12.新たな予知夢
つくづく、自分は罪を背負い続けなければならない――そう七海が認識したのは、とある夢を見始めた時だ。
学園祭が終わり、一週間。七海は図書室に立ち寄った帰り忘れ物を取りに教室へ赴いた。目的の物を回収し帰ろうとした時、窓の外、階下に冬弥と理衣の姿を認めた。二人はジュースの缶を持って中庭を歩いている。
予知夢ではない。発見したのは本当に偶然だった。七海は顔を強張らせながら、帰ろうとした――しかし吸い込まれるように、二人の近くまで来てしまった。
ベンチの周囲は砂利であるため、近寄るのは難しい。だが、二人の位置から死角、建物が隆起した場所に立つと、やや小さいながら声が聞こえてきた。
上階から見れば奇妙に見えたであろう七海の行動。しかし構ってはいられなかった。
「悪いね、呼び出して」
「学園祭の打ち上げでもするのか?」
「その予定はあるけど、参加する気ある?」
「無い」
冬弥が即答すると、理衣の笑い声が聞こえた。
「ま、それもそうか。ともあれ、改めてお疲れ様」
「全くだ。あそこまでこき使われるとは思っていなかったよ」
「利用できる人はとことん利用しないとね」
「言ってろよ」
見えないが、冬弥と理衣が楽しそうに会話している姿が目に浮かんだ。
「……それで、呼び出した理由だけど」
「ああ。どうしたんだ? 改まって」
冬弥が聞き返すと、沈黙が訪れた。どこか緊張した理衣の声音に、七海は慄いた。まさか――その場を後にしようとする。聞いてはいけない。心がそう警告する。
「今日は一つ提案を」
「……前の話と関連するのか?」
「うん。単刀直入に言うけど、私達、付き合わない?」
息が詰まる。唇が震え右腕で胸を抑える。
(予想、できたじゃない)
あの会話を聞いた時、こうなる未来は想像できたはず。理衣も言っていた。文化祭が終われば、告白すると。
(でも……なぜ? なぜ私がこの場にいないといけないの?)
なぜ最愛の人が告白されるのを聞かなければならないのか。それも相手は自分の一番の友人。憎むことすらできず、愕然となる。
「私は新城君のことが好きだから、きちんとした形で付き合いたいの」
「その割には、色々と工作していなかったか?」
「え、そうかな?」
理衣はきっと、首を傾げているのだろう。けれど、七海も硬直する頭の中で思い当たる節があった。
冬弥に想いを伝えた理衣は、以前よりも積極的に彼と話をするようになっていた。その段になったら他の友人達も気付いてしまい、時には七海に詰め寄ったりもした。彼女達曰く、「新城君盗られちゃうよ?」という話だ。
その度、煮え湯を飲むような気持ちで、微笑と「そんな関係じゃない」という否定の言葉を繰り返した。そのくらいしか七海にはできなかった。冬弥は七海に対して恋愛感情は無いのだから。
だから七海は「変化」を待つしかなかった。自分に利するような、変化を。
「既成事実みたいに色々と動き回っていただろ」
「そう、だったかな?」
「ああ」
冬弥はどこか、抑揚の無い返事。ジト目をしているのだと、声からわかった。
「ちなみに根拠としては、原口がゲロった」
「……あいつめ」
「まあ、俺の事情から考えれば、外堀から埋めるのも手と言えば手だろうな」
「え?」
驚いた理衣の声。七海は聞きながら、一歩歩き出す。続きが予測できてしまった――聞きたくない。
「俺は予知夢のことがある。だからどうなるかわからない。それでもいいのか?」
確認するような問い。その時、七海の心には冬弥が優しく微笑む姿と、理衣がはっきりと頷く姿を想像する。
「――もちろん」
元気よく答える理衣。その瞬間、七海はその場を後にした。心の中で絶叫しながら、必死に足を動かす。人目など、気にすることもできなかった。
(わかっていたはずだ。この結末は――)
言い聞かせ、ひたすら歩く。予測できた予知夢の無い未来が到来しただけの話だ。そう自分に告げながらも、涙を必死に堪えた。冬弥が告白した時生じた、あの虚無感が到来しそうになり、視界が揺れ始める――
そこで目覚める。いつも見ている白い天井。太陽の光によって照らされた室内。
朝だった。起床時間。
七海は無言のままゆっくりと身を起こす。気付けば涙が一筋頬を伝っていた。それを袖で拭き、ゆっくりと息をする。白い息が漏れた。
短い三学期も残すところあと僅かとなり、期末テストが迫る二月。七海はいつものように冷たい床の上に足を着け、支度を始める。油断するとすぐに流れそうになる涙に耐えながら、気を紛らわせるように服を着替える。
今の七海は冬弥の告白と、理衣の告白という二つの悪夢を見ながら過ごしていた。予知夢を見なければ必ず二つのどちらかを見て、起きた時にはほぼ確実に泣いている。だが大泣きした試しはない。きっとそれは、心にぽっかりと穴が開き、絶望しか残っていないからだと、自認していた。
「冬弥……」
ふいに、言葉が零れる。気付けば立ち止まり夢を頭の中で再生しようとする――七海はどうにか振り払い、制服に袖を通す。
これが冬弥の告白から四ヶ月以上経過した七海の現状。その中で、つとに思う。
この悪夢は、いつになれば終わってくれるのだろうかと。
冬弥と理衣が付き合い始めてから、複数の変化が起こった。
まずは人間関係。七海との登下校については、高校の駅まで一緒に行くだけで、そこからは別行動になった。駅前で理衣が待っており、冬弥は彼女と共に登校するようになった。二人が並んで歩く姿は辛い。だが家の前から一緒に登校している時は、自分の心が和らぐ。その時だけが、心休まる時だと言い切ってもいい。
そして、冬弥と七海の距離は果てしなく遠くなった。手を繋ぐなどと言う所業は、奇跡を願わなければ叶わない程となり、七海の胸には諦めにも似た感情が広がっていた。
けれど、悪夢は消えない。予知夢が無ければ毎晩のように見る悪夢は、いつまでも七海を苛んでいる。予知夢の方がマシだと思うこともあった。そして何より、どうやれば潰えるのかが分からない。
改めて自分がこれほどまでに冬弥を想い、心が蝕まれていたことに気付く。冬弥の話を聞いた時の激情は、時が経てば次第に治まっていくものだと思っていた。しかし、それすら駄目だった。
一日過ぎれば、さらに想いが増幅していく。距離が遠いのを見せつけられる度に、心が押し潰されそうになり、家に帰れば泣いてしまう。泣かない日は数えるほどしかなかった。だが涙が無い日は、漆黒の深淵に叩き落とされたと感じた時だけ。そうなれば必ず真夜中に起きて泣き喚く。結果、次の日は必ず休んだ。幸い親がほとんど自分の面倒を見ないため、異変に気付かれていない。それだけが救いだった。
さらに別の変化もあった。七海がそれにはたと気付いた時、例えようもない感覚を抱いた。二人が離れ、予知夢の回数が確実に減っていた。加えて、一つ目の夢では必ず二人は近くにいたのに、全く違う場所にいるケースも出てきた。これは双方の距離が大きく遠のいた証明にならないか――
「で、今度の予定なんだけど」
近くで理衣の声が聞こえた。七海は耳を無意識にそば立たせてしまう。
三学期に入り席替えをしたのだが、七海はほとんど同じ場所で、冬弥もまた場所がほとんど変わっていない。しかし、冬弥の前には理衣が座っている。そんな小さな出来事でさえ、七海の心には傷が生まれる。
「理衣、プランはあるのか?」
冬弥が尋ねると、理衣は頷いた。
「一応ね。私さ、行ってみたい場所があるんだ」
喧騒の中でも声がはっきり聞こえた。デートの算段だろうと推測できる。聞きたくないと思いながらも、告白を聞いた時のように心をわしづかみにして、離さない。
「行きたい場所?」
「以前通っていた公園」
「ああ、前話していた思い出の?」
「そう。つい最近縁日やっている公園とかの特集をテレビでやっててさ。その時公園繋がりで、思い出の公園に行ってみたいと感じたの。冬弥も行ったことあったでしょ?」
「あるけど、記憶にはほとんど無いよ」
「でも少しはあるんでしょ? なら付き合ってよ」
「わかった」
さっぱりした口調で冬弥は応じる。苦痛でたまらない会話。嫉妬が膨れ上がり、自制するために気を奮い立たせる。
「じゃあ冬弥、日取りはどうしようか?」
「そっちの要望に合わせるよ」
「それじゃあ来週……期末テストが終わった週の土曜ということで」
「了解」
冬弥が最後に締めくくると会話が終わった。七海は小さく息をつき、教科書を取り出す。心が正直に、ズキズキと痛みを走らせる。
果たして、悪夢が終わるのはいつだろうか。もし二人が別れたとしたら溜飲が下がるのだろうか――いや、違うだろう。そうなればきっと、冬弥の告白が延々と夢の中をさまようだけだ。
(終わらない、か)
これも罰か――七海が断ずると予鈴が鳴った。クラスメイトが教室に入り始め、授業の準備を始める。
横手を見た。窓の外を見る冬弥に対し、理衣は鼻歌混じりに教科書を鞄から取り出している。傍から見れば間違いなくお似合いのカップルだろう。だが最初は七海という存在が認知されていたため、色々と面倒な出来事が起こったらしい――七海はその件について、ほとんど知らない――が、今では公認のカップルになっている。
(冬弥……)
頭の中で想い人の名を告げる――気付いてほしい。自分の感情を。仮面を被り続けている、自分の姿を。
本鈴が鳴る。先生が教室に入ってくる。
そこからは、ただひたすら勉強に没頭する。勉強だって苦痛を伴うものだったが、それでも心が壊れないだけ、まだマシだった。
* * *
予知夢が大きく変わったと自覚したのは、それほど最近ではない。冬弥自身理衣と付き合い始めて、大きく変化したと理解していた。
だが、さらなる変化がもたらされる。きっかけはデートの約束から数日後の、予知夢だ。
「宮永さん、今日よろしく」
夢の中で、冬弥の近くにいる七海が原口に声を掛けられた。場所は教室だが、放課後の状況とは少し異なる気がした。
「うん、こちらこそ」
七海が答える。そこで冬弥は時計を見た。昼前だったのだが、クラスメイト達が帰ろうとしている。
(期末テスト期間か?)
現在の冬弥はそう推察しつつ、夢の動向を見守る。
「悪いな、冬弥」
そこで原口は冬弥へ声を向けた。すると夢の中の冬弥は肩をすくめ、
「お前が七海に頼んだんだろ? さっさと行って、音痴っぷりを披露してこい」
「酷い言い草だな」
原口は口を尖らせながら、再び七海へ向き直る。そこへ、
「原口! 置いてくぞ!」
別の男子の声。原口は適当に応じつつ、七海へ話す。
「じゃあ行こう」
「うん」
七海が応諾する。そこで視界がブレた。二つ目の夢――
目に映ったのは、夜の道だった。電灯以外に光源は無く、住宅街のせいで周囲は静か。
「あ、もしもし?」
現在の冬弥は、自分が電話を掛けていることに気付いた。相手は、母親。
『あ、冬弥。どうしたの?』
「ごめん、今から帰るんだけど……夕食、ある? 何も無かったらコンビニで何か買ってくるんだけど」
『残り物で良ければ』
「わかった。お願いするよ」
言うと、冬弥は携帯電話を切りポケットにしまう。その服は一瞬制服のようにも見えたが、右手に提げている鞄を見て、驚愕する。
(は……?)
見た事も無いビジネスバックだった。同時に自分がスーツを着ていることに気付く。少なからず驚愕しながら、夢の中で自分の口が勝手に動く。
「ったく、いつも思うけど脇坂さんは強引だよな……何で俺があの人の見積もりまで出さなきゃならないんだ。俺の仕事ができないじゃないか、まったく」
呟いて――これが、遥か遠い未来だと悟った。きっとこれは大学に入学し、就職した後の光景だ。周囲の建物や道は見覚えがあるので、実家暮らしなのだろうとわかる。
現在の冬弥は絶句した。単なる予知夢でこれほど遠い未来を見たことは、少なくとも無い。長くとも小学五年の時のように、一年先程度。それを遥かに上回る夢は、前例がない。
「まあ、これが頼られているという話なのかな……けど、仕事を持ち帰るのは嫌なんだけどな」
やれやれといった雰囲気で夢の冬弥は呟き続ける。そこからさらに歩を進めている時、夢が覚めた。
天井を見上げ、冬弥は左右を見回す。見覚えのある自分の部屋。一瞬これが本当に現実なのか、わからなくなった。
「……なんだ、これ?」
次に出たのは、乾いた言葉。あまりにも遠い未来が予知夢として現れた。
同時に一つ目の夢を考える。語っていた情報から、原口と七海が行くのはきっとカラオケだろう。音痴などと言っていたから間違いない。そして時期は――おそらく、期末テスト終了後。打ち上げか何かなのだろうと、半ば察せられた。
しかし七海がカラオケに行く――その一時でなぜあんな未来を辿るのかわからないし、何より因果関係が不明だ。けれど、予知夢を見た以上、経験上必ず成就する。冬弥は弾かれるように起き上がり、支度を始めた。
おざなりに朝食を取り、準備を済ませ飛び出すように玄関を出た。道に出ると、硬い表情をした七海が立っていた。
「七海……」
「うん、わかってる」
緊張した面持ちで、七海は頷く。そこから隣同士で歩き出し、協議を開始する。
「冬弥、二つ目の夢って、どんなのだった?」
「就職していて残業し、母さんに晩飯あるか聞いていた」
「私も同じ……会社の帰りに、同僚と夕食済ませて帰る途中だった」
七海は半ば呆然としながら語る。
「これだけ離れた未来って、今までなかったよね?」
「無かった。それは間違いない。やっぱり理衣と付き合い始めて変化したのか」
何かが違う。冬弥は違和感を覚えた。七海も同じ心境のようだ。
「七海……どうするんだ?」
「どうするって……」
「今日の未来を選ぶかどうか」
問いに、七海は首を左右に振った。
「あんな遠くの未来を決定づけられるのは、さすがに……」
「だよな……」
呻くように冬弥は応じた。今回は回避できる。だが、そこで別のことに気付く。
「……そういえば、一つ目の夢の選択って、何だ?」
「え? そういえば、確かに選択っぽいものが無かった」
七海は思案し――やがて、口を開く。
「多分だけど、私が原口君に誘われて行くことがそうなんだろうね。その誘いは、きっと前もってされているはずだけど」
「そう、だよな」
にわかに冬弥は、二つの変化に気付いた。選択事後の夢と、遠い未来。
新たな変化。予知夢のパターン自体が大きく変容している。今日見た夢はその一つ目であり、これから遠い未来が示されるようになるのかもしれない。
(もしかすると、自分が三十になった時の未来とか見るのか?)
そんな予知夢は極力回避するに限る。しかし――
「でも、これらが受験と同じような結果になれば……」
七海が絞り出すように言った。言葉の真意を冬弥も理解できた。
受験のような大きなイベントの選択肢はそれが起こるまでに何度も見る――中学時代で経験済みだ。一つの未来を選択しなければ、別の高校に行く予知夢が現れる。さらにそれを回避すると今度は別の高校。また回避すれば初めに出てきた高校に再度入学する予知夢、といった具合だ。
高校受験の時は、どうしても回避したくて抗っていた。だが、最終的には追い込まれてしまった。忘れもしない最後の選択は、三年に進級する寸前の初春――母方の実家に帰省することだった。それで未来が決まってしまった。家族行事を冬弥に拒否できる選択は無かった。そこで冬弥も全てに見切りをつけ、今の高校に通っている。
「気を付けないと、いけないんじゃない?」
七海が険しい顔で警告する。
「予知夢の回数が減っていたのも、何か兆候かもしれない」
「不安要素が出てきたな」
冬弥は息をつきながら考える。今はまだ回避できるレベルであるため対処は可能だ。だが、心乱れる。
(胸騒ぎがする)
心の中で呟き、冬弥は静かに歩を進める。やがて駅に到着し電車に乗り、学校前に到着する。そこで七海と別れ、駅前で待っている理衣と合流する。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
理衣の挨拶に冬弥は何気なく答えた――つもりだったのだが、察しの良い彼女は、普段と違う様子に気付いた様子。
「どうしたの? 少し浮かない顔」
「ああ、聞いてくれるか?」
予知夢に関する話も聞かせてほしい――そう理衣が言い出したのは、付き合い出してひと月が経過した時。冬弥は最初、詳しく話さず助言を貰う程度に留めておくつもりだったのだが、年が明けてからは深く話すようになっていた。
冬弥が説明を終えると、理衣は興味深そうに口を開いた。
「へえ、遠い未来か……」
「正直、現実感がないよ」
「でも、そんな遠い未来が成就されるなんて、ずいぶんと厄介ね」
理衣は頬を軽く掻きながら、呟くように言う。
「そういう話が、今後も起きそうってこと?」
「かもしれない」
「明日、もし予知夢を見たら教えて」
「ああ、わかった」
答えながら冬弥は、隣にいる理衣を一瞬だけ見た。横顔は予知夢のことを真剣に考えてくれている。冬弥は少し嬉しくなった。
「しかし、就職ねぇ。年齢とかはわからなかったの?」
「たぶん大学卒業してからそれほど経ってないとは思う。なんとなくだけど」
冬弥は視線を理衣から外し、答える。
「どこの会社だったのかは、わからないな」
「で、夜残業して帰るのか……確かに今の私達には、現実感ないね」
「まったくだ」
冬弥が声を発した時、学校に到着した。
そこでふと、カラオケの話が上るのはいつなのだろうか思案する。期末テスト後のイベントのようなので、それ以前なのは間違いない。もしかすると今日明日中かもしれない。
さらに考えを巡らせる。もし原口が以後カラオケに誘うとしたら、同じ結果になるのか――と考えて、中学時代わざとタイミングをずらしても未来が成就された記憶を思い起こす。未来を選ばないのであれば、これからの誘いも断った方が賢明だろう。
(とすると、もし原口が七海のことが好きだとしても、予知夢を忌避している七海は断り続けるわけだ)
なんだか原口が不敏に思えてくる。だが七海も回避しようと必死だろう。もしどちらかから相談されたら、フォローをしようと心の隅で思った。




