第41話『小さな重み』
第41話『小さな重み』
イリアの部屋を覗くと、エリスが椅子に座って妹を抱いていた。
今日は泣いていないらしく、イリアは母の腕の中で目を開け、小さな手をゆっくり動かしている。
「母さま、イリアは起きてる?」
「ええ。さっき目を覚ましたところよ」
「ぼくも近くで見ていい?」
「もちろん」
クロードは椅子のそばへ行き、妹の顔を覗き込んだ。
声を掛けたり、指に触れたりしたことは何度もある。
けれど母に抱かれたイリアを見ているうちに、ふと思いついたことがあった。
「ねえ、母さま」
「なあに?」
「ぼくも、イリアを抱っこしてみたい」
エリスはクロードの顔を見て、それから腕の中のイリアへ目を落とした。
すぐには返事をせず、少し考えてから微笑む。
「そうね。私がそばで支えるなら、少しだけいいわよ」
「ほんと?」
「でも、立ったままは駄目。ちゃんと座って、私の言うとおりにしてね」
「うん!」
クロードは嬉しくなって椅子へ向かったが、エリスに慌てなくていいと笑われた。
深く腰掛けると、母が足の上に畳んだ布を置いてくれる。
そこへイリアを寝かせるように預け、エリスは小さな首と背中を手で支えたまま、クロードの腕の位置を整えた。
「このままでいい?」
「ええ。その腕はそこに置いておいてね」
「手、動かさない方がいい?」
「今はそのままで大丈夫よ。私も支えているから」
さっきまでは早く抱いてみたかったのに、いざ妹が腕の中に来ると、クロードは背筋を伸ばしたまま動けなくなった。
まだ小さな身体が、すぐ目の前にある。
布越しにも温かさが伝わり、イリアが息をするたびに、その小さな胸がわずかに動いた。
「……母さま」
「どうしたの?」
「これ、苦しくないかな」
「大丈夫よ。ちゃんと支えているわ」
「ぼく、力が入りすぎてない?」
「そんなに固くならなくてもいいのよ」
そう言われて少し肩の力を抜こうとしたが、思ったほど簡単にはいかなかった。
石なら手の中で向きを変えても、落とさないよう気をつければいい。
でも、イリアは自分で姿勢を直すこともできない。
だからこそ、エリスの手が首を支えているのがありがたかった。
「思ってたより、重いね」
「あら、そう?」
「うん。軽いと思ってたのに」
「ふふ。ずっと同じ姿勢だものね」
イリアが小さく身じろぎした。
クロードはびくりとしたが、エリスが支えているのを見て、腕を動かさずに待った。
妹の指がふわりと開き、クロードの服の端に触れる。
「あ、触った!」
「ほんとね」
「イリア、ぼくだよ。クロードだよ」
イリアは口を少し開けたものの、返事らしい声は出さなかった。
自分だと分かって触れたのか、それとも偶然なのか、クロードには分からない。
それでも、すぐそばで動く小さな指を見るのが嬉しかった。
「この前ね、アルト兄さまと庭を走ったんだ」
「そうなの。楽しかった?」
「うん! すごく速かったんだよ」
クロードはそのときのことを思い出して笑った。
もう少し大きくなったら、イリアも庭を走るのだろうか。
どんな遊びが好きになるのか、今はまだ想像もつかない。
「イリアも、いつか一緒に遊べるかな」
「きっとね。でも、その前にできるようになることがたくさんあるわ」
「そっか。楽しみだな」
もう少し話していたかったが、クロードの腕はだんだん疲れてきた。
腕の位置を変えたくても、イリアがいると思うと勝手には動かせない。
そんな様子に気づいたエリスが声を掛けた。
「そろそろ代わりましょうか」
「……うん」
エリスはイリアの身体をしっかり支えながら、ゆっくりと自分の腕へ戻した。
妹の温かさが離れると、クロードはようやく息を吐いて、固くしていた腕を伸ばした。
「疲れた?」
「ちょっとだけ。でも、嬉しかった」
「そう。よかったわ」
「母さま、また抱っこしてもいい?」
「ええ。私が一緒にいるときにね」
「約束だよ!」
エリスは笑って頷いた。
母の腕に戻ったイリアは、何事もなかったように小さな手を動かしている。
クロードはその手を見つめ、今度抱くときには、もう少し肩の力を抜けるだろうかと思った。
けれど、あの温かさをもう一度感じられるなら、少しくらい緊張しても構わなかった。




