3.仮面の自分
仮面を被る自分はどこか、歪んでいるのかもしれない。
七海は友人と談笑しながらそう考えることがあった。結局の所自分は現状を望んでいる。適度に友人と学校で話し冬弥と共に過ごす関係。それが七海にとって最も欲しい世界。
だからこそ、七海は仮面を被り生活してきた。常に笑顔を振りまき、できるだけ冬弥に不快感を与えないようにする。さらに冬弥に嫌われないように。そして――
「よっと」
談笑していると、理衣が弁当を持って輪に入ってきた。友人達は快く迎え入れる。
「ねえ理衣。旦那さんの近くにいたみたいだけど、何かあったの?」
冗談っぽく問う友人の言葉に、七海の鼓動が一瞬高鳴った。
だが表情には出さない。顔に張り付いた笑顔の仮面は、今や隣を歩く冬弥に気取られない程、精密になっていた。
「いや、様子を見に」
「そういうのは七海の役目だって。ねえ?」
問われて七海は笑った。苦笑ではない。紛れもない笑み。
それが困った時反射的に出るようになった、仮面の笑みだ。
「ああ、ごめんね。なんか」
手を合わせ、理衣は謝る。七海はあえて無視した。すると理衣は苦笑し、誤魔化すように頭をかく。
険悪な状況になるかもしれないこの場を、周囲の友人が話は終わりと手を叩き、別の話題を口にする。七海にとっては、ひどく見慣れた光景だ。
高校に入り、こういうやり取りは数えきれないほどしてきた。友人でもない、恋人でもないという関係を、多くの人は最初不思議に思う。しかし核心部分は、全て笑顔で黙殺した。今ではからかわれることはあっても、追及されることは無い。
そして――友人達の傍にいるのは、冬弥が女子達の噂になっていないか聞きたいがためだった。もちろん目の前の人達は、友人であると胸を張って答えられる。だが最初の動機がそれでは、果たして友人が報われるのかと考えてしまう。
その中で、理衣に関しては特にその思いが強かった。高校に入って出来た一番の友人。関係を問い質すことはなくなったが、稀に様子を見ると称して冬弥に近づくことがあった。正直な所真意はわからない。気があるのかと考えても、尋ねてはいない。そうだと答えられるのが、ひどく怖かったからだ。
(結局、自分は全てに恐怖しているだけなのか)
自己嫌悪に陥りそうな結論を、胸に抱く。
同時にそれらを全て飲み込み、七海は仮面を被る。あらゆる面において現状維持を希望し、それを常に監視している。一歩前に進むことに慄然とする七海は、それしか術がなかった。
友人達の会話は冬弥とはかかわりのないものとなり、七海は申し訳ない気持ちになる。どうしてこうなってしまったのだろう。いつから自分は全てに注意を向け、仮面を被ることにしたのだろう、と。
頭を捻ると、すぐに思い浮かんだ。初めは追及するのを避けるため。そして次には、冬弥に対する想いを自覚したためだ。
好きだと自認したのは中学二年の時。それまでは予知夢の共有者というだけであり、友人を越えた存在にはなっていなかった。
「そんなんじゃないよ。表現しにくいけど、ずっと一緒にいるからとしか言えない」
中学二年の時――冬弥との関係を問われそう答えた。これは恋愛感情をはっきりと認識する前の話。冬弥が特に荒れていた時期で、七海とも縁を切ろうとした時の話だ。
七海は言ってから、予知夢については口にできない以上、どうしても不明瞭な解答しかできないのに気付いた。同時に発した回答を、しくじったと反省。言葉で応じれば、いつかはボロが出ると悟った。
そうした事態を避けるため、その日を境に七海は仮面を被ることにした。聞きたそうにする友人に対し、綺麗な笑みを見せる。肯定とも否定ともつかない笑み。受け手によってどう思うかは様々だ。合わせてもう一つ仮面を作った。綺麗な笑みに加え、屈託のない笑みで、談笑する際に使っている。
二つの仮面を使い分けることで、冬弥に対する笑みをより不可思議なものとし、煙に巻くようにした。また普段から二つ目の笑みを見せることで、常に笑顔を絶やさない人物を形作っておく。そうすれば、何も知らない人から追及されることは無くなるのではないか。そういう算段だった。
最初は推し量られないか心配になったが、効果はすぐに発揮し、仮面を被り始めてからは問われなくなった。高校に入ってもそれが活用され、七海を茶化す程度の材料でしかなくなっている――笑顔を用いることで、面倒事を回避できるようにする。それが一つ目の理由だ。
そしてもう一つの理由――恋愛感情を自覚したのは小さな出来事だった。これもまた冬弥が予知夢を否定しようと、躍起になっていた時だ。
特に執着していた中学二年。高校進学の話が見え始めた冬休み前。冬弥も落ち着きを取り戻し、どこか達観した面持ちとなっていた時。ちなみになぜそうなったかは、尋ねても答えてくれなかった。
「また、予知夢に未来を決められるのか」
しかしその日の登校時、冬弥は嘆いていた。
焦燥感すら滲ませる冬弥の顔を見て、七海は一考した。自分は冬弥のように予知夢を頭から否定していない。それはなぜか――思い至ったのは、彼の隣にいられるからという事実だった。
おかしな話だが、そのような結論が素直に出る程、冬弥のことを好きでいたわけではなかったはずだった。いや、もしかすると無意識の中では自覚していて、意識的になるのを心が待っていたのかもしれない――経緯はどうあれ、七海はその時冬弥を好きだと自覚した。
七海はそこで愕然とする。加えて、冬弥が訝しげな視線を送ったのをはっきりと覚えている。
「そうならないように、頑張らないとね」
反射的に、同調していた。冬弥がしっかり頷くのを見て、答えが合っていたと認識する。
しかし、心では否定していた。
(予知夢に決められてもいい。私は、冬弥の傍にいたい)
自覚した直後から、立ちくらみがするほど強烈な感情が頭を支配した。だが同時に、これは望みのある恋愛なのかを考えた。
予知夢に縛られ共に過ごした自分は、果たして目があるのかと。予知夢がある以上、自分では恋人になれないのではないか。冬弥は自分のことを小さい頃から見ていて、女として見てもらえるのだろうか。
数えきれない程答えの出ない問題の中で、七海は停滞することを選択した。宙ぶらりんの関係を続ける――永遠でないことぐらいは七海にも理解できている。だが予知夢で冬弥と繋がる自分は、それこそ後ろ手で互いに拘束されているようなものだと認識しており、背を向けている以上、深く内面を追及できない。さらに言えば、告白に舵を切ろうものなら――それが予知夢として現れ、行動する前に知られるかもしれない。
七海は戦慄した。望まぬ形で冬弥に自分の感情を知られる。心底怖かった。それに近い予知夢であっても、冬弥はきっと気付くだろう。予知夢に神経を尖らせている彼は、夢の意味を汲み取ろうとする。それが七海の恋愛感情と知れば、最悪離れてしまうかもしれない――
「七海?」
ふいに、理衣から声がした。我に返り周囲を見ると、きょとんした眼差しをした友人達。
「え、何?」
「大丈夫? なんか考え事?」
どうやらずいぶんと深く思考してしまっていたらしい。七海は「何でもない」と返答しつつ、弁当に箸をつける。最後に残っていた卵焼きを口に入れ、弁当箱をしまう。
「ちょっと、テストのこととかで」
七海は仮面の笑みを見せ、ため息混じりに言った。友人達は途端に険しい顔をする。
その中で応じたのは、理衣だ。
「七海、やめてよ。テストのことなんて考えたくないよ」
「でも文化祭やるには、テストを越えないと」
「言わないで~」
耳を塞ぎ理衣は答える。残りの友人は彼女の反応に笑った。どうやら誤魔化せたらしい。
「じゃあ、私はこれで」
七海は席を立ち、手を振りつつ自分の席へ向かう。黒板上の時計を見ると予鈴五分前だった。授業の準備をして待つのが適切だろう。
「ねえ、七海」
そこへ、同じく弁当を食べ終え後を追う理衣の姿。七海は応じないまま席に座り、教科書をカバンから取り出しつつ、口を開いた。
「何?」
「ちょっとさ、頼みがあるんだけど」
理衣は手を合わせ、懇願するように言う。
七海は率直に、珍しいと思った。友人関係であったが、何かを頼むようなことはなかったためだ。
「いいよ、どうしたの?」
特に気に咎めず頷く。すると、
「実は、文化祭の資材の購入に人手がいるの」
そう切り出した。七海が眉をひそめると、理衣は説明を始めた。
資材、といっても飲食店を行う七海達のクラスの場合、看板や教室内の装飾による物品が必要となる程度。大きな物品は既に発注済みな上、文化祭前に納入される手筈となっている。
「ただ、小物類を別に買わないといけないの」
「だから、私に?」
「ううん。そうじゃなくて」
理衣は一瞬、視線を冬弥へ向けた。彼は自分の席で次の授業の用意を済ませ、机に突っ伏して眠っている。
「量が多いから、彼に頼もうかと。あんまり仕事していないみたいだから」
なぜ冬弥を――という言葉が出掛って、飲み込んだ。
口実のような説明に少し苛立ったが、ここで突っかかると自分の感情を外へ吐露することに繋がる。
「なぜ私に?」
そのため、七海は無難な言葉を発することにした。
「言っておくけど、私は冬弥のお目付け役とかじゃないよ?」
「知っているけど、なんとなく許可を得ないといけないような気が」
「冬弥に直接聞いて」
うんざりするように、七海は答えた。しかし内心は少なからず動揺していた。なぜ彼女が冬弥を指名したのか。理由は明白だったからだ。
「わかった。ありがとう」
「お礼を言われるようなことはしてないよ」
七海の言葉に理衣は苦笑し、席へ戻った。どうやらすぐに提案するというわけではないらしい。
(理衣が……か)
心の中で驚きと困惑が混ざり込み、最前列に座った彼女の後姿を見る。何かに理由をつけて理衣は冬弥と接触していた。だから、別段不思議ではない。
(無理、だろうね)
同時に、なんとなくそう思った。脈はないよ。心の中で呟く。
あるいは、そう否定したかったのかもしれない。
心のどこかがジクジクと痛んだ。友人が冬弥に興味を抱いただけだ――頭に声を反響させてみたが、逆に言えばたったそれだけでこれほどまでに心がざわつき、痛みが走る。
(自分はなんて弱いのだろう)
同時に卑怯者だと、胸に刻み込む。予知夢を理由にして、自分が冬弥を縛っているのではないか。そんな風にも思えてくる。
予鈴が鳴る。七海は息をつき、横手を見た。身じろぎ一つせず、机に突っ伏す冬弥。胸の中でじわりと恋情が湧きあがる。
視線を正面へ戻して、仮面を被った――ずっと必死に演じてきた。自分が冬弥の隣に立ち続けられるように。誰にも、想いを悟られぬように。
(ああ――そっか)
知られないよう必死になって、今更はたと気付く。痛んだ心が証拠と成す。
中学から自覚して三年近く。冬弥に対する感情は日に日に増し、爆発してしまいそうになっている。泣きたくなるくらい熱い感情が膨らみ、どんな形になってもいいから告白して全てを終わらせたいと思う。生殺しは嫌だ。全てを、彼に話したい。
即座に否定に入る。どういう結果になるのか、さらに予知夢に現れたらどうするのか。思い浮かべると、爆発的な欲求は姿を消した。
感情が治まると、半ば無意識に笑顔が出た。もし誰かに見られたら不気味に映るかもしれない。だが、これしかなかった。気持ちを無理矢理抑え留めるには、これしか方法が無かった。
(無理だよ、きっと。だから、大丈夫)
先ほどの理衣に対し、自分を納得させる。成功するはずがない。冬弥は予知夢という鎖に縛られているから。
それだけが根拠だった。そして、それだけしか根拠のない自分が、ひどく悲しかった――




