まさか、ジュブスさんを殺したのが憎きジグリビアの手先だったんだから。
だからダレルさん。
僕はセレナさんと一緒に行動なんかしたくないよ。
どうか僕に復讐の指示を出して欲しい。
その怒り、その悲しみを僕に分け与えて欲しい。
今こそ恩を返すときだからね。
お読みくださりありがとうございました。




