第8話『小さな身体』
第8話『小さな身体』
最初に戻ってきたのは、温かさだった。
イリシアと別れたときの光とは違い、今は何か柔らかなものが肌に触れている。
周囲からいくつもの声が聞こえたが、目を開けても輪郭がぼんやりしていて、誰がどこにいるのか分からない。
「生まれました!」
「元気な男の子ですよ」
生まれた。
その言葉を聞いて、光哲はようやく思い出した。
そうだ、赤子として転生するとイリシアは言っていた。
分かっていたつもりだったが、本当に生まれてしまうと話は別だ。
まずは周りを見ようと、顔を声のする方へ向けようとする。
ところが、首がほとんど動かない。
無理に動かそうとすると、身体ごと頼りなく揺れた。
前世なら意識することすらなかった動きが、今はまともにできないらしい。
声がするたびにそちらを見たいのに、ぼんやりした明るさが揺れるだけで、どちらを向いているのかさえ分からない。
それなら手はどうだろう。
右腕を持ち上げたつもりが、視界の端で小さな何かが動いただけだった。
指を曲げようとしても、腕まで一緒に動いてしまう。
そもそも見えているものが自分の手なのか、それすらはっきりしない。
(これは……思っていた以上に難しいな)
確かに頭の中には、黒木光哲として生きた記憶が残っている。
だが身体の扱い方まで一緒に持ってこられたわけではないようだ。
少しだけ動かして確かめたいのに、力の入れ方も分からない。
考えているうちに、今度は妙に不快な感覚が込み上げてきた。
何が嫌なのか自分でも分からず、思わず声を出そうとした。
「……ふぎゃあ!」
出てきたのは言葉ではなく、大きな泣き声だった。
思わず驚くほどの声が出たのに、言いたかったことは何一つ伝わっていない。
しかも止めようとしても、喉が勝手に次の泣き声を上げる。
これでは誰かに質問することもできない。
知らない世界へ来たというのに、今の自分にはそこがどんな場所か尋ねる方法さえなかった。
「大丈夫ですよ。ほら、こちらへ」
誰かにそっと抱き上げられ、身体の向きが変わった。
別の腕に渡されると、頬の近くに柔らかな布が触れ、すぐそばで静かな息遣いが聞こえた。
さっきまで落ち着かなかった身体が、少しずつ静かになっていく。
「……よかった」
弱々しくも、ほっとしたような女性の声だった。
まだ顔はよく見えないが、抱いてくれている腕は優しい。
おそらく、この人が新しい母親なのだろう。
そう思うと、不思議と安心できた。
腕が少し動くたびに布が頬をなで、近くから規則正しい鼓動のような音が聞こえてくる。
その音を聞いていると、まだ何一つ分からない場所なのに、もう少しここにいたいと思えた。
前の世界では何でも自分でできたつもりだったのに、今は抱いてもらうことさえありがたい。
「あなた……」
「ああ」
すぐ近くから低い男性の声が聞こえた。
短い返事のあと、少しだけ間が空く。
「名前は、決めていた通りでいいな」
「ええ」
名前。
そういえば、新しく生きるのなら呼ばれ方も変わるのか。
光哲がもう一度声の方へ顔を向けようとすると、女性がそっと抱き直した。
そして、すぐ耳元で優しく呼びかけた。
「クロード」




